「……ん」
スピカは重い瞼を開く。同時に薬の匂いが鼻腔を刺激する。
あまりの匂いに表情をしかめ、鼻を摘みたかったが、両手が動かない。
どうやら束縛されているようだ。
「ようやく目が覚めたようだね、お寝坊さん」
ハンスがスピカの元に近づいてきた。
今の状況を作ったのも彼だとすぐに分かった。何故自分が動けないのかを知りたかった。
「これはどういうこと?」
ハンスはわざとらしく髪をかき上げて答えた。
「お姉さまには、デモート様復活の生贄になってもらうよ、私はもっと生きたいしねぇ」
腕を組み、ハンスはスピカを見下ろす。
例え双子だとしても、命を何とも思わないのだ。
スピカは辺り見た。火のついた蝋燭や、薬草などがスピカを囲むようにして置かれている。
状況を確認し、スピカはハンスに目線を戻す。
「夢の中で父さんから聞いたわ、デモートを消すにはあなたを倒さないといけないんだってね」
スピカは言葉を選んだ。"殺す"など間違えても使いたくない。
ハンスはスピカの顔を覗き込んだ。彼の紫色の双眸は、全てを見透かすようであった。
「それは一つの手段だよ、お父さまは頭が固いから柔軟な考えが浮かばなかったんだねぇ、私はお姉さまにデモート様の肉片を全て押し付けて自由になるよ」
ハンスの微笑みは邪悪に満ちていた。
「お姉さまはもうすぐデモート様の器になるんだよ、心を失って肉体だけがこの世に残るんだ。面白いと思わないかい」
ハンスは面白そうに囁く。
「デモートが復活するとどうなるの?」
スピカは肝心な部分を訊ねる。ハンスはスピカの周りを歩きながら説明した。
「簡単だよ、人々に不幸をもたらすんだ。デモート様の力によって人間達の心に負の感情を植え込んで、お互いを憎しみ合わせて戦争を起こさせるんだ。ある意味星が滅ぶよりタチが悪いよ」
ハンスは立ち止まり、顎に手を当てる。
そして冷めた眼差しを向けた。
「お姉さまの友達も例外なく争うだろうね、信頼なんて言葉も無くなって武器を交えあうんだ。面白いねぇ」
考えるだけでゾッとした。
デモートの力は、人の心を荒ませて、信じる心を奪うのだ。
ハンスが言うように星が消えるよりも、最悪な未来が待っている。
自らの命をかけても、阻止しなければならない。
ハンスの行動は理解できた。しかし肝心の動機が何なのか分からない、スピカは知りたくて彼に問いかけた。
「……あなたが所属している場所の秩序を乱してまで、そこまでする理由が分からないわ」
スピカはハンスの背中を見た。
彼のいる場所は、決して人に褒められる行いをしないが、彼が迷惑をかければそのとばっちりを食らう事になる。
それを承知の上でやるのだから、彼を突き動かす動機があるのだろう。
ハンスは漆黒のマントを翻し、スピカの方に近づいてきた。
「簡単だよ、私を邪魔扱いした奴等を見返すためさ」
ハンスはスピカの側に来るなり、突然頭を思い切り踏みつけた。
痛みのあまりスピカは表情を歪める。
彼の行いからは、強い悪意がヒシヒシと伝わる。
「特にお姉さまには、あなたには私の成長ぶりを見てもらいたいよ、いつも私から両親の愛情を奪い、寂しい思いをさせた元凶め」
頭から足を離したと思いきや、ハンスはスピカの背中を力一杯蹴った。
気が済んだらしく、ハンスは足早にスピカから離れた。
背中と頭には痛みが残る中で、どこかで想像していた。彼の行動理念が愛情の飢えだということを。
それだけ人に愛されたいという思いがあったのだ。その気持ちが彼を誤った道に転落させた。
こうしてハンスに暴力を振るわれ、改めて痛感する。
もし自分がハンスと同じ立場だったら、ハンスと同じようになっていたのかもしれない。
痛む体に鞭を打ち、スピカはハンスの方に体を向けた。
ハンスは空に両手を掲げ、月を見ていた。
「少し早いけど、"離別の儀"を始めるとしようか」
離別の儀
聞きなれない言葉に、スピカは戸惑った。
「離別の儀?」
声を落としてスピカが聞くと、ハンスは軽蔑な眼差しを彼女に向ける。
再び殴られると思い、スピカは反射的に身を縮める。
「使用者の望む物を引き離して、対象になる存在に全て与えることができるんだよ、素晴らしいだろう?」
さっきの乱暴な一面とは打って変わり、ハンスは落ち着いていた。
先ほどの歪んだ表情から一転し、柔らかくなっていた。
殴って気持ちがすっきりしたということか。
「わたしの周りに描かれている魔法陣も離別の儀を行うためなのね」
「そうだよ」
彼の考えが理解できた。
どうやらハンスは離別の儀を遂行し、自身にあるデモートを取り除き、スピカに押し付けようというわけだ。
自分が助かるために。
「わたしをここに呼んだのも、儀式を遂行させるため?」
スピカが聞くと、ハンスはふふっと笑った。
「それもあるけど、今日をもって私達が十八になったお陰で魔力が一番高まる時期でもあるんだよ、離別の儀が成功する確率が高くなるしね、こういう時は双子って便利だよねぇ、一緒に大人になれるんだからさ」
ハンスの言葉を聞いて、スピカは思い出した。この日は双子にとって大切な日。
誕生日だ。
スピカは友達と一緒にケーキやご馳走を食べ、年を重ねて、大人になったと実感する。
同時に忘れるはずが無い。どこかで生きているハンスのことも思い出し、彼が元気でいることを願う。
一生に一度しかない日を、ハンスは身勝手な理由でぶち壊しにしようとしている。
「ハンスやめて……」
スピカは体を起こして訴える。
どんな理由であれ、生まれてきた日を穢されるのは耐えられない。
「あははっ、せいぜい叫ぶが良いよ、私の行いは止められないけどね」
ハンスはからかうように言う。
彼の行いを止めたいというスピカの考えを揺るがすきっかけが目の前で起きた。
突然ハンスは胸に手を当て、地面に顔を向けた。
一体何が起きたのだろうか?
「ハンス……?」
心配になりスピカは訊ねた。
再会してから始めて見る異変だからだ。
しばらくすると、ハンスはゆっくりと顔を上げる。
その表情は先ほどの明るい表情とは違い、曇りが掛かっていた。
「さっきも言ったけど、私は早く自由になりたいんだ」
胸に手を押えつつ、ハンスは言葉を紡ぐ。
再会した時に見せていた余裕のある態度とは違い、弱い部分が現れた。
「私の中にいるデモート様は私をどんどん蝕んでいくんだよ、こうしてお姉さまと話している間にもね」
スピカは黙る。
ハンスは苦笑いを浮かべた。デモートの力はスピカが想像する以上に彼を苦しめているのだろう。
「お姉さまには分からないだろうけど、私が魔法を使うたびにデモート様は触手を伸ばすんだよ、これも代償なんだろうね」
そう言えば、ハンスはゾンビを呼び出す際に、険しい表情をしていた。
簡単に言えば魔法を使う度に、彼は自分の首を絞めている。
力が強い分、彼の体に掛かる負担も大きい。
「……どれだけ使っているの?」
「一々覚えてないよ、殺人を犯す時にはよく世話になったけどね、周りの人間には褒められたけど」
ハンスはぶっきらぼうに言った。
魔力が高まる日なのだから、デモートの侵食も早く進んでいるに違いない。
スピカ自身の中に眠っていたデモートも、ハンスと共鳴するようにゆっくりと浸食しているため、彼がどのような心境なのかは分かる気がした。
誕生日を壊されるのはたまらない、だが、ハンスが苦しむのを見たくは無い。
「ハンスが言う離別の儀は、物とかでは実行できないの?」
スピカは提案した。
血の通った人間ではなく、スピカの周りにある薬草や蝋燭などで実行できれば良い。
そうすれば双子の中にあるデモートの肉体は物に移り、お互いが犠牲にならずに済む。
ハンスは「無理さ」とすぐにスピカの望みを打ち砕いた。
「魔法陣には、私と同じ血を引く者以外に効果が出ないようにしたんだ。一度掛けた魔法を解除するのは無理だよ」
「あなたの意思で止められないの?」
スピカはしつこく食い下がる。
それでもハンスの返答は変わらない。
「しつこいよ、駄目なものは駄目だよ」
微かなの希望が消え失せ、スピカは言葉に詰まる。
父では無いが、この時ばかりは魔法が嫌になった。
「私の心配より、自分の心配でもしたら?」
ハンスは吐き捨てるように言った。
「嫌よ、お互いが助かる道を探そう、どちらかが犠牲になるなんて出来ないよ!」
スピカは訴えた。父の最後の言葉が彼女の中に残っていた。
『ハンスを頼む』
たった一言だが、ハンスの運命をスピカに託したと解釈している。
やはりハンスを殺す事などできない、この場では確かに望みは無いが、探せばお互いが助かる道が切り開ける可能性があるかもしれない。
二人で一緒に過ごしてきたのだ。だから二人で助かりたい。
自然とその思いが沸き上がった。
「往生際が悪いのも変わらないね、いい加減イラついてきたから始めようか、本当ならお姉さまのお友達が来てからやろうかと思ったけどねぇ」
ハンスは不機嫌に語る。スピカの話が奇麗事を並べていると思ったからだ。
本人のスピカは、ハンスを救いたい一心である。
「ハンス落ち着いて、早まった真似をしないで」
「うるさいな」
ハンスは片手を宙に上げる。彼の服やマントが揺れ、手の中には蒼色の輝きが現れた。
同時にスピカの真下に描かれていた魔法陣も同色の光を放つ。
ハンスは本気だ。
「お願い、わたしの話を聞いて!」
スピカは叫ぶが、ハンスは無視して、魔法を続行する。
彼女の声はハンスには届かない。
諦めきれずにスピカはハンスに訴えかける。
「ハンスやめて! やめなさい!」
スピカが再度叫んだ時、聞き覚えのある声が響いた。
「やめなさい、どこまでお姉ちゃんを困らせたら気が済むの?」

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