霧のかかった空、薄っすらと見える山の数々、スピカはチェリクと共に流れる景色を眺めていた。
 二人を乗せた船は、闇の集団のアジトに向っていた。二人以外にも大勢の討伐隊の人間が乗っている。
 「スピカさん、体の方は大丈夫ですか?」
 「十分休んだから平気よ」
 スピカは苦笑いを浮かべる。
 船に乗るなり、部屋に入って三時間ほど眠り込んでいた。リハビリを兼ねた実戦訓練と、今回の任務の準備に追われ疲労が溜まっていたのだ。
 「あなたこそ、船酔いはしてない?」
 「薬を飲んでますので、今の所は何とも無いですよ」
 チェリクは言った。
 彼は乗り物酔いを起こし易い体質のため、船に乗ると必ず酔うのである。
 チェリクは頭を軽く振り、スピカの方を見た。
 「……僕はスピカさんが心配なんです。アメリアさんが除隊処分になってから、元気がないですから……」
 その話に差し掛かると、スピカはひどく悲しい気持ちになった。
 チェリクが駆けつけた後、数人の上官も現れ戦いは中断になった。その後アメリアは討伐隊から追放されてしまったのだ。友達の処分を軽くしようとスピカは何度も上官を説得したが、結局はアメリアの運命を変えることができなかった。
 アメリアと争う原因にもなった闇の集団の証を上官に見せようとしたが、何事も無かったように証が綺麗になくなっていたのだ。
 出て行く際に見せた、アメリアの表情を今でも忘れられない。
 冷たく、そして憎しみに満ち、最初に出会った頃の友愛の感情を感じさせなかった。
 あれから二週間が経つが、やりきれない思いで一杯だ。
 「……」
 スピカは空を見上げ、瞳を閉じる。
 どんなに変わってしまっても、アメリアは五年付き合った友達だった。結末がどうであれ、築いてきた過去を否定することはできない。
 彼女がおかしくなったのは、スピカがアメリアの恋人を殺したことが原因なのだ。もしも事件など起こしていなければ、違った結果で終わったのかもしれない。
 チェリクは近づいてきた長身の男に、頭を押さえつけられた。
 「少しは相手の気持ちを察しろよ、今はその話をする時じゃねえだろ?」
 男はチェリクの髪を回しながら言った。
 男の登場にスピカの憂鬱な気持ちは更に深まった。灰色の短髪に同色の双眸、焼けた肌、スピカが苦手とするジストである。
 「……あなたの顔を見て、一気に十年分の記憶が蘇ったわ」
 スピカはジストを見るなり、暗い表情を浮かべ、嫌味を口走る。
 それを聞くなり、ジストは顔を赤くして怒った。
 「久々に会っておいてそれかよ」
 「ごめんね、船酔いで気分が悪いの……それで何か用?」
 スピカは口元を押さながら訊ねた。
 彼とは同僚の関係にあり、任務の際たまに組むが、彼を嫌うのは性格が合わないのも理由の一つだが、初めて会った時に、体格の事を露骨に否定され、今でも根に持っている。
 必要な時以外は距離を置いて接しているが、ジストから話しかけてくる場合は、任務に絡む会話が多い。
 「他でもねぇ、今回の仕事のことだ。お前空白期間が長かったから、戦闘ができるかどうか気になってな」
 ジストはぶっきらぼうに言った。
 「馬鹿にしないで、ちゃんと実戦訓練はしたから足手まといにはならないわ」
 「船に乗って三時間も眠ってるのに、強気になられちゃ困るな」
 ジストはスピカの細い腕を掴み、引っ張って歩き始めた。唐突な展開にスピカは戸惑う。
 振りほどこうとするが、相手の力が強くとても叶わない。
 チェリクの事が気になり後ろの方を向くと、本人は髪型を整えるだけで精一杯だった。
 「ちょっと何すんのよ」
 頬を紅く染めてスピカは怒鳴る。
 「お前と戦ってやるんだよ、本当に元通りになったのか気になるしな」
 「止めてよ、わたしはそこまで落ちぶれてないわ」
 周囲の視線が注がれるが、スピカは気に留めない。
 討伐隊の中で一番嫌いな相手と、訓練でも戦うと考えるだけで気分が参りそうである。
 ジストが戦う機会は過去に何回かあったが、理由をつけて断ってきたが、今度ばかりは避けられないようだ。
 歩いている最中にジストは寂しげに呟く。
 「アミィからお前のことで相談を受けてたんだよ」
 「え……?」
 スピカは瞳を見開いた。アミィとはアメリアの愛称のことだ。
 ジストとアメリアは仲が良く、いつも楽しげに会話をしている様子を何回か目撃している。
 彼もアメリアが脱退して寂しいのかもしれない。
 「彼女は何て?」
 「訓練が終わってから言うよ」
 それからしばらくの間、二人の間には会話が出てこなかった。
 嫌いな人間とは極力話さない方が、お互いのためである。
 スピカからすれば早く訓練を済ませ、アメリアのことを聞きたいし、ジストとも別れたかった。
 
 船の地下にある修行場で、スピカはジストと実戦を交えた訓練を三十分ほど行った。ジストの動きが素早く、ついていくのが一苦労だった。
 ジストに「動きが遅い」と指摘され、スピカはムッとした表情になった。
 分かってはいても、折り合いの悪い人間に言われると不愉快である。
 訓練を終え、スピカは壁に寄りかかって休んでいた。
 「動作を除けば、実戦には問題無さそうだな」
 「調子が戻ったらあなたを倒してあげるわ」
 スピカは隣にいるジストを睨む。
 「それ位元気なら、今日の任務も大丈夫だな」
 ジストは口元を緩めた。
 内心では、スピカに勝ったと思っているのだ。
 「約束よ、アメリアのことを聞かせてくれる?」
 「せっかちだな、そんなに急がなくてもいいだろ、少しは休ませてくれ……」
 ジストが最後まで言い切らないうちに、スピカは立ち上がり彼の胸倉を引っ張った。
 「早くしなさい、こっちは強引な誘いに付き合ってあげたのよ、アメリアのことを知りたい一心でね」
 スピカの言葉には毒気が篭っていた。
 ジストと修行をしたのも、友のことを聞くためで、彼自身のことには興味が沸かない。
 言い方は悪いが、情報を聞き出せば、ジストには用がないのだ。
 さっきまで陽気だったジストの表情が、恐怖に満ちていた。スピカは自覚していないが怖い顔をしているためである。
 「わ、分かったよ、言うから離してくれよ」
 「最初からそうして」
 スピカは乱暴にジストを放した。ジストはスピカから距離を取り、身なりを整えた。
 「……で、アメリアは何て?」
 「アミィはお前が闇の集団と関わりがあるんじゃないかって、ずっと悩んでいたんだ。長い間付き合ってきた仲なのに、敵の片棒を担いでいるかもしれないって」
 スピカの心臓が高鳴った。アメリアの言っていることは間違っているとはいえない。
 今は見えなくなった紋章もそうだが、アークに生かされたことも大きな要因だ。
 もし、夢の中のようにハンスと一緒に闇の集団に入っていれば、討伐隊と戦っていたからだ。
 「お前を救うための研究を進める反面、助けていいのか迷っていたんだ。助けたら助けたで闇の集団に寝返るんじゃないのかってな」
 話している間、ジストは思いつめた顔をしていた。
 アメリアがどんな顔で彼に相談したのかが伺える。酷い顔だったに違いない。
 「つまりアメリアはわたしが闇の集団の一員になる分子を持っているから、わたしを友達のまま殺そうと決めた。そうでしょ?」
 スピカが問いかけると、ジストは黙って頷く。
 「誤解しないで欲しい。アミィはアミィなりのお前のことを思っていたんだ、アークに色々吹き込まれて、自分の考えを見失ったんだ」
 「わたしも信じたいわ」
 ジストの言葉は最もだった。チェリクから聞いた話だと、アークから事実を知らされた後でもアメリアはスピカを目覚めさせようと献身的に治療を続けたという。
 考えてみれば、単に自分の目的を果たそうとしただけかもしれないが、生きているのもアメリアのお陰だ。彼女の力が無ければ現実世界に戻ってこられなかった。
 スピカの瞳から涙が溢れた。ハンスを失った時と同じ喪失感が駆け巡る。もう会う事もできないし、一緒に楽しくお喋りすることもできない。
 「スピカ……?」
 ジストがスピカの様子を気にして、近づいてきた。
 乱暴に涙を拭い、気持ちを必死に抑える。彼にだけには泣く姿を見られたくない。
 「大丈夫よ、すぐにアメリアのいない生活にも慣れるわ、話してくれて有難う」
 スピカはジストと顔を合わせず、そのまま修行場を後にした。
 ジストが背後から何か言っているのだが気に留める余裕が無い。今は一人になりたかった。
 人気の無い甲板で、スピカは声を殺して泣いた。ジストの話を聞き改めて失った友の存在の大きさを実感した。
 アメリアに代わる回復役はいるかもしれないが、友達は彼女しかいない。
 取り戻せないことが悲しかった。
 
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