スピカは酒を飲んでいる母に、自分の思いをぶつけた。
分かっていた。母が本心で言ってないことを……
だが、それを差し引いても、母の言葉を黙って聞いていられないほど、我慢ができなくなっていたのだ。

なので母にはっきり言った。傷ついていること、悲しいことを。
最後には、暴言ばかり吐く母が嫌いだと。

痛む胸が少しはスッとしたが、気持ちは収まらない。
家を出て、母のいない遠い場所へ行こうと決めていた。

それから三年後、スピカは母と再会した。
皮肉にもハンスと戦っている最中に。母はハンスの動きを止めて、スピカの窮地を救ってくれたのである。
それだけでなく、母の口からスピカに言った事を後悔をして、謝罪もした。

母はハンスの一撃からスピカを庇う形で命を落とし、最後にはこう言った。

『スピカ……良いお母さんじゃなかったけれど……あなたもハンスも愛していたわ』

母の遺言が頭を過ぎり、スピカの瞳には涙が流れる。
重い袋を地面に置き、涙を拭う。
「どうしたんだよ」
泣き出したスピカに戸惑い、アディスは声を掛ける。
涙が目に溜まったまま、スピカはアディスの方を見る。
「ごめんね……急に泣いたりなんかして……お母さんのことを思い出しちゃったの」
スピカは鼻をすする。
「……わたし……お母さんにとって良い娘じゃなかったなって……」
「スッピー……」
スピカは話を止めなかった。
「お母さんは……離婚してからもわたしを育てるために必死に働いていたの……疲れから愚痴も溢していたけど……
なのに……わたし……酷いことを言って……」
母がいなくなってから、三年前に母にぶつけた言葉を後悔していた。
謝罪したくても、もう母はいない。
「本当は……優しい人だったの……分かってたのに……わたしは……」
母はスピカとハンスに愛情を分け隔てなく与え
時にはビリーの母親のように、厳しく叱ったこともあったが、スピカは母が大好きだった。
もう会えないのは寂しい。
母が生きていたら、花嫁姿も見せたかったし、子供も抱かせてやりたかった。
なのに、それすら叶わない。

「……オレもさ、幼い頃にお袋を亡くしてるんだ」
アディスが小さな声で話し始めた。
スピカは赤く腫れあがった目を見開く。
「六歳だったかな、兄貴ばかり構うお袋に嫌気が差してんだ。兄貴は成績優秀で聞き分けが良くて親父とお袋に可愛がられてた。それに引き換え、オレは兄貴とは違うからちっとも構ってもらえなかった」
彼の声はいつもと違って暗い。
アディスの過去はちょっとだけ聞いたことがあるが、深い部分に触れるのは初めてだ。
「オレさ……構ってもらいたくて……お袋に言ったんだ。あんたなんか大嫌いだ。死んじゃえ! ってな」
アディスの表情は沈んでいる。
「オレはその後、山奥に隠れて誰かが探しに来ないか待っていたんだ。夜になってもずっとな……単に振り向かせたかっただけなんだ。本当に死んで欲しいなんて思って無かった。でもな……」
額に手を当て、アディスは目を閉じた。
「お袋は、オレを探すために山に登っている時に足を滑らせて死んじまったんだ。オレに対する天罰なんだなって……
親父にはぶたれるし、兄貴には軽蔑されるわで、その後の生活は最悪だった」
悲しい話に、スピカは言葉を詰まらせる。
アディスも悪気があって口走った訳ではないが、結果としてアディスの母は亡くなってしまった。
アディスにとって辛く、苦い記憶。
想像するだけで胸が張り裂けそうだ。
「すげー後悔したよ、どうしてあんな事を言ったのか……今でも思い出す」
「そんな……ことが……」
「だからさ、スッピーがどんな気持ちか分かるんだ」
取り戻せない痛みを彼も抱えている。スピカはそう思った。
アディスとスピカにあるのは肉親に酷い言葉を投げかけ、謝罪したくても、もう相手がいない。
スピカもアディスと同じ気持ちが確かにある。

「だからさ、しっかり生きようと思ったんだ。命を粗末にしたら天国にいるお袋に怒られるからな」
アディスは空を見上げた。
透き通った青空に、白い雲が流れる。
スピカもつられて空を眺めた。向こうの世界に家族はいる。
彼が言うように、命を大切にしなければ、両親とハンスは良い顔をしない。
過去は消せないが、未来を生きることはできる。それがアディスの答えのようだ。
前向きな彼らしい。
「あなたらしいのね、見習いたいわ」
彼の横顔をスピカは見据える。
「この答えを探すまで時間がかかったけどな」
アディスは片目を閉じた。
明るい彼の考え方に、スピカの胸は熱くなる。
これから討伐隊に入り、悪をつぶすだけで無く、弱い人たちを守る。
悔いのないように生きれば家族は喜んでくれるはず。
「……わたしはまだ答えを出せないけど、これから探せばいいよね?」
スピカは薄っすらと笑った。
「スッピーが納得する答えが見つかればそれで良いんだよ」
「そうよね……」
冷たい風が吹き、黒い髪が頬をくすぐる。スピカは髪を手で押える。
「わたし……精一杯やってみるわ」
スピカは囁く。
アディスはそれを聞き、ようやく明るい笑みを浮かべる。
「そうでなくっちゃな、人生を無駄にしちゃバチが当たるよ! お互い頑張ろう!」
元気な声でアディスは言うと、スピカの肩を軽く叩く。
「よし、売り切れないうちにショートケーキを食いにいこーぜ!」
荷物を手に持ち、アディスは走り始めた。
突然走り出した彼に、スピカは戸惑う。
「ちょっと待ってよ!」
スピカは両手の荷物を持ち、彼の後を追う。
スピカの胸からは、悲しみが消え去っていた。


お母さん。

わたしはあなたが大好きでしたし、愛していました。

素直に言えなくてごめんなさい。

わたしは良い友達に恵まれたから、心配しないでね。


1 戻る


inserted by FC2 system