「スピカ、一つだけお願いがあるの」
 スピカは箒を手に持ったままサヤの方を向いた。サヤは膝で丸まっている猫を撫でていた。猫のお腹は大きい。もうすぐ新しい生命が誕生するのだ。
 「何? わたしにできる事なら遠慮せずに言って」
 サヤはありがとう、と礼の言葉を述べて微笑む。月の明かりが彼女の暖かな笑みを写す。
 「もし私に何かあったら、ケイトを頼むね、私の家族だから」
 ケイトとはサヤの膝にいる猫のことである。
 どういう訳かスピカにはなつかないが、サヤには心を許している。サヤが眠る時はいつもケイトが一緒である。 
 サヤが自らの口から不吉なことを言い出すなど、今まで無かった。
 不安を感じスピカは訊ねた。
 「どうしたのよ急に……縁起でもない」
 「もしかしたら私が仕事に出た時に、この子が子供を産むかもしれない、って思って心配になったの」
 「お金のことなら平気よ、あなたは仕事をしなくていいからケイトの面倒を見て」
 スピカはサヤを勇気付けるように言った。二人の生活費だけでなく、今度は猫たちの餌代も稼がなければならない。生活に困らないようにスピカはできる限り高額の仕事を選ぶようにしている。
 高額なだけに仕事の内容も困難だが、友達のことを考えるとやむ得ない。
 しかしサヤは首を横に振る。
 「スピカにばかり苦労させられない、私も働くよ、いい仕事を見つけたんだ」
 サヤはスピカの首筋にある青い痣を見た。前回の魔物退治の仕事で負ったものだ。傷は大分回復したが、スピカにこれ以上無理させたくないのだ。
 「今度は盗賊退治なんだけど、良いかな」
 サヤはテーブルの上に置いてある紙に目をやった。スピカも一通り目を通した依頼書だ。依頼書は賞金稼ぎが任務を請け負うときに必要な書類である。
 サヤが請け負おうとしているのは盗賊退治の任務だ。
 人数は二十人以上いる。お金は良いが二人の女子だけでやるのは、あまりにも危険。
 「かなり危険度の高い任務よ、わたし達だけでやるのは自殺行為じゃないかしら、サヤは戦うの苦手でしょ?」
 「心配しなくても平気よ、ギルドが腕のいい人を無償で三人手配してくれたの、私とスピカを合わせて五人になるよ」
 「……話がうま過ぎるわね、腕のいい人間を手配するなんてあり得ないわ」
 スピカはギルドのシステムを知っていた。腕の立つ人間と共に任務を遂行するには、自腹で雇うしかない。ギルドは任務や腕の立つ人間は紹介するが、無償で人を手配するなど聞いたことがない。
 「スピカが知らないだけで、ギルドはどんどん便利な方向に変わってるのよ」
 「だと良いけど」
 友達が安心させようとしても、スピカの気持ちは晴れない。
 うまい話には必ず裏があるからだ。不安は拭えなかった。
 サヤは人を疑うことを知らない。簡単に言ってしまえば素直なのだ。彼女の性格が災いし、上手い話に乗せられやすい。
 前に壷があれば毎日幸せになれると言って、口車に乗せられ高額な壷を買ったことがあるのだ。その壷は花瓶として活躍しているが、幸せになるどころか壷を購入したため、財政が厳しくなり、生活が苦しくなったのだ。
 あんな過ちは二度と犯したくないのが本心だ。騙されて損をするのは自分達だからだ。
 過去の苦い痛手を忘れ、サヤは爽やかに微笑む。
 「スピカは心配し過ぎよ、相手をもっと信じていいんだよ」
 「そう……だけど」
 スピカは返事を濁す。
 サヤはスピカの表情を見て笑顔が曇った。友達が話を信じてくれないのが悲しいのだ。
 「私の話が信じられないの?」
 「そんなことないよ、ギルドがそこまで世話をするなんて珍しいなって思ったの、疑ったりしてごめんね」
 スピカは謝った。本心では疑いが晴れたわけではないが、友達のサヤを傷つけたくなかったのだ。サヤの言うようにギルドが賞金稼ぎにとって働きやすい方向に変わっているのかもしれない。もしそうだとすれば疑うのは間違っているのだ。
 「任務は明日だから、早起きしてちゃんと朝食は食べようね、あと武器やアイテムの点検もしよう」
 「うん」
 サヤがいつものように気遣い。スピカは短く返事をする。
 スピカの謝罪にサヤは安心したのだ。その証拠に表情が晴れていた。
 サヤは猫を抱いたまま、ベットのある部屋に向かった。
 「お休み、掃除もいいけど早く休んでね」
 「明日は頑張ろうね」
 サヤは軽く手を振り、扉を閉める。
 
 この時知らなかった。ギルドで紹介した三人が実は盗賊の一味で
 わたし達を裏切った上に、サヤを捕らえるなんて……

 広い部屋には息絶えた骸が複数転がり、壁には鮮血が大量に付着し、地面も朱の池を作る。
 「待ってくれ! 俺が悪かった! だから命だけは助けてくれ!」
 男は目の前に迫る恐怖から逃れようと、後ろに下がる。
 男を殺そうと、スピカはじわじわと男と距離を縮める。スピカの服は血に染まり、武器である短剣も同様だった。
 スピカが部屋の凄惨な光景を作り出した張本人で、男が怯えるのもそのためだ。
 「今更命乞い? おまえはサヤを苦しめた挙句、殺したじゃない」
 スピカは掌についた血を舐めた。
 友達のサヤは、男が率いる盗賊に心臓を突き刺されて殺害された。それも生きたままナイフで体を切り刻むという残虐行為をやった上である。
 スピカは友達の悲痛な断末魔をこの場で聞き、怒りが頂点に達し、友達を苦しみに追いやった盗賊を自らの手で抹殺した。
 この部屋に来るまでの道のりには、二十人もの盗賊がいたが、全てスピカ一人で倒した。友達を助けるために必死だったからだ。しかし努力もむなしくサヤは命を救えなかった。
 残るはあと一人、この男を倒せば全てが終わる。
 「命を持って償いなさい」
 冷え切った声が、男の死刑宣告となった。
 太い首にスピカの短剣が食い込み鮮血が噴き出し、その間にもスピカは腹部と胸に刃を刺す。数秒もしない内に男は動かなくなった。
 スピカの望みどおり、自らの手で盗賊達を全て抹殺した。しかし心の痛みは消える事がない。
 スピカはサヤの近くに来た。戦いを終えたことを言うために。
 「サヤ……仇は取ったよ」
 寂しさを含んだ声で話した。サヤは恐怖で目を見開いたまま息絶えていた。スピカは震える手でサヤの瞳をそっと閉じさせる。
 近くにいながら助けてあげられなかったことが悲しかった。目的を達成できなかった。サヤは苦楽を共にした友達でもあり、賞金稼ぎの相棒だった。
 「ごめんね……助けてあげられなくて……」
 紫色の双眸から涙が零れるが、拭わなかった。
 サヤにはもう永遠に会えない。どんなに願ってもサヤは笑わない。遺体となった盗賊の手にかかり彼女は死んだのだ。
 サヤは戦いが苦手だったが、動物には優しく、捨てられた猫を保護してずっと可愛がっていた。猫が成長しもうすぐ子猫が誕生するのを楽しみにしていた。
 「どうして……あなたが死ななければならないの……?」
 何故こんな形でサヤの未来を奪われなければならないのか? 問いただしても凄惨な部屋に答えは転がっていない。
 ……憎いか? お前にこんな展開を用意した運命が
 スピカの脳内に、聞いた事の無い声が何の前触れもなしに響いた。背筋が冷たくなるほどおぞましいが、スピカは聞き入る。
 ……だったら全てを破壊するがいい、それがお前に課せられた使命だ。
 声の主の正体は分からないが、聞いている内に心の奥底に秘められていた黒い感情が溶岩のように沸いてきた。
 憎悪、苦痛、絶望がスピカの心をじわじわと侵食する。暖かい感情が急速に飲まれてゆく。
 サヤが死ななければならない運命など許せない。例え神様が決めたとしても。
 声が誰であろうと、どうでも良かった。
 「全て破壊してやる。サヤを殺した報いは必ず受けさせる」
 憎しみの炎が瞳に宿り、スピカは低い声で囁く。
 血に染まっているサヤの武器であるこん棒を握り締め、その場を後にする。
 スピカの瞳は虚ろで、いつも輝いている顔から感情が消えていた。友達を失った苦痛はそれほど大きい。
 スピカは去る際、建物に炎をつけた。紅い紅蓮の炎が物凄い速さで建物を覆ってゆく……
 憎い盗賊を葬るために。
 そして、友が天国に行けるように。
 
 友の気持ちを踏みにじった元凶を叩くべく、スピカはギルドに繋がる道を進む。
 盗賊退治の紹介ではなく、友殺しの罠に陥れた憎い場所へ。

 心の安らぎを一瞬で失ったことは、悲しくて、悲しくて……両親と弟を失ったのと同じくらいに辛かった。この時のわたしには、他のことを考える余裕は無かった。
 全てが憎くて、穢れて見えた。
 
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