スピカはハンスの方を見る。
「わたしの……力?」
スピカは困惑した。
「お姉さまは今まで、何か不思議なことが身の回りで起きなかったかい?」
ハンスは問いかけた。
彼の言うように、ゾンビ消滅を含む口では説明できない現象がスピカの周辺では発生していた。
高い場所から誤って転落した際にも、奇跡的に無傷で助かったり、男に絡まれ襲われそうになった時も、言葉では説明できない力が働いたお陰で、男を退けた。
スピカは自発的に力を使おうと試みたが、何も起きずに、疑問を抱きつつも時間だけが過ぎていった。
ハンスの問いかけによって、ようやく謎が解けた。自分の力は生命の危機に直面しないと使えないからだ。
「成る程、道理であがいても使えなかった訳ね」
スピカは自分の手を眺める。
何故自分にそんな力が自分に備わっているのか。
家系に魔法使いの人間などいないし、魔法の訓練など受けたことなど無い。
「ぼんやりしている時間は無いよ、こいつらを早く倒した方が良いんじゃない?」
ハンスが言った次の瞬間、複数のゾンビがスピカを食らおうと正面から襲撃を仕掛けてきた。
スピカはわざとゾンビに肉薄し、体を一回転する。
ゾンビは悲鳴を上げて、粉々に砕け散る。
ゾンビの奇襲は終わらない、仇討ちと言わんばかりに今度はスピカの背後や斜め横から向ってきた。
背後の攻撃を回避し、斜め横から来たゾンビには短剣を喉元に突き刺す。
しかし刺されたゾンビはダメージを受けていない様子である。
ゾンビが再度うなり声を上げてスピカに走ってきたため、スピカは真横に素早く飛び、ゾンビは一緒に地面に転倒した。
「言っておくけど、物理攻撃は一切効かないよ、魔法じゃなきゃ倒せないんだ」
ハンスのアドバイスに、スピカは舌打ちをした。
今の攻撃でスピカは気付く。生命の危機に立たされてるからと言って、必ず魔法が発動するとは限らない。
何ともややこしい力である。
……これじゃ、キリがないわ
目の前にいるゾンビは多く、全てを少しずつ倒していては時間がかかる。
体力的な面も考えると、早めケリをつけたい。
……魔法を確実にしないと死ぬわね。
臭い息を吐きながら、ゾンビは確実に迫っている。
スピカは右足を動かしつつ、考えを巡らせる。
すると、頭の中で一つのことを思い出し、スピカは目を大きく見開く。
男に絡まれた時には肩に怪我を負っていた。男がスピカに刃を向けた瞬間に目に見えない力が発動し、男達は四方八方に吹っ飛んでいった。
スピカを襲った男は大柄で、単身で相手にするにしては分があった。そんな男を瞬く間に倒したのである。
……もしかしたら。
想像しただけでもゾッとした。だが試してみないことにも現状を打破できない。
覚悟を決め、スピカは早足でゾンビへと近づいていった。
体は小刻みに震え、本心ではやりたくないと暴れてはいるが、抑え込む。
スピカはゾンビの群れに自分から飛び込んだ。ゾンビは奇声を上げて歯をむき出しにする。餌が自ら向かってきた事が嬉しいのだ。
群れの中心に来るのを見計らい、スピカは自らの腕に短剣を突き刺した。
血が吹き出て、痛さのあまり表情を歪め、唇を噛み締める。
次の瞬間、スピカの狙い通りに事は運んだ。
スピカの周りにいたゾンビの群れは一斉に消滅し、数分後には廊下にいたゾンビは全ていなくなった。
スピカは足を止め、腕を庇ったまま、ハンスの方へと引き返す。
「中々やるじゃないか、驚きだねぇ」
ハンスは手を叩いて褒めた。スピカはちっとも嬉しくなかった。
ハンスが馬鹿にしているからだ。
スピカが故意に腕を傷付けたのも、怪我をした方が命の危険の度合いが増すと思ったからだ。案の定成功したが。
「あなたも凄いじゃないの、死体とお友達になれるなんてね、生きた優しい友達はいないの?」
スピカは皮肉を込めて言った。
「友達はいるよ、私とどれくらい殺れるか張り合える奴がね」
「あなたの友達もロクな人間じゃないのね」
スピカは眉をひそめた。彼の性格が歪むのも、彼の凶行を助長する人間がいるのも原因だ。
「お姉さまこそ、賞金稼ぎの仕事に就いてから言葉が悪くなったねぇ」
「……わたしの仕事についても調査済みなのね」
「そりゃそうさ、家族がどんな仕事をしているのかも気になるしね」
ハンスは表情を変えずに言い返す。
賞金稼ぎとは、様々な仕事をする。簡単に言ってしまえば何でも屋である。
下水道の掃除、魔物退治、人探しなど色々あるのだ。
スピカが今の仕事に就いているのは、ハンスの手がかりを見つけるためである。
元にハンスは目の前にいるが。
「今の仕事のお陰で、体術を学べたし、良い人にも会えたわ、そしてあなたとも再び巡り会えた。
これ以上の贅沢は望まないわ」
スピカは自信有り気に語る。
怪我をしているにも関わらず、スピカの顔は生き生きとしていた。
「ふふっ……そんな風に言われたら余計に怒らせたくなるじゃないか」
ハンスは不気味な表情を浮かべた。
彼を見ていて思った。力はそれなりにあるが、精神年齢はまだ幼いと。
怒らせると言っても、単なる挑発に過ぎないのだ。
「さっきのゾンビは、私を挑発させるためなの? 手が込んでいて大変でしょうね」
「今のはリハーサルさ、本番はこれからだよ」
再び指を鳴らすと、どこからともなく黒い群れがスピカの元に迫ってきた。
回避する間もなく、黒い群れはスピカの全身を拘束した。
きつく巻きついているため、身動きが取れない。
「な……なにこれ……」
スピカは苦しげに呟く。
ハンスがようやく動き出し、歩きながら話した。
「さっきお姉さまが消滅させたゾンビの破片どもさ、可哀想だからまた再利用したんだ」
ハンスは更に続ける。
「言いそびれていたけど、ゾンビの群れの中にお父さまもいたんだよ、お姉さまを拘束している"それ"に混ざってるよ」
衝撃的な一言が、スピカの心を突き刺す。
突然のことに頭が混乱した。
「……嘘……でしょ?」
「嘘じゃないよ、まあ沢山人が紛れ込んでいたから分からないのも無理ないよね、哀れなお父さま、折角娘との再会を楽しみにしていたのに、まさか実の娘に消されるなんてねぇ」
ハンスは口元を三日月にした。
スピカはうなだれ、言葉を失う。
長い間ずっと離縁していた肉親が目の前にいた。たとえゾンビだったとしても、父がいたことには変わりない。
幼い頃父に約束した。大人になったら立派な女性になって親孝行をすると。
「人数が足りないから、止むえず足したんだ。まあお姉さまと戦う上では役に立ったけどね」
ハンスは淡々と言う中で、スピカは涙を流す。
取り返しのつかない過ちに、後悔の念に駆られる。
父はスピカには優しかった。誕生日にはスピカが欲しかった物を買って来てくれたし、休みの日にはいつも遊んでくれた。時には世の中の厳しさを教えてくれた。
感謝もしていたし、大人になったら、恩返しをしたいと思っていた。
なのに既に父は他界したと知らされ、その上自らの手で消し去ってしまった。耐え難い苦痛だった。
「あっはっは、そんなに悲しいのかな」
ハンスはカラカラと笑う。
「どうして……あなたは平気でいられるの?」
スピカは涙声でハンスに訊ねる。
無神経すぎる彼の態度に、我慢できなくなった。
彼は肉親の死を粗末に扱ったからだ。
「あなたは好かなくても、この世に送り出してくれた肉親なのよ……」
目を赤くして、スピカは顔を見上げる。
ハンスはスピカに近づくなり、髪を強く引っ張り、憎しみを込めて言葉を吐き出した。
彼の瞳は冷たく、鋭いものだった。
「私はね、産んでくれなんて頼んで無いよ、一人だけで良かったのに」
ハンスはスピカの頭を乱暴に回す。まるで人形を扱うように。
「いつも邪魔だと思ってたんだよね、もう一人いるせいでこっちは寂しい思いばかりさせられてきたし、あいつはお姉さまには優しいくせに、私にはゴミみたいに扱うんだから、死んだって何も感じはしないんだよ」
ハンスの怒りと悲しさが伝わってきた。
共に生まれてきたために愛情の偏りが出るのも無理はない。
両親も人間だ。どちらも完璧に愛するなど難しい話である。
ハンスは親の愛情に飢えているため、一心に受けたスピカが疎ましいと感じているのだ。
「そんな事無いよ」
「どうだか、お母様さまは言ってたよ、一人だけで良かったって、だったら産んだ時にどっちかを殺して欲しかったね」
ハンスは腰から剣を取り出し、スピカの喉元に当てる。
母は穏やかな人だが、酒が入ると時折人を傷つけることを口走ることがあった。無論本気で言っている訳でもなく、日々の疲れを軽減させるために零れるものだった。
ハンスが聞いたのも。母の違う一面を見せた時だろう。
「本心で言ったわけじゃない、悲しい病気が言わせたのよ、普段はわたし達に優しかったでしょう?」
「優しいのは見せ掛けで、本当にそう思っていたのかは疑問だけどね」
ハンスの剣がスピカの頬にかすり、斬られた箇所から血が流れた。
スピカは親の愛情を感じているのに、ハンスは感じない。
一緒に産まれてきたのに、境遇が違っていることが改めて恨めしかった。
「……まあ、過ぎたことはいいさ、私を邪魔扱いしてきた報いはこれから思い知らせてやるよ」
ハンスは剣をしまい、薄っすらと笑う。
嫌な予感がして、背筋が凍りつく。
「まずはお姉さまから受けてもらおうか、お友達に死んでもらうなんてのも面白いね」
友達と聞いて、スピカの表情は変わった。
「やめて! わたしの友達に手を出さないで! やるならわたしだけにして!」
「あっはは! そんな風に言われたら手を出したくなるね、どういう感じに死んでもらうかな、ゾンビの餌にするのも良いだろうし、じわじわと苦しめるのも良いだろうなぁ、考えるだけでゾクゾクするね」
ハンスは上を眺めて、楽しげに語る。
彼の暴走はもはや止めようが無い。スピカの言葉にも耳を貸さない状態。
「心配しなくても、お姉さまの友達を誘う手紙は出しておいたよ、しばらくすれば来るはずさ、私達は屋上で待ってようか」
ハンスが指を鳴らすと、黒い群れはスピカの全身へと触手を伸ばしてきた。
恐ろしくて、スピカは表情を引き攣った。
「いやっ、何よこれ」
「お姉さまには眠ってもらうよ、心配しなくても目が覚めた頃にはお友達はまだ生きている筈だからね」
ハンスの笑みが瞳に焼きついたまま、スピカの視界は黒に遮られた。
ハンスを止めたくても、止められないのか……?
スピカは己の無力さに歯痒さを感じた。
……スピ……カ
真っ暗になった世界に、懐かしい声が響く。
それは十一年ぶりに聞く、父の声だった。