「お姉ちゃん」
スピカは前を歩く、自分より背の高い少女に話しかけた。
マリアは振り向いた。どこか寂しげな表情を浮かべて。
「母さまが言ってたけど、遠くに行っちゃうって本当なの?」
足を止めて、スピカは質問をした。
マリアは青い双眸をスピカに見据えたまま、スピカと同じ背の高さに身を屈めた。
漆黒の髪が、夕焼けの色に染まる。
「上の学校に進級するから、引っ越さなければいけないの、こうして会うのも最後になるわ」
「……どれくらい会えなくなるの?」
スピカは悲しみを堪えて訊ねた。
マリアが遠い場所に引越すのは、ずっと前から聞いていたが、幸せな日々を壊さないために、この日まで黙っていたのである。
マリアと会うのは月に二・三回程だが、彼女との交流はとても楽しいものだった。遊ぶのは勿論だが、スピカが知らない世界のことを教えてくれたり、スピカにとってマリアは姉と言っても良かった。
「三年は向こうで暮らさないといけないの」
「三年も?」
スピカの問いに、マリアは静かに頷く。
三年がどれだけ長いか、スピカは理解していた。
マリアと会えない時間が大きい事も。
「嫌だよ……お姉ちゃんと会えなくなるなんて……」
スピカは涙を流して訴えた。マリアがいなくなることを止めたかった。
マリアはスピカの気持ちを察し、小さな身体を優しく抱きしめる。
「遠くに行っても、スピカのことは忘れない、手紙だって書くわ」
マリアは泣きそうな顔を見せたが、涙は流さなかった。
別れの時間まで、泣かずにスピカと過ごしたいという思いなのだろう。
「私も沢山書くよ」
スピカは目を潤ませたまま、マリアの顔を見る。
「今度お姉ちゃんに会うまで、ずっといい子でいるよ」
スピカはしっかりした口調で言った。
本心ではマリアを引き止めたい思いで一杯だったが、我侭を言っても、マリアの言葉には強い意志を感じ、自分ではどうにもならないと悟った。
「あなたとの再会を楽しみにしているわ、素敵な女の子になってね、ハンスにも伝えておいて、男の子らしくなりなさいってね」
マリアはスピカを放すと、温かな笑みを浮かべる。
ハンスはマリアに懐かず、最後まで彼女に心を開く事は無かった。いつもはスピカとは離れないハンスが、マリアと散歩に行く時は、スピカと行動するのを拒んだのである。
ハンスは人見知りが激しく、例え従姉だとしても、あまり会わない人間に心を開かないのだ。
「分かった。伝えておく」
スピカは無理に微笑んだ。マリアを困らせないためにも。
二人は小指を出して、固く結んだ。

……でも、お姉ちゃんとの約束を果たせなくなってしまった。
お姉ちゃんがいなくなってから二年後、わたし達の一家は崩壊したから。

戻る

inserted by FC2 system