クリーム色の壁紙の部屋で、一人の女が銃の調整をしていた。彼女の机には銃の弾が転がっている。
静寂を破るように、ノック音が女の部屋に響いた。
「だぁれ? 鍵はかかってないから勝手に入ってきて」
女は扉に目をやり、外の人間に伝えた。
茶色い扉は開き、灰色の髪の男が入室した。女は男のことなど気に留めず手をそのまま動かし続ける。
「お忙しい所、申し訳ありません」
男は敬礼のポーズをした。
「どうしたの、何かトラブったのかな?」
女は弾を銃の中に込めた。男の顔からして、すぐに何らかのアクシデントが発生したと把握する。
「はい……実は申しますと……」
男は事の経緯を説明した。二人の部下が急用ができたため外出をしたのだ。その理由も一人の女部下の友達が事件沙汰を起こし、友達を救出するためだという。
女は銃を身に付け、席を立った。
「とんだ困ったちゃんね、ティハリムとブラウンは、勝手な単独行動はするなって注意してんのにな」
腰まで伸びた緑の髪を揺らし、女は男に近づいた。
身勝手な行動は軍の秩序を乱すだけでなく、緊急の任務が発生した時に命取りになるからだ。
ちなみにティハリムとブラウンとは、スピカとチェリクのことである。
「申し訳ありません、自分は止めたのですがスピカが聞く耳を持たなかったのです」
男は謝罪した。女は男の前で立ち止まる。
「あの二人はどこにいるの?」
女は腕を組んで訊ねた。
「確かヨルムンガンドと言ってました」
聞き覚えのある名前に、女から余裕の表情が消えた。
女はもう一度聞く。
「そこに行くと言ったのね?」
「間違いありません」
女は舌打ちをし、顔が険しくなった。
「通報者は誰、邪気の反応は無かったわよねぇ?」
女は男に詰め寄る。
水晶玉には敵か味方かを区別する機能がついているが、ごくまれに誤作動を起こすのを女は知っていた。ある程度経験を積んでいる者ならば、水晶が察知できなくても、自分の力で察知できるのだ。
男も女も例外ではない。
「通報者はスピカの友達で、自分が見る限り敵ではありませんでした」
「そう……」
女は男から離れた。
「ジスト、すぐに支度をしなさい、三十分後には緊急会議を始めるわ」
急な命令に男……もといジストは躊躇っていた。
「どうしてですか」
「良いから早く、それともアタシの命令が聞けないの」
「わ……分かりました!」
ジストは扉を乱暴に開き、走って部屋を去った。
女ことルシアは知っていた。ヨルムンガンドには討伐隊がマークする人物がいる。闇の集団と深く関わり、数々の事件に加担している。
もしその人物が行動を起こせば、新しい事件が起こる。そうなる前に二人に会わなければならない。
身勝手な行動を取ってるとは言え、ルシアの部下達だ。見捨てるわけにはいかない。
三人は近くの喫茶店に入り、それぞれ適当に注文をした。
今に至るまで会話が無かったが、黙ってはいられないと感じ、スピカが口を開く。
「……お久しぶりですね、エクさん」
スピカは敬語で話した。
反対側に座っているエクは「ああ」と言った。
「お前の弟の葬儀に出席して以来だな、元気にしていたか?」
「あの時はお世話になりました。わたしはこの通り元気です」
スピカは頭を軽く下げた。エクとはハンスの葬儀の時に会ったきりである。あまり話したことが無く、どういう人物かは知らない。
こうして再会し、声をかけられた時には、不安を抱かずにはいられなかった。
ずっと会話が無かったのも、そのためだ。
エクは煙草を取り出し、火をつける。
「スピカさんのお知り合いですか?」
チェリクは慎重に訊ねた。
「彼の名前はエク、アディスのお兄さんよ」
スピカは知っている範囲で、チェリクに紹介した。
「ところで、ご用件は何ですか?」
空気を変える為に、スピカは思い切って訊ねた。
丁度その時に三人が注文した品が来た、チェリクが二人の飲み物を配り、スピカには紅茶、チェリクはオレンジジュース、エクにはコーヒーが行き渡る。
エクは煙草の火を灰皿に押し付けて消し、コーヒーをすすった。
「……他でもない、アディスのことだ」
やっぱりな、とスピカは思った。弟のアディスが事件を起こしたのだから、それに絡んだ話だと予想はついていた。
エクはもう一本煙草を吸い、火がついたまま灰皿に置く。
「悪い事は言わない、アイツを助けようだとは思わないことだ。アイツのことは忘れた方がいい」
エクは煙草に口を含み、煙を吐き出した。
「どうしてですか?」
納得がいかず、スピカは聞き返す。
エクは再び煙草の火を消し、新しい煙草を取り出して火をつける。
こうして見る限り、彼が愛煙家だと察しがついた。
「……スピカと言ったな、アイツから自分のことを聞いたことがあるか?」
その質問に、スピカは心臓が高鳴った。彼は口数が多くても自分の出身地・家族のことは話さないからだ。聞いても誤魔化したり、無視したりするからだ。
「いえ、ありません」
紅茶を飲み、スピカは首を横に振る。
「やはりな」
エクは一人で納得した。
「アイツが警察の世話になったのは、今回が初めてではないんだ」
衝撃の新事実に、スピカは瞳を大きく見開く。
「アディスさんは何度か罪を犯しているんですね」
チェリクが訊ねると、エクは表情を歪め、ああ、と呟いた。
彼の様子からして、アディスは相当の悪さをしてきたのだろう。
「幼い頃からアイツは、傷害、万引き、器物破損……数え切れないほどの犯罪を犯してきた。その度に親父が頭を下げて、アイツが破壊した物や、傷付けた人間に弁償をしてきたんだ」
「うそ……」
スピカは驚いた。今のアディスからは想像もつかないほどに、過去の彼は非行少年だったことが伺える。
「どうしてそんなに多くの悪行を重ねてきたのですか?」
エクは三本目の煙草に火をつけて、口に含む。
「……アイツには血の繋がった親がいないから、その寂しさを紛らわしたかったんだろうな、少なくともオレはそう思っている」
「つまり……アディスはエクさんと血縁関係では無いのですね」
聞きづらそうに、スピカは言った。
エクは首を縦に振る。
ずっと思っていたが、アディスとエクは全くと言っていいほど似ていない。
チェリクも同じことを考えているらしく、言いたそうにスピカを見たが聞こえないように『駄目』と口を動かす。
チェリクは諦めて、口を閉めた。
「理解が早くて助かる。アイツはオレの親父の友達の子なんだ。事情があってオレ達一家が引き取って育てることになったんだ。オレの両親はアイツを自分の子だと思って可愛がってきた。アイツにしたいことをさせて、欲しい物を与えた。
アイツの誕生日にはアイツが喜ぶプレゼントをあげ、クリスマスにもなればアイツを驚かすために、サンタクロースを連れて来た事もあった。オレが見る限りでも羨ましく感じた。
親父とお袋は限りない愛情を注いできたんだ。例えアイツが悪いことをしても、更正すると信じていた」
エクの話を聞く限りは、両親は深い愛情をアディスに注いでいたことが分かる。
アディスが犯した犯罪の数々と、暖かい家庭が結びつかない。
「良い御両親なのに……なんで……」
スピカは悲しげな表情をした。
「アイツが家の子では無いことを、両親は伏せていたんだ。アイツが傷つかないようにな、だがそれが返ってアダになった。
たまたま親父とお袋が話していたのを、アディスが聞いてしまったんだ」
エクは深い溜息をついた。
両親の口からアディスは家の実子では無いことを知り、深く傷ついた。アディスの立場を考えれば無理もない。
「それからだよ、アイツが悪事を繰り返すようになったのは、両親は突然の変貌に戸惑っていた。アイツは本来、活発で元気のある奴だった
今考えても、アイツに言い聞かせた方が良かったんじゃないかと思っている。まあ今更だがな」
アディスが凶行に至った原因は理解できた。育ててくれた両親が実の両親ではなかったことに対する。悲しみ、怒り、そして本当の肉親への恨み、それらが彼を悪事に駆り立てた。
アディスは血の繋がった両親に会いたかったのかもしれない。
友の過去の経緯は大体分かった。これは彼が自ら口に出したがらないのも理解できる。
「アディスも大変だったのですね……」
スピカは冷え切った紅茶を飲み干した。
「話を変えますけど、今回の件と過去の話は関係有るのですか? 本人は仕事のストレスが原因だって言っていました」
固い表情のまま、スピカは訊ねた。
すると、エクは鼻先で笑った。彼がスピカの前で笑うのは初めてだ。
「アイツはそんな嘘をお前に言ってたのか」
「……どういうことですか?」
納得がいかず。スピカは聞き返す。
エクの話が信じられないからだ。
「アイツは話をしている途中で、頭を下に向けなかったか?」
「ええ、しました」
「それが嘘をついている証拠だ」
エクは人差し指をスピカに向けた。
「オレもアイツの事件を調査したが、アイツはとんでもない野郎だということが判明した。アイツは職場の人間と一緒にトランプ賭博をしていたそうだ」
「賭博って、犯罪じゃないですか!」
チェリクは思わず声を荒げ、立ち上がる。
普段は大人しい彼だが、曲がった事が大嫌いなのだ。
「チェリク落ち着いて、話は終わってないわ」
「……すみません、つい」
スピカはチェリクを宥め、チェリクは謝って席につく。
エクは気に留めずに話を続けた。
「アイツは多額の金を賭けていたものの最下位となって、その事に逆上して、三人の人間に怪我を負わせたんだ。本当に馬鹿としか言いようがない、自分で自分の首を絞めているようなものだ」
「最低ですね」
チェリクは怒っていた。
彼を知らない人間からすれば、自己中心的で身勝手な犯行に映るのも仕方がない。
「……」
スピカは黙り込んだ。アディスが嘘をついていた事がショックだったからだ。
長い付き合いで彼のことも良く知っている。信じていた分だけ悲しみも大きい。
エクが嘘をついてると思いたかったが、彼の瞳は真剣で虚言を話しているようには見えなかった。
……どうして本当のことを言ってくれなかったの? アディス
なぜ、真実を口にしなかったのか、自分のみっともない姿を晒したく無かったのか?
全ては本人から聞き出さない限り、分からない。
「ここで、何か気づいた事は無いか?」
エクは二人に質問を投げかける。
今回の事件を起こした原因を、聞きだしたいのである。
黙った状態のスピカに代わって、チェリクが答えを出した。
「過去と今回の悪行も、アディスさんの一方的な怒りが元になっていますね、前者は家族の落ち度があるにしても、後者はアディスさんの責任です」
「正解」
エクは指を鳴らし、スピカに視線を向ける。
「もう一度だけ忠告する。アイツと関わるのだけはやめておいた方がいい、ましてや救おうだなんてしないことだ。アイツなんかのために時間を使っても得することは無い。
アイツのせいで、オレ達一家が滅茶苦茶になってしまった。お前もアイツのせいで人生が破滅する」
彼の厳しい言葉が、スピカの心に突き刺さる。
信じていた者が、実は偽りの姿だったのが辛かった。
「刑務所暮らしにさせた方がアイツのためにもなる。だから余計なことはするな」
エクは静かに席を立ち、領収書を手に持つと、その場から去った。
長い話がようやく終わったのだ。
喫茶店を出て、二人は人気の無い裏路地に来た。今後の行動について話し合うために。
スピカは壁際に寄りかかり、チェリクも同じようにした。
「……今回の件は、関わらない方が得策だと思います。どう考えてもアディスさんの自業自得です」
チェリクは真剣な眼差しを見せた。
「助けたい気持ちは分かりますけど、その分つけ上がるだけですよ、スピカさんの友達でも同じです」
彼の言葉には説得力があり、スピカは首を縦に振りたくなったが、自分を抑えた。
もしジストがあの場にいたならば、チェリクと同じ心境になり、真っ先に帰る道を選択していたに違いない。
しかしスピカは違う。アディスは度々任務で世話になり、一番辛かった時に支えてくれた人物だ。恩を仇で返すなどできない。
かと言って、エクの忠告にも一理はある。
ずっと無言を貫いていたスピカだが、ようやく口を開く。
「心配してくれて有難う」
スピカは礼を言った。
「でも真実も知らないまま帰りたくないの、ここで帰っても悔いが残るだけだわ」
両手を強く握り、スピカは自分の気持ちを伝えた。
エクの話しが真実なのかを、この目で確かたいのだ。
「スピカさん……」
「もし嫌だったらあなただけでも本拠地に戻って構わない、わたしだけ残って調査をする」
チェリクの緑色の双眸を見据えて、スピカは話した。
ここでチェリクが帰っても、それを咎めない、本来チェリクは無関係なのだし、巻き添えにはできない。
チェリクは両手を腰に当てる。
「僕だけ帰ったら、スピカさんはどうやって帰るんですか?」
「それは……電車で……」
スピカの話を、チェリクは遮った。
「もしこの瞬間に、闇の集団が一斉に現れたら、スピカさん一人じゃ対処しきれませんよ、僕の召喚魔法が無ければ困るでしょう」
話を聞く限り、チェリクはスピカについていく気だ。
「上官には叱られる覚悟はできています。地獄の底までスピカさんと一緒についていきます」
後輩の強い意思に、スピカは言葉が出なかった。入隊時はオドオドして情けなかったのが嘘のようだ。
スピカはチェリクの肩に触れた。
「分かったわ、一緒に行きましょう」
「一人で何でもやろうとするのは、スピカさんの悪い癖ですよ」
「……ごめんね」
その指摘に、スピカは恥ずかしそうに謝罪した。
「じゃあ、早速出発しましょう」
スピカは前に進みながら言った。
「どこに行くのですか?」
「アディスの家よ」
夕日が傾く頃、二人は狭い裏路地を抜けて、目的地へと向った。
本当のことを知るために。
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