風紀委員は少年と過ごす 作者:ねる

「どう、リハビリは進んでる?」
『順調だよ、大分歩けるようになったわ、最近では太一と一緒に売店に行けるようになったの』
明美は部屋で妹の緑と会話を交わしていた。
緑は長い間意識不明に陥っていたが、奇跡的に目を覚まし、今は社会復帰を目指してリハビリをしている。
時間を見計らっては緑と連絡を取っている。
『……お姉ちゃんの方は平気?』
「大丈夫よ」
明美は元気良く言った。
勉強もついていけているし、風紀委員の仕事も順調である。
『本当に?』
「どうしてそんな事を聞くのよ」
『お母さんから聞いたけど、同じクラスの人に殴られたって……』
緑の声色には不安が混ざっていた。
明美は夏祭りに、とある男子生徒に暴行を受けた。
口が裂けるだけの怪我で済んだものの、思い出すだけで背筋が凍る。
男子生徒は謹慎処分が解けて復学したが、今の所目立った問題を起こしていない。
「その事は心配しないで」
『心配するよ! 聞いた話じゃ凄く危険な人だって! お姉ちゃんに何かあったらどうするの!?』
緑が叫び、明美は思わず携帯から耳を離す。
夏祭りの件は星野家では一大事だった。父は当事者の家に行くと怒り、母は泣き出し、太一も明美の顔を見るなり驚いていた。
明美は両親に風紀委員をやめろだの色々と言われ、夏休みの間の星野家は重苦しい空気が流れ、居心地の悪い思いをした。
唯一の救いは、明美が夏休み中に緑が目を覚まし、再び星野家が五人に戻った事である。
夏祭りが終わり、学校に戻ってこられたことが、何より嬉しかった。
「そんな大声出さないの、周りに聞こえるでしょ」
明美は緑を注意した。
緑は病院から電話しているため、時間帯を考えると大声を出すのは迷惑がかかる。
『大体お姉ちゃんは昔から無茶し過ぎなのよ、私がおぼれた時だって、泳げないくせに飛び込んでおぼれたことがあったじゃない』
声を抑えて、緑は言った。
明美がまだ小さかった頃、川遊びをしている時に緑が川でおぼれてしまい、妹を助けるため明美は後先考えずに川に入ったが、結局明美もおぼれてしまい、後で両親にこっぴどく叱られたのだ。
恥ずかしい話を思い出し、明美は頬を赤くした。
「いつの話よ……」
明美は呆れ混じりに言う。
『とにかく無茶しないで、お姉ちゃんのことが心配だから言うのよ』
緑の声色からして、明美の身を案じる気持ちが伝わってくる。
明美が緑を思うように、緑も明美を思っているのだ。
「分かったわ、気をつけるね、心配してくれてありがとう」
明美は力強く語った。

部屋の扉を叩く音が響いたのは、姉妹が会話を交わしている時だった。
明美は扉の方に目線を向ける。

『どうしたの』
「お客さんみたい、誰かがノックしてるの」
『倉木さんかな』
緑は友の名前を口走る。
妹の耳にも、明美の友達の名が入っているのだ。
「分からない、また時間があるときに掛けなおすわ……お休みなさい」
『うん、おやすみ』
明美は携帯をポケットにしまい、扉にそっと近づく。
「どちら様ですか?」
扉の向こうにいる人物に聞こえるように、明美ははきはきと言った。
「オレだ」
その声に、明美の全身は凍りつく。
なぜなら声の主は明美を殴った当事者である伊澄慧だからだ。
夜遅くに何の用事なのだろうか?
扉を閉ざしたまま、明美は慧に訊ねる。彼と直接話すのは怖い。
「……こんな時間にどうしたのよ」
「一晩だけで良いから泊めてくれないか」
無茶な要求に、明美は眩暈がした。
だが理由を聞かない訳にもいかないので、一応話を聞くことにした。
因縁がある相手とはいえ、声色からして本当に困っているからだ。これも風紀委員の仕事をしてきた中で培ってきたのである。
「どうして?」
「オレの家に親父が転がり込んで、家に帰れなくなった」
慧は話を続けた。父親との相性は非常に悪く、一晩いるだけで部屋が潰れるそうだ。
なので父親がいなくなるまで家には戻るつもりはないという。
同世代の人間なら親への反発心で、家にいたくない気持ちが湧き上がることだってある。元に一つ年上の先輩・茄奈も家を嫌って自活しているからだ。
慧も父親への反発心があるのかもしれない。
「グロリア先輩には聞いたの?」
明美は提案した。
グロリアは明美と同じく寮生であり、慧とも交流があり、交渉をすれば泊めてくれそうである。
だが、慧の返事は思わしくなかった。
「エナムの部屋には姉貴が押しかけてきて、駄目だった」
「じゃあ、雪乃は?」
明美は友の名を再び口にする。
雪乃も慧と親交があり、頼めば何とかなりそうだ。
「あいつはインフルエンザで休んでるだろ」
その指摘に、明美は自分の頭を軽く叩く。
忘れていたわけではないが、雪乃はインフルエンザにかかって、部屋で寝込んでいる。
明美は彼女の部屋を訪れ、栄養剤を置いていった。
慧を部屋に入れることに抵抗があるため、雪乃の名をつい出してしまったのだ。
「そう……だったわね」
明美は表情を歪める。
……ごめんね、雪乃。
心の中で雪乃に謝罪した。
「他に頼れる人はいないのね?」
「当たる所は全て当たったが駄目だった。最後に残ったのはお前だけなんだ。頼むよ」
慧の言葉に、明美は悩んだ。
彼は何かと理由をつけては喧嘩を吹っかける危険人物で、明美に手を上げて謹慎処分にもなった。その件については許すことはできない。
このまま彼の願いを断るのは簡単だが、それでは心が痛む。
それに星野家には「人にされて嫌なことをするな」という方針がある。例え危険人物だとしても、困っているなら助けてあげなければならない。
風紀委員としてではなく、一人の人間として。
考えた末に、明美は深呼吸をして、扉をそっと開く。
「……一晩だけよ」
「恩に着るぜ」
明美が短く言うと、慧は部屋に入った。

暗い部屋の中で、明美はベッドの中にいた。
「テメエ、本当に料理がヘタクソなんだな」
「……悪かったわね」
いつも通りになった慧に反論するため、明美はベッドから顔を出した。

慧は明美のベッドの真横で不機嫌な顔を浮かべていた。
原因は明美が慧に差し出した手料理だった。
慧は部屋に入るなり、空腹を訴え、冷蔵庫にあった有り合せの食材で料理を作ったのである。
そこからが問題だった。慧は明美の料理を一口食べるなり「まじぃ」と言って表情を歪めたのだ。
全部食べ終わったが、慧は不機嫌になった。
「あそこまで不味い野菜炒め食ったの初めてだ。西和がぶっ倒れるのも分かるぜ」
「……」
明美は黙る。
普段、冷蔵庫には売店で買った食事が入っている。今回はたまたま切らしていたため実家から送られてきた野菜で手料理を振舞ったのだ。
案の定、料理音痴が災いして失敗に終わったが……
慧の話にあったのは、部活の先輩である晶に手作りクッキーをあげたのは良かったが、晶はクッキーを一口食べた途端に倒れてしまい、保健室送りになってしまったことである。
晶だけでなく、慧にまで失態を見せたことになる。
「弁解は……しないわ」
涙を薄っすらと浮かべ、明美は言った。
分かっている。自分が料理音痴だということを、直したいのだが中々できずにいる。
勉強はできるが、料理はからきし駄目である。
「明日は食堂で美味しい食事が待ってるから心配しないで」
明美はベッドに潜り込む。
緊張のためか心臓が早く鼓動を打つ。よくよく考えてみれば異性を自分の部屋に招き入れるのは初めての経験だからだ。それも学校で一番危険だとされている人間だ。
相手が幼馴染の翔太ならどれだけ良かったか。
明るく、いつも人を楽しませることに長けている彼なら、部屋もにぎやかになったに違いない。
翔太だけでなく、友達の陽彩と雪乃、後輩の言流、あと茄奈も呼べばもっと楽しいだろう。
……今度試してみようかな。
明美は空想を描き一人で微笑んだ。
……伊澄は寝たかしら。
そっと布団を上げ、明美は慧の方を見ると、静かに眠っていた。
これで明美自身も安心して休める。
「お休みなさい」
一声掛けるなり、明美は瞼を閉じる。
夜は確実に更けていった……



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