「父さん!」
スピカは父の姿を見るなり、駆け足で側に来た。
顎の髭、大柄の体格、紛れも無く父だった。その姿はスピカが最後に見た時のままである。
しかし、父の生を信じるに至る証拠が……そう、両足がないのだ。
それを見るなり、スピカは言葉を失った。
『スピカ、大きくなったな』
父は穏やかに言い、スピカの頭を撫でる。
人特有の温もりがなく、触れられても何も感じない。
「父さん……わたし……」
スピカは肩を震わせ、溢れる涙を拭う。
『お前は悪くない、悪いのは父さんだ。ハンスが変わったのも責任がある』
父は沈痛な面持ちで語る。
ハンスに厳しくしすぎたため、その反動が彼を歪ませたのだと感じているのだ。
「わたし……父さんを消してしまったのよ……」
スピカの胸が針を刺されたように痛んだ。
ハンスの件もそうだが、知らなかったとはいえ父を消滅させたことを悔やんでいる。
後ろめたさのあまり、スピカは目線を伏せる。
『父さんは元々死んでいた。お前が気にすることは無い、姿あるものはいずれ形を失う、それだけのことだ』
父は優しく諭す。スピカを責めていなかった。
『だから自分を責めるのは止めなさい』
「……」
スピカは黙る。
心に刺さった棘は簡単には取れない、父が穏やかに言っても、だ。
むしろ父にしてしまった行いは、スピカの心を蝕む。
彼女の涙は罪悪感からくるもので、止めたくても止められない。
周りは冷たくて、暗いが、涙を流している間はそれすら感じられなかった。
しばらく泣くと気持ちが落ち着いてきた。棘も少しは和らぎ、父と話せる程度には回復した。
「ごめんなさい……時間が無いのに」
涙を拭い、鼻をすすり、スピカは父の顔を見る。
『大丈夫か?』
「うん……何とか」
スピカは薄っすらと笑う。
父の気遣いが、スピカには嬉しかった。
「話したいことは他でもない、ハンスのことよ」
スピカの声色には真剣さが帯びた。
「わたし、父さんに代わってあの子を止めるよ、それが一番最善な道だと思う」
『ハンスは、お前が想像している以上に危険な存在だ』
父の心配をよそに、スピカはハンスと戦う覚悟はできている。
「分かってるわ、それでも、わたしはハンスを止めたいの」
スピカの思いはそれだけだ。
ハンスを放っておけば、いずれ良くないことが起きる。
家族として彼の行いを阻止するのは当然だ。
しかしその反面、不安もある。
「でもね、あの子には不思議な力を持っているの、わたしも多少はあるみたいだけど、完全ではないの」
スピカは打ち明ける。
ハンスを止めたいが自身の力が及ばない。悔しいがそれが現実だ。
すると父の顔色が変わる。
『何であんな恐ろしい力をハンスが使えるんだ? 父さんはゾンビを操る術を教えた覚えは無い』
父はスピカに詰め寄る。
実の父でもハンスの力について把握していない様子である。
父は剣に関しては知識に長けているが、魔法に関してはさっぱりで、魔法という目に見えない力を嫌う傾向がある。
心の痛みも、すっかり吹き飛んでしまった。
胸にしまいこんで来た封印が緩む。
双子だけの秘密で、門外不出の記憶が……
『何か知っているのか?』
父は更に訊ねて来た。このままはぐらかしたり、誤魔化したりすれば
秘密は守られるが、言わなければ一生後悔する気がした。
『別に父さんはお前を責めている訳ではないんだ。知っていることがあるなら言って欲しいだけだ』
父はスピカの両腕を掴む。
父の目は真っ直ぐで、嘘をついても逃れられないと感じた。
幼い頃に悪いことをしても、父の目からは回避することができなかった。
もう誤魔化しきれないと思い、意を決してスピカは口を開く。
「わたしね、ずっと隠していたことがあるの」
スピカは父の目を見る。顔からは悲しさが薄れ、真剣さがにじみ出る。
胃に不快感が走り、逃げ出したい衝動に駆られる。
それでも歯をくいしばって抑えた。
「……十一年前、わたしとハンスは父さんの言いつけを破って、倉庫に入ったの」

スピカが住んでいた家の倉庫には、剣やトラップなど、父が売るために仕入れた物を収めていた。
中には危険なものを保管しており、万一子供が入って怪我をさせない意味で入室を禁じていた。

だが、子供だった双子はやってはいけないと分かっていても
親の目を盗んでは度々倉庫に入り、武器や珍しい物を見たり、遊んだりしていた。
外で遊ぶのに飽きたときは、入れ替わりが激しい倉庫での探索が双子にとって何よりの楽しみであった。

そんなある日、いつものように倉庫に入ると、大きな箱が堂々と置いてあった。
箱には鍵が掛かっており、ハンスが開けて中を見たいと、スピカにしつこくお願いしてきたのだ。
スピカは駄目だと言った。これは開けてはいけない禁断の箱で、開けたら恐ろしいことが起きると、父が商人と話しているのを聞いていたので
箱がどれだけ危険かを認識していた。
いつもなら姉のスピカが何度か言うと諦めるが、中身の分からない未知の世界への好奇心の方が強いらしく、この日に限ってハンスはしつこく食い下がってきた。
スピカは悩んだ。しかしちょっと開けるくらいなら問題無いと思い、ハンスに少しだけよと釘を刺す。
ハンスは子供らしく大はしゃぎする。
スピカは人の目を掻い潜り、箱の鍵を持ち出してきた。
「本当に少しだけよ」
スピカは改めて忠告した。
「有難う」
ハンスはにっこりと笑う。さっきの我儘が嘘のようである。
スピカは鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくりと動かす。
がちゃり……と静かに鍵が解除される音だけが、部屋に響く。
待ってましたといわんばかりに、ハンスは少しだけ箱を開く。心配だったのでスピカもハンスと並んで箱を見る。
箱の中は真っ暗で、何も見えない。
「暗くてよく見えない」
ハンスは不機嫌になった。物がはいっていると期待していたため、落胆が大きい様子。
「もう良いでしょう」
スピカはハンスに訊ねる。
早く鍵を閉めて元の場所に戻さないと大変なことになる。
「明かりを持ってきて、中を見たい!」
ハンスはスピカに要求した。
スピカは溜息をつく。鍵を持ってくるだけでも一苦労だったのに、今度は明かりをねだる。
ハンスはスピカの苦労を汲み取っていないのだ。
「ねえ、早く持ってきてよ!」
ハンスは地団駄を踏む。我儘を言えばそれが通ると思っているのだ。
彼の考えを改めさせないといけない。世の中は自身の思うようにはいかないことも多いからだ。
「駄目よ、少し見るって約束でしょう」
スピカは強く言った。
ハンスは口を尖らせる。
「中が見えないんだよ、良いじゃん!」
「駄目ったら駄目よ、鍵が無い事がばれたら、お父さんとお母さんに怒られるのよ」
スピカは両手を腰に当てた。ハンスはスピカを睨みつけてきた。
「姉ちゃんのけち! 明かりを持ってきて!」
「あなたも分からない子ね、もうおしまいなの! 鍵をかけるからね!」
スピカもムキになり、ハンスを無理矢理箱から引き剥がそうとした。
ハンスも負けずと箱にしがみついたまま離れない。
「明かりを持ってこないとヤダ!」
「我儘言わないの」
「いじわる!」
「いじわるじゃない、約束は守ってよ!」
双子は喧嘩になった。箱の中身を見たいハンスと、約束を守らせようとするスピカ。
どちらも一歩も譲らない。
普段は仲の良い双子だが、些細な理由で喧嘩をする事も珍しくなかった。
原因はハンスが作り出すことが多い。
そんな時だった。

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