「行ってきます」
玄関の前で穂希は一声かけて、家を出た。
七月とあって日差しは強く、歩くだけでも汗が額からは汗が流れる。
「暑いな……」
穂希は呟く。
あと少しで夏休みなのだが、穂希の気持ちは晴れなかった。

丁度一ヶ月前に両親は離婚をした。穂希は母親に引き取られて、母親と二人暮らしをしている。
母親は離婚のショックのため、家事をほとんどしなくなった。
そのため、穂希がこなしているのだ。
穂希の憂鬱は帰って来た時には大量の家事をこなすことになる。今からでもため息をつきたくなる。
このまま夏休みを迎えるとなると、尚更である。
重い気分のまま穂希は学校へと向った。

蒸し暑い空気が流れる中
穂希は授業を受けていた。教師が黒板に文字を書き、穂希はその文字をノートに書き取っていた。
……こんな授業聞いて何の意味があるんだろう。
穂希はぼんやりと考えた。退屈で。単に卒業するために行う時間。
前までは考えなかったが、家庭環境が変化した今では、どうでも良くなり始めていた。
……卒業したら就職して家計を助ける。それが一番なのよね。
穂希は自分に言い聞かせた。
本当ならば大学に行って自分のやりたい仕事に就くのが目標だったが、経済面の問題で断念せざる得ない。
そんな時だった。
ポケットの携帯電話が振動を出した。
『今日さ放課後空いてる?良かったらお茶しない?』
友達の紀子からだ。
授業中にも関わらず彼女はメールを飛ばしてくる。
『ごめん、用事が入ってるから今日は無理』
穂希は直ぐ様に打ち返す。それから間もなく返事が来た。
『家に帰って家事するんでしょ、たまには息抜きしないとパンクしちゃうよ?』
紀子の言葉が身に染みた。穂希も嫌というほど理解している。
たまには息抜きもしなければいけないことを。
だが、傷ついた母を放っておくことはできない。
『気遣い有り難う、でも私なら大丈夫だから』
後ろ髪を引かれる思いで、穂希はメールを送信した。

授業が終わり、教科書を片付けていると紀子に声をかけられた。
「今日の放課後は一緒に帰れるよね?」
紀子は訊ねてきた。
紀子は書道部に所属しており、今日は無い日である。
ちなみに穂希は帰宅部だ。
「うん、大丈夫だよ」
「良かった。断られるかと思ったけど安心したよ」
紀子は嬉しそうに言った。紀子は穂希が入学してから最初に出来た友達である。
「最近付き合えなくてごめんね」
穂希は謝った。
「気にしなくていいよ、家のこと色々と大変なんだよね」
紀子の目線から反らし、穂希は首を縦に振る。
「あ……ごめん」
紀子は慌てて言った。
紀子だけでなく、他のクラスメイトも穂希の離婚のことを知っている。
そのため、妙に気を使われる。仕方がないとはいえ穂希としても家庭環境の変化を突きつけられる。
「平気だって、もう慣れてるから」
穂希は薄っすらと笑った。
こうして学校で過ごすたびに思う、離婚など無ければ良かったのに。と。
例え親の都合だとしても、子供の自分にとっては辛い。
……に……い?
突如、穂希の耳元に声が囁いてきた。
あまりに小さく、完全に聞き取ることができない。
不可解な出来事に、穂希は表情を強張らせた。
声は更に続いた。
……そ……なに……えたい?
声はさっきよりはっきりと聞こえた。まるで自分の近くにいるように。
穂希は左右を見渡し、声の主を探すものの、周囲には自分と紀子以外に姿はない。
「どうしたの」
紀子が穂希に話しかけてきた。
「何か声しなかった?」
穂希の質問に紀子は首を傾げる。
「声?」
紀子は困惑していた。
彼女の様子からして、穂希にしか聞こえなかったらしい。
「ううん、何でもない」
紀子に心配かけまいと穂希は明るく振舞った。
その後、声は聞こえてこなかった。

この地点で穂希は知らなかった。
自身に待ち受ける運命を……

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