風紀委員と夏祭り・その3 作者:ねる

緑が覆う獣道に、明美は到着した。
明美は携帯に目をやる。
午前十一時二十分、少し早いが慧が指定する時間には間に合った。
途中で楼蘭に呼び出され、色々とアドバイスを貰い、楼蘭から"あるモノ"を明美に与えた。
今は明美のポケットの中にある。
『本当に危険だと判断した時に使うことね、でないと自滅するわ』
楼蘭にはそう釘を刺された。
しかし、腑に落ちない部分がある。
慧に呼び出された直後に、タイミングよく楼蘭から電話がかかってきたからだ。
まるでこうなる事を予想していたように。
「まさか……虚首さんが……?」
明美の想像はこうだ。
楼蘭が何か理由をつけて、慧に明美へ連絡をさせるように仕向けた……と。
そう考えれば楼蘭の準備の良さに説明がつく。
嫌な言い方だが、明美と慧は楼蘭が用意したシナリオにのせられていることになる。
明美は頭を振り、余計な思考を振り払った。
どういう理由であれ危険人物に呼び出されたのだから緊張感を抱かずにはいられない。
明美は汗ばむ両手を握り、声を発した。
「伊澄、出てきなさい! 話があるんでしょう!?」
風紀委員で注意する時と同じ凛々しい声が、森の中に響き渡る。
すると、慧の声がすぐに返ってきた。
「言われなくても、ここにいるぜ」
威圧的な視線が明美の体を刺し、明美は後ろを振り向くと、木と木の間から慧が姿を現した。
小柄だが、おぞましい雰囲気を彼から感じる。
慧は明美の目の前で立ち止まった。
「よく来たな、オレに殴られて怖気ついたのかと思ったぜ」
「その事で謹慎処分にならないのが不思議だわ」
明美は厳しい口調で語る。
夏祭りに来た際、保健室の先生にはずい分心配されたが、沈黙を守り通した。
明美が先生に昨日の暴力行為を伝えれば、慧は間違いなく謹慎処分になる。
「話を変えるわ、こんな所まで呼び出して何の用かしら?」
明美は単刀直入に言った。
彼との接触を一秒でも早く断ちたいためだ。
慧は嫌らしい笑みを浮かべる。
「虚首から聞いた、テメエにオレの弱点を吹き込んだのは、龍前ってガキなんだってな」
明美は苦虫を噛んだ表情を見せた。
「その様子じゃ図星のようだな」
「……っ! 龍前くんに手を出していないでしょうね?」
恐れていたことが現実となり、明美の鼓動は早く打つ。
楼蘭があっさり後輩の行いを危険人物に教えたことが驚きだった。単に自分の物語を面白くしたいだけなのだろうが、言流がどんな運命を辿るのか彼女も分かっているはずだ。
楼蘭が何を考えているのか、明美には理解できなかった。
「夏祭りが明けるまでは堪えようと思ってな。夏祭りが終わったらぶん殴りに行く」
慧は近くにあった木を右手で叩きつけた。
彼が叩いた場所は穴が開き、どれだけの破壊力があったのかが伺える。
雪乃から聞いた。慧は自分なりに夏祭りを楽しむと。それまでは問題を起こさずにいるのだと。
夏祭りという目的が消えたら、また彼は暴力を繰り返す。
彼らしい返答に、明美は心底呆れる。
同時に慧は暴力でしか自分を表現できない可哀想な人間なのだと思った。
「用っていうのは、あなたの弱点をばらしたのは龍前くんだっていうのを確認したかっただけなのね」
明美は訊ねる。
すると慧は地面を蹴った。
「ああ、これでスッキリしたけどな」
彼の発言を聞く限り、雪乃が言うように蛇嫌いを知られたことが不都合なのだ。
「夏祭りが終わったら龍前くんを殴るのね」
「……何度も言わせんじゃねえ、しつけえよ」
「あなた、これ以上問題を起こしたら本当に退学になるわよ」
明美の声色は力強さを帯びていた。
慧が過去に創楽学園で問題を起こした回数は数え切れない、心の広い校長でも許容範囲を超える手前である。
「うるせぇ! オレが何をしようがテメエには関係ねぇだろ!」
「あるわよ! あなたが問題を起こすたびに、グロリア先輩は悲しい顔を見せるんだから!」
慧の怒鳴り声に怯まず、明美は言い返す。
これは本当だった。
グロリアは慧が問題を起こす度に、大好きなお茶を飲むも表情は悲しみに沈んでいる。
明美は目撃しているので、はっきりと覚えている。
「とにかく自分の首を絞める真似は止めた方が良いわ、出席日数も危ないんでしょう」
明美が記憶する限り、慧はよく授業をサボる。
それなのにテストでは上位に食い込み、懸命に勉強したにも関わらず明美はいつも慧に負けてしまい、歯痒い思いをしている。
雪乃も慧に負けることがコンプレックスになっているのだ。
今まで動かなかった慧が、早足で歩き出した。
「テメエ、さっきから聞いてりゃいい気になりやがって、ぶち殺してやる!」
乱暴な言葉を口走り、慧は明美に向ってきた。
説教を聴いていたため、慧の苛立ちが限界に達したのだ。
明美はポケットから楼蘭から貰った煙玉を一つ取り出し、地面に投げる。
次の瞬間、物凄い煙が一帯を覆い、木に手を当て慧は立ち止まって咳き込んでいた。
……今がチャンスだわ
口元を押え明美は慧に背を向け、全速力で走り出した。
『伊澄慧から逃げるにしても、アンタの足じゃ難しいわね、これを使いなさい、多少は足止めになるでしょうから
 まあ、逃げ切れるかはアンタ次第ね』
明美は楼蘭に渡された残り二つの煙玉を眺める。
慧に言流の情報を流したのは評価できないが、慧の足止めをしてくれたのも楼蘭のお陰である。
「大切に使わせてもらうわ、虚首さん」
複雑な心境で明美はひたすら走り続ける。
明美が目指しているのは本殿で、そこに隠れ場所があると言流に教わった。
明美の作戦はこうだ。言流のいう場所で慧をやり過ごし、そのまま学校へ戻るのだ。
学校でもまた慧と鉢合わせするだろうが、彼も頭が冷えて追い回すのを諦めるだろう。
力のない明美が慧と取っ組み合うなど、自殺行為に等しい、なので逃げるが勝ちである。
慧の罵声が明美の背後からした。彼との距離は大分取れている。何のアクシデントも無ければ逃げ切れる。
「待ちやがれ!」
声を聞く限りでは、追いついた時点で恐ろしい結末が待っているのが目に見える。
明美はひたすら前に前に進んだ。
息も切れ心臓も悲鳴を上げるが、構ってはいられない。
後ろにあるのは地獄だからだ。
延々と続いていた森から光が差し、明美の目の前には神社が現れた。
明美は後ろに目を向ける。慧はまだ森の中で、姿を隠すにしても時間は十分あった。
神社の階段を足早に駆け上がり、神社の隅に来て腰を屈める。
「ここね……」
明美が板を動かすと、簡単に持ち上がった。
二枚板を外すと明美の体型でも通れるスペースになった。
そこが言流がいうか隠れ場なのだ。彼が怪談話などを友達と話すときに使うという。
明美はすぐさま暗い空間の中に身を躍らせた。そして板を忘れずに元の場所に戻した。
中は真っ暗で、かろうじで板の隙間から入ってくる光だけが頼りだった。
「くそ! あの女どこに行きやがった!?」
その直後、慧の荒々しい声が明美の耳に飛び込んだ。
念のために明美は口を両手で塞ぐ。
彼の乱暴な言動が一層増しているようにも感じた。年下の自分が注意したことが気に触ったのだろうか。
慧は神社の周辺を探しているようで、大きな物音が聞こえてきた。神社の物を壊していると明美は推測した。
音で明美をおびき出そうとする。いかにも慧がやりそうなことだが、身を潜めている当の明美は決して乗らなかった。
……バチ当たりね。
明美は内心で毒づく。
額からは汗が流れ、明美の顔は熱くなり、喉も渇いてきた。
今日の気温は高く夏服でも暑いと感じる。
慧の荒っぽい足音はまだ続いている。
……早く行ってくれないかしら。
明美は慧が神社から離れることを祈った。
座り込んでいるだけで、足が痺れ、全身が疲れてくる。
やがて慧の足音が徐々に遠ざかり、神社には静寂が戻ってきた。
明美の姿が見つからないため、ようやく諦めがついたようだ。
少しの間待って、明美は板を上げて辺りを伺った。視界に入る限りでは慧の姿はどこにも見当たらない。
……大丈夫よね?
明美は周りを見ながら、外の世界へと出た。
どこかで慧が待ち伏せしていると考えるだけで怖い。
「……っ!」
神社を見るなり、明美は絶句する。
何故なら、明美の想像通り木の扉や柱は折れていからだ。
明美の背筋は凍りつく。自分が慧に見つかっていたら壊れた建造物と二の舞になっていたに違いない。
……ここから離れた方が良さそうね。
明美が一歩を踏み出そうとした矢先だった。
「オレから逃げられると思ったか?」
最も聞きたくない声がした次の瞬間、明美は強い力で引っ張られた。
その反動で明美は尻餅をついた。
「テメエ、よくもふざけたマネをしやがったな」
慧は明美を見下ろしていた。
制服を掴まれており、逃げたくても逃げることができない。
明美の全身が硬直して動かなくなっていた。


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