「やっとオマエに会えるな」
アークは窓辺から外を眺め、嬉しそうに囁く。
彼が出会いたい人物と再会できるからだ。
残っているワインを飲み干し、テーブルに置くと、近くにあるピアノに行き演奏を始めた。
大切な戦いの前には、ピアノを弾くのだ。
ピアノは長い時を生きてきた彼にとっての癒しである。弾いているのは彼が最もお気に入りの曲だ。
アークは瞳を閉じ、意識をピアノに向けた。
夜の海を眺めていたスピカに、突然異変が起きた。
その足音が、スピカに近づいてきた。
「長い夢はどうだったかな?」
聞き覚えのある声に反応し、スピカは後ろを向くと、そこにはチェリクが立っていた。
……いや、見た目はチェリクだが、顔つきや声色は別人である。
スピカが知るチェリクは温厚だが、目の前に映る少年はそれを感じさせない。
スピカは生唾を飲み込み、言葉を出した。
「……久しぶりねアーク、相変わらずわたしの仲間を巻き込むのが好きなのね」
「こいつは波長がオレと合っているからな、意識を乗っ取るのは簡単だよ、オマエとは軽く挨拶しておきたくてな」
チェリクの体を乗っ取ったアークは笑みを溢す。
何の前触れも無く、アークはチェリクの体を乗っ取る。彼の言うようにチェリクは波長が同じで乗っ取り易いのである。
チェリクは生まれつき魔力が高く、将来は優秀な魔導士になれる素質を持っている。ただ力が強すぎるあまり、アークに体を乗っ取られることもしばしばだ。
それも何の前触れも無いので、気づいた時には、チェリクでは無くなっているのだ。
「あなたお陰で素敵な世界を満喫できたわ、わたしを闇の集団にでも引き込みたい訳?」
スピカはアークに質問を投げかける。
ハンスと一緒に闇の集団での生活を営んでいたことを、はっきりと記憶している。アークと会話をしている時点でも、目覚めた世界が、実は偽りなのかと思えてしまう。
今の世界が夢であり、本当はまだ眠っていてハンスと共に闇の集団にいる。誰かに話したら笑われてしまいそうだが、スピカは密かに甘い妄想を抱いていた。
「何か勘違いをしているが、オマエが見たのは全てオマエの願望によって作られた幻だ。今の世界は現実だ」
アークは言い捨てた。その言葉にスピカの気持ちは冷めてしまった。世の中は甘くないと痛感した。
「もう一つの世界」は目を覚ましてからは見ることができない、アメリアの魔法によって幻は終わってしまった。仕方のないことだ。ちなみに「もう一つの世界」とはスピカが名づけた。
ハンスとの思い出を忘れないために。
夢であっても、ハンスと過ごせた世界を忘れることはない。
「はっきり言ってくれるのね、わたしはあなたの組織に入れるのだと思い込んでいたわ」
船が揺れ、スピカの足元がふらついたが、転倒せずに済んだ。
揺れによって、スピカは現状がどうなっているのかを思い出して、気を取り直す。
最悪の敵を前にして、隙を見せることはできない。一瞬の気の緩みが命取り。
スピカは今まで溜め込んでいた疑問をぶつける事にした。
「一つだけ答えて、どうしてわたしを殺さなかったの?」
スピカの問いかけに、アークは黙り込む。その間波の音だけが響く。
夜のため、外に出歩く者が少なく、討伐隊にとって倒すべく敵が直ぐ近くにいるのに気付く者はいない。
アークはふふっ、と鼻先で笑い、スピカは不愉快な気持ちになった。
見た目はチェリクだが、中身がアークなので余計に腹が立った。体を乗っ取るなどしないで正々堂々と出てきてほしかった。
額に手を当て、アークは答えた。
「オマエがハンス同様に面白い駒だからだ。でなければオマエなど消している」
アークは怪しげな眼差しを見せた。
我慢しきれず、スピカはトンファーを抜く。
「本当のことを言いなさい、あなたの言葉が偽りなのは分かってるのよ!」
スピカは声を荒げてトンファーを前に出したが、それ以上動かなかった。チェリクを傷付けたくなかったからだ。
「そう急かすな、真実はオマエが行く先に待っている。さっきも言ったように挨拶に来ただけだ。オマエと戦う気は無い」
アークは悪意に満ちた目を光らせ、人差し指から緑色の炎を出した。一瞬だけ炎が輝く。
次の瞬間、海から水しぶきが上がり、巨大な竜が現れた。
竜は船を揺るがす雄たけびを発した。
「その代わりこいつを相手にしてもらおう、俺の部下を数多く葬ってきたオマエになら簡単に倒せるよな」
大きな音を聞きつけ、討伐隊の仲間が甲板に駆けつけてきた。その中にジストの姿はない。
と、思いきや、ジストはアークの真上から奇襲を掛けた。ジストの武器であるヌンチャクがアークの体に直撃しそうになった所を、アークは素早くかわした。
ジストのヌンチャクは地面にぶつかり、木の屑が飛び散る。ジストは表情を歪めて舌打ちをする。奇襲に失敗したことが悔しいのだ。
「ちっ、外したか」
ジストは舌打ちをした。
アークは高い場所に降り、余裕の表情で一行を眺める。
「待っているぞ、くれぐれもこんな所で死ぬな」
開いていた瞳がゆっくりと閉じ、アーク……いやチェリクは地面に倒れた。スピカはすかさずチェリクの元に駆け寄る。
チェリクはスピカの腕の中で目を覚ました。
「大丈夫?」
スピカは声をかけた。チェリクは指先に力を入れて起き上がった。
「……僕はまたアークに乗っ取られたのですね?」
チェリクは思いつめた瞳を見せた。周りは大勢の仲間と巨大な竜がいて、明らかに異常事態だからだ。
「あなたは悪くないわ、自分を責めないで」
スピカはなだめるように言った。チェリクは周りの空気に過敏で、悪い事が起こると必要以上に自責の念に駆られる。
両手で頭を抱え、チェリクは震えた。
「ごめんなさい、僕のせいで……」
チェリクは弱々しい声で謝罪した。アークに乗っ取られている時は、魔力を大量に消耗する。
今回のように敵が近くにいる場合は、戦わせない方が懸命。
「チェリク、あなたはゆっくり休んで、後のことはわたしに任せて」
「……はい、宜しくお願いします」
チェリクを静かに地面に置き、スピカは仲間と合流し、竜との戦いに挑んだ。
仲間を守るために。
スピカは進む、夢から現実に。
そこにはハンスはいないが、果たすべき任務がある。
闇の集団ではなく、討伐隊にいる。
もう一つの世界は消え、時間は未来へと流れ始めた。
もう一つの世界・完
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