長い夢は終わる。悪夢でも甘い夢でも
 所詮夢は夢、手にとって見られるわけではない。
 いつかは現実を知る事になって前に進まなければならない。
 立ち止まっていても人は成長しないからだ。

 スピカの記憶は夢と現実が混合していた。
 記憶が戻った今でも現実が本当なのか受け入れきれていない。
 「……もし私が逆の立場だったら貴方と同じように戸惑うでしょうね」
 アメリアはスピカの不安を解消するように、優しく語りかけた。
 スピカは頭を軽く振り、口を開く。
 「わたしは現実世界に戻れるのね?」
 アメリアはすぐに「ええ」と答えた。
 「呪文を解除しなければ夢の世界に介入できなかったの、ここまで来るのにずい分時間がかかったわ」
 「もしかして、わたしが記憶を失ったり、チェリクが夢の中に出てきたのもあなたが呪文を解いたから?」
 スピカはおぼろ気に残る記憶を引き出した。
 両方とも経験した際に、一瞬だが現実世界の記憶が蘇ったからだ。それも自身がアークの攻撃からチェリクを庇う場面だ。
 「そうよ、二つの経験がきっかけで闇の集団から猛烈に出たくなったわよね」
 「なったわ」
 「呪文が解け始めたのもその時ね」
 段々とスピカは分かってきた。夢で闇の集団を抜け出したくなった理由が。
 アメリアの干渉もあるが、家族を引き裂いた闇の集団にいたくないという気持ちもあったからだ。アークを恨んだのも裏付ける。
 「そして記憶を戻して、あなたと話している今は……」
 「アークの呪文が効果を無くしたからよ」
 アメリアが言うと、スピカは手を力一杯握り締める。
 長い間、アークによって踊らされてきたからだ。
 なぜ自分が殺されずに済んだのか疑問が残るが、それ以上に敵対している人間によって時間を浪費した事の方が数倍辛い。
 ハンスと闇の集団で過ごした日々も全て嘘で、現実の世界ではもうこの世にいないのだ。なぜならスピカが世界の平和を守るためにこの手で命を奪ったからだ。
 忘れられる筈も無い、ハンスの件を思い出すだけで心に激しい痛みが襲う。誰かがからかい半分で話したならば容赦なく手を上げる。
 夢にいた時はとても楽しかったが、目を覚ますと空しい気持ちになる。
 「お願い自分を責めないで、貴方は何も悪くないわ、元凶は貴方の心を弄んだアークよ」
 アメリアはスピカを慰めた。自責の念に駆られ易い彼女の性格を知っているからだ。
 「分かってる……っ」
 スピカは悲しそうに呟いた。 
 過去に戻れる呪文があるなら、夢の世界のように闇の集団にハンスと一緒に暮らせたら良いと思えた。アメリアやチェリクを敵に回すが、それでも構わない。
 何を血迷った考えをしているんだ。とスピカは頭を叩いて甘い妄想を振り払った。闇の集団は潰さなければならない存在で、アークは倒すべき敵なのだ。従う人間ではない。
 夢の世界に戻れない寂しさもあるが、全てを知った以上、現実世界に戻って職務に復帰したい気持ちが強くなっていた。
 落ち着きを取り戻し、スピカは強く握り締めていた拳を解く。
 「……ごめんね、心配かけて」
 「過ぎたことは悔やんでもしょうがないわ、私に触って、そうすれば貴方は目を覚ますから」
 友に励まされ、スピカは何の躊躇いも無く光に手を当てた。
 その瞬間、純白の閃光に包まれとっさにスピカは右手で両目を隠した。

 スピカは瞼をゆっくりと開いた。チェリクとアメリアが心配そうな表情でこちらを眺めている。
 「あれ……わたし……」
 ぼんやりとした頭で、スピカは体を起こす。
 まだ目覚めたばかりで、急な環境の変化についていけないのだ。
 「スピカさんっ!」
 スピカの戸惑いも知る良しも無く、チェリクが抱きついてきた。
 「良かったです! スピカさんが目を覚ましてくれて、本当に……」
 チェリクは泣いていた。スピカが助かった嬉しさが伝わってくる。
 「心配かけてごめんね」
 スピカは謝った。自らが眠り続けた事によりチェリクは相当心配したのだろう、その証拠に彼の手は細く、目の下には隈ができている。
 食事もほとんど取らず、睡眠も満足に取れなかった事が伺える。
 チェリクは誰よりも人に優しい、何かあれば自分の事を顧みない、スピカの面倒を見るために時間を割いたという事が容易に想像できた。
 「チェリク、スピカは起きたばかりなのよ、休ませてあげて」
 アメリアは穏やかに促した。チェリクは涙を拭き、スピカからそっと離れた。
 再び横になり、スピカはアメリアに聞いた。
 「……変な事を聞くけど、わたしは元の世界に戻ってきたのよね?」
 「起きたばかりだから戸惑っているんでしょうけど、すぐに慣れるわ」
 アメリアは額に手を当て、溜息をつく。
 チェリク同様に彼女の顔色も悪い。
 「アメリアさんはスピカさんを起こすために、魔導士達に混ざって解除呪文を使ったから疲れているんです。アークの魔法は強力で解除に苦労したのです」
 「チェリク!」
 「あ……すみません」
 チェリクは急に黙り込んだ。
 説明の内容に精神的負担を増幅させる要素が含まれていたからだ。アメリアも魔導士の一人で、治療魔法が得意である。
 魔法のことはからきしだが、アメリアの様子からして能力以上に力を使ったのだろう。
 スピカは友の行いに心を打たれた。
 「アメリア助けてくれて有難う、礼を言うわ」
 スピカは心を込めて頭を下げた。アメリアや魔導士たちがいなければずっと眠ったままだったに違いない。人との繋がりが大切だと改めて痛感した。
 「貴方が戻ってきてくれて嬉しいわ、現実の世界にお帰りなさい」
 アメリアはとびきりの笑顔を見せた。
 「ただいま」
 スピカは短く言った。
 アークの力によって、願望通りの夢を見たのは過去の悔しさが原因だ。ハンスと一緒だった夢はとても楽しかったが、心配する人間の存在を蔑ろにしていた事が恥ずかしかった。
 ……あなたの事は忘れないわ、死ぬまでずっとね。
 二人の顔を眺めて、スピカはハンスの事を思った。

  戻る 
inserted by FC2 system