過去から現代に戻り、スピカは痛む全身を起こし、ハンスを眺める。
 「あの時わたしを撃ったのはあなただったのね」
 「感謝してもらいたいね、お姉さまが何人もの人を殺しまくったせいで、もみ消すのにも一苦労したんだよ」
 ハンスは両腕を組んで、嫌味を口走った。
 「銃なんてあの時初めて使ったよ、本当ならお姉さまを得意の剣で殺している所だったんだけど、警察官のフリをしなくちゃいけなかったからね」
 スピカは気絶した後、警察に連行され五日間ほど牢屋の中に入れられていたものの、永久に街への出入り禁止という罰則を受けた後に釈放されたのだ。
 罪の重さから死刑を覚悟していたが、生涯街の出入り禁止だけで話が済み、心の中でほっとした。しかし数多くの人間の命を自らの手で奪った事実は忘れてはいない。
 時には思い出すが、重い罪悪感で心が一杯になり生きる気力を失うため、記憶に鍵をかけているのだ。
 「釈放も闇の集団のお陰なのね?」
 「そうさ、お姉さまにはまだ生きてもらわなければならなかったしね、ついでに言っておくけ闇の集団のアジトはあの街にもあったんだよ、お姉さまの仕事ぷりや行動なども私は見ていたよ、本当にクソ真面目にやってたんだね。感心しちゃうよ」
 「そう……だったの」
 スピカは地面を見下ろした。四年前にもハンスと再会できる機会が転がっていたはずなのに無かったのが、今更ながら悲しかった。
 「……わたしを生かす理由は何なの?」
 しばらくの沈黙の後、スピカは訊ねる。
 ハンスは鬱陶しそうに漆黒の髪を払う。
 「それはだね……」
 ハンスが過去に関する重要な話をしようとした途端に、風船が割れる破裂音が響き、三秒の内に白い煙が部屋全体に広がった。
 あまりに突然の事に、スピカは瞳を閉じて咳き込んだ。
 「う……げほっ……なんだい……これは……げほっげほっ……」
 ハンスも咳き込み、困惑する。
 どれだけ剣の腕の良い彼でも、煙の脅威には勝てないのだ。
 ……これは、まさか……
 スピカの脳裏に、一つの考えが閃く。この煙はエレンの仕業だと。
 鼻に付く薔薇の香りがそうだ。エレンは薔薇が大好きだからだ。殺人鬼の脅威からスピカを守るために特製の煙幕をまいたのだ。
 彼女は人を癒すだけでなく、人を守るための薬の調合にも力を注いでいる。過去に二度ほど、煙のお陰で難を逃れた事がある。
 軽く小指で肩を突付かれ、スピカは上を向き、薄っすらと目を開く。
 茶髪に緑色の瞳の少年が立っていた。アディスだった。
 「アディス……」
 「エレちゃんと一緒に助けに来たよ、大丈夫か?」
 アディスのスピカは首を横に振り、「体中に怪我をしているの」と言った。
 「それより、あなたはこの煙は平気なの?」
 スピカは声を抑えて聞いた。煙の中を平然とした顔を動けるのはあり得ないからだ。こうして話しているだけでも、目が痛む。
 「エレちゃんから煙避けの薬を貰って飲んだからね、スッピーも飲めば平気になるさ」
 アディスは身を屈め、ポケットから皮袋を取り出し、小さな青い玉をスピカに見せる。
 エレンは長所を伸ばし、弱点をきっちり克服する性分の持ち主で、便利な薬を作ると共に、煙に伴う負担を無にしたのだ。この点では友を褒めたい。
 アディスがピンピンしている裏腹に、ハンスは未だに煙で苦しんでいるのだ。
 「一人で飲める? 何だったらオレが口移ししてあげようか?」
 「なっ……何いってんのよ! 一人で飲めるわ!」
 「ははっ、それ位元気なら心配いらないな」
 スピカは顔を真っ赤にして、アディスから薬を受け取り、口の中に放り込む。
 もしここで「一人で飲めない」と答えたならば、アディスのことだ。彼の性格を考慮すれば本当に口移ししかねない。
 しかし、アディスのからかいも、精神面で疲れきったスピカには心地よかった。
 「急いでこの場を離れましょう、エレンはどこ?」
 薬を体内に入れ、スピカは真剣な口調でアディスに訊ねる。
 段々と煙が薄くなってきており、いつまでもこの場に留まるのが危険だからだ。
 エレンの努力を無駄にしないためにも、一秒でも早くこの場から離れること最優先だ。ハンスから聞きたいことが山ほどあったが、仲間を巻き込みたくはない。
 ハンスにまた会えなくなるのは悲しいが、命あれば再会できる。スピカは自分に言い聞かせた。
 長い間捜し求めていた弟と会えただけでも十分な収穫である。
 「大きな扉があったよね? あそこで待ってるよ」
 「悪いけど肩を貸してもらってもいい? わたし一人じゃ立てないの」
 「スッピーのためならお安い御用さ」
 アディスの肩に手を回し、スピカは立ち上がる。
 全身に痛みが走り、声を出したくなったが、アディスに心配をかけまいと声を押し殺す。
 「大丈夫?」
 「大丈夫よ歩けるわ、体は痛むけれどあなたの足手まといにはならないように努力するわ」
 アディスの問いかけに、スピカはさらりと返す。
 もう痛みに構ってはいられなかった。急ぎ足でエレンの待っているで扉へ向かった。ハンスの咳も段々と減っていた。数分も経たない内に動き出すに違いない。
 薬のお陰で白い煙が立ち込めているにも関わらず、目を開けていても平気だった。
 二人はハンスから距離を取り、大きく半円形を描くように進む。途中で血まみれのレリィアの遺体が視界に入り、スピカの胸の奥がちくりと痛む。
 「……ごめんね、レリィア」
 スピカは静かに謝罪した。アディスもレリィアの遺体を見て驚いていた。
 レリィアは性格が悪かったが、並の賞金稼ぎには負けない腕を持っていた。そんな彼女が死体になっているのだから、当然の反応である。
 「レリちゃんに何があったんだ? まさかスッピーが退治しようとしていた殺人鬼にやられたのか?」
 「ご名答、詳しくはここを無事に抜け出してから話すわ」
 アディスだけではない、エレンにも話をしておきたかった。今日分かった事を全て。
 依頼破棄によって自分のプライドに傷が付くが、命を落とす事に比べればはるかにマシである。
 しばらく進むと、扉と、エレンが静かに手を降っているのが見えた。
 二人はエレンと合流し、急いで塔から脱出した。
 
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