『オレ、アディスって言うんだ。アンタは?』
 『スピカよ』
 『良い名前だな、これからはオレ達仲間同士だな、宜しく』
 二人は手を握り合い、お互いを仲間だと認め合った。
 二人が初めて組んだ任務を、成功させた直後の出来事だった。
 
 この時の事を忘れたことは無い、あなたに認めてもらえたのだから。
 それからも度々、あなたと組んで仕事をしたよね。
 ……ねえ、あなたにとってのわたしはどういう存在だった?
 友達? それとも単なる都合の良い人間?
 怖いけど、嫌だけど、わたしはあなたの真の姿を知るために、あなたの扉を開く。

 灰色の壁のアパートに二人は来ていた。アディスが住んでいる部屋に入るためである。
 「ここよ」
 表札「三一六」号室の前で、二人の男女が立ち止まっていた。
 「綺麗なアパートですね」
 チェリクは感想を述べる。
 「僕達の住んでいる寮と同じくらいです」
 「そうね」
 二人は灰色の扉を見据えていた。スピカとチェリクは討伐隊が用意した寮で生活をしている。
 「もっと古い家に住んでいるのだと思ったけど、意外だわ」
 チェリクはスピカに目線を向ける。
 「アディスさんの家に来るのは、今日が初めてですか?」
 「ええ、そうよ」
 ドアノブに手をかけてスピカは呟く。
 アディスの家に来るのは初めてだ。来るための用事が今日に至るまで無かったのだ。
 ドアノブを下に動かし、前に引いたが、鍵が掛かっている。
 「……事はそんな簡単にいかないわね」
 「どうします。管理人さんに聞いて鍵を貰ってきますか?」
 チェリクが訊ねた。スピカは首を横に振った。
 腰についている小袋の中から、道具を取り出した。
 「これで開けるわ、人を当てにするほどの時間は無いわ」
 「良いんですか? 人に見られたらまずいですよ」
 チェリクは正論を口にした。彼の言っていることは間違ってはいない。
 彼がこの世で最も嫌う犯罪行為だからだ。
 「マリクを呼んで、この辺を偵察するように伝えて、わたしがやることはあなたが言うようにいけないことだからね」
 スピカは道具をドアノブに差し込み、作業を開始した。ピッキングは討伐隊が定期的に行う講習で緊急事態に備えるために学んだのだ。
 こうして役に立つ日が来るとは夢にも思わなかった。
 「分かりました」
 チェリクは金の鍵を出し、空に掲げる。
 「我が名はチェリク、契約者の名において汝の姿を現すことを命ず……出でよマリク!」
 空中に紫色の魔法陣が出現し、一陣の風が吹くと、光り輝く蝶が姿を見せた。
 召喚獣・マリクである。主に周辺の偵察や、緊急時には味方に伝える役目を持っており、今は蝶だが臨機応変に姿を変化させることができる。
 「マリク、この辺りを見張って欲しいんだ。もしもの時はちゃんと知らせるんだよ」
 マリクは一回頷くと、蝶から複数のカラスへと姿を変えて、空へと飛び去った。
 丁度その時だった。カチリと乾いた音がして、扉の鍵が外れる。
 「開いたわ」
 額の汗を拭い、スピカは言った。
 「もうこんなことは二度としたくないわ……」
 憂鬱そうにスピカは呟く。胸の中には罪悪感が渦巻いていた。真実を知るためとはいえ他人の家に不法侵入するのだから、後味が悪い。
 チェリクはスピカの後ろに立った。
 「僕がしんがりを勤めます。スピカさんは前だけを進んでください」
 「分かったわ」
 扉を大きく開き、二人は静かに部屋の中へと入った。片づけをしていないらしく狭い通路には服や物が散乱し、食べ物が腐った臭いが充満していた。
 床には埃がたまり、掃除をしていないことが伺える。
 白色のカーテンも閉め切り、光が入ってこなかった。部屋を見てアディスの性格が出ているなとスピカは思った。
 普段の彼は清掃系の任務を一切やらず、やるとしても魔物退治や女の子を助ける任務など、好みで仕事を選ぶのだった。
 スピカは彼が家事をやらない人だと想像していた。案の定当たっていたが。
 「酷い匂いですね……」
 チェリクは鼻を摘む。
 「彼らしいわね」
 スピカは辺りを見回し、手がかりになりそうなものか無いか探した。テーブルの上、ソファーのクッションの裏、本棚の中などを徹底的に見る。
 些細なものでもいい、彼を知る情報が欲しかった。
 チェリクはスピカの行動に疑問を抱き、そっと訊ねてきた。
 「何をしているんですか?」
 タンスの中を物色する手を止め、スピカは答えた。
 「アディスを知る手がかりを探しているの、チェリクも手伝って」
 「僕もやるんですか?」
 チェリクは両肩を落とした。気が進まない様子である。
 「二手に分かれて探した方が早いわ」
 「……はい」
 重い足取りで、チェリクはスピカと反対方向を探し始めた。
 
 外の光がすっかり落ち、部屋の中が暗くなり、テーブルに置いたランプの輝きが部屋を照らす。
 「ああ……疲れたわ」
 キッチンを捜索している途中で、スピカはその場で倒れ込む。
 探したが、ちっとも見つからず、疲労感だけが溜まっていた。
 考えてみると、ろくに睡眠も取らずに行動してきたのだから、疲れが最高潮になるのも当然だった。
 油断していると、瞼を瞑りそうになり、スピカは慌てて両目を見開く。
 ……そろそろ切り上げて、どこかで休まないとだめね。
 スピカが体を起こした時だった。
 「スピカさん!」
 チェリクが叫び、手を振っていた。何かを発見したようだ。
 疲れた体に鞭を打ち、スピカは急ぎ足でチェリクの側に駆けつける。
 「これは?」
 「アディスさんの日記帳です。床に下に隠してあったのを発見しました」
 チェリクの手には大量のノートが乗せられていた。チェリクは物探しがとても得意なのだ。
 だが、彼の表情は冴えない。
 嬉しさの微塵も感じさせない。
 「どうしたの?」
 チェリクは顔を下に向ける。いつもは明るい彼の金髪が一層暗く見えた。
 「……世の中には知らない方が良いこともあります。アディスさんはスピカさんにとって友達なのだから尚更です」
 彼の言葉からすると、よほど悪い事が書いてあるようだ。
 胃の中が重くなり、息苦しくなった。もしかしたらチェリクの言うように見ない方が良いのかもしれない。
 それでも見ないといけない、アディスの真の姿を知るためにも。
 スピカは震えた手のまま、一番上の日記を手にとって、ページを捲った。
 内容は普通の日記のようにも見えたが、スピカが知っているアディスからは想像もつかない文章が綴られている。
 『全くあいつは頭にくるよな、あの女はいつかぶっ殺してやるからな』
 『今日はかなり儲かったぜ来週は、どの野郎を脅すかな、今から楽しみだ』
 『オレにとって人なんて、単なる駒だ』
 進めるたびに、スピカの顔はどんどん青くなった。まるで別人のようにも思えた。
 日記を見る限り、彼は粗暴で自己中心的な一面が読み取れるからだ。
 ……なによ……これ
 認めたくなかった。日記を書いたのがアディスだという事実を。
 しかし、筆跡は紛れも無く彼のもので、彼が書いたのは間違いではない。
 真ん中のページに差し掛かったとき、スピカは思わず目を疑った。
 忘れもしない、ハンスが亡くなった時のことだ。
 『スピカの奴、家族が死んだぐらいでワンワン泣いてやがった。馬鹿だよな何で泣くかなぁ? 信じられねぇな、慰める振りをしたけど、笑えちまったよ
 これで計画は成功したよな、アーク様の復讐に付き合えたんだから、上等ってもんだ』
 スピカの双眸から涙が溢れ、日記帳に落ちた。両手がわなわなと震えた。
 『レリィアもよく動いてくれた。アイツは屑だったけど最後は役に立ったな、ハンスはスピカに刺されてあっけなく死んで塵以下だけどな!』
 「ああああっ!」
 大声で叫び、スピカは日記を思いっきり引き裂き、紙は空中を舞う。
 チェリクが驚いた顔をしていたが、気にならなかった。
 地面に両手を当て、スピカは涙を流し続けた。人前で泣き顔を見せないが、心の傷を抉る文章に我慢ができなかった。
 「ひどい……あんまりだわ……」
 スピカは右手で地面を叩く。
 ハンスのことを侮辱しただけでなく、人の死すら嘲笑った彼の行いが許せなかった。
 「どうして……」
 スピカは震えた声で囁く。
 「アディスさんはこういう人だったのですよ、不幸を笑い、自分の利益を追求することしか考えていない身勝手な人」
 チェリクはスピカの側に屈んで言った。スピカは涙を腕で拭う。
 「残りの日記も……同じ感じなの……?」
 「ええ、見ない方が良いです」
 チェリクは悲しい表情をした。これ以上スピカを傷付けたくない。そう読み取れた。
 彼が持つ日記の中には、残酷な内容が書かれているのだろう。
 自分勝手で、人を道具としか見ない彼の一面が延々と……極めつけは最も憎むべき闇の集団と関わっていたことも。
 鼻をすすり、目を真っ赤にしながらも、スピカは立ち上がる。
 いつまでも泣いていては、後輩に心配をかけてしまうからだ。
 「日記は持って行きましょう、もしかしたら何かの手がかりになるかもしれない」
 「僕が責任を持って預かります」
 チェリクは冴えない表情のまま、日記帳の束を持参していた袋に入れた。
 全部を確認はしていないが、闇の集団と接触していた証拠になるだろう。
 その時だった。外からカラスの鳴き声が一斉に聞こえてきた。マリクが何か近づいてきたことを知らせているのだ。
 チェリクが血相を変え。落ち着きなく、辺りを見回す。
 「どうしたの?」
 「敵が来た。大勢の敵を連れている。中心にいるのは脱獄した男だ」
 チェリクは耳を傾け、マリクが発するメッセージを通訳した。チェリクは召喚獣の言葉が分かるのだ。
 ”脱獄”何とも物騒な言葉だが、とても嫌な予感がした。
  ……まさか。
 スピカは身構え、耳と気配を研ぎ澄ました。いつ敵が来ても良いように警戒した。
 チェリクは静かに移動し、スピカの背中を合わせる。
 「チェリク、分かってるわね?」
 スピカは背を向ける後輩に訊ねる。
 「攻撃系の召喚獣を呼ぶ、ですね」
 「わたしが時間を稼ぐ、敵はかなり多いから全体攻撃ができるのを召喚して、場合によっては体術で対処して……いい?」
 複数の気配を察し、スピカは指示した。ざっと数えても十人以上はいる。
 「自信はありませんけど、努力します」
 チェリクが返事をした直後、部屋にあった窓ガラスが割れ、黒い影が数多く侵入してきた。影達は素早く移動し、スピカとチェリクを囲む。
 影の中心には、かつても友・アディスがいた。
 彼の表情は、明るいものから一転し、邪悪な部分が滲み出ている。
 「馬鹿兄貴の忠告を守ってとっとと帰れば良かったのにな」
 その口から出たのは、スピカの心を突き刺すものだった。
 「秘密を知った以上、生かして帰すわけにはいかねぇな」
 優しげな深緑色の瞳も、冷酷さに満ちていた。

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