眠りを打ち砕いたのは、野々村くんのこの世と思えない叫び声だった。
私は目を開き、重い体を引きずるように動かし、壁際に手を叩く。
「野々村くん、どうしたの?」
私は壁の向こうにいる野々村くんに訊ねる。
しかし、野々村くんは私の呼びかけに答えず、ただ叫ぶばかり。
一体何があったのだろう? 今まで野々村くんと一緒にいたが、こんなの初めてだ。
「野々村くん!」
疲れが癒えてないせいで大声は出せないが、精一杯名前を呼んだ。
私が野々村くんのことを心配している時だった。扉が静かに開き、あの人が入ってきた。
「あいつのことが心配かぁ?」
聞くだけで胸の中が不愉快に充ち、私はすぐさま後ろに下がった。
禊ヶ丘先生は憎たらしい笑みを、私に見せる。
「野々村くんに……何かしたんですか」
私はできるだけ冷静に訊ねる。
禊ヶ丘先生の顔を見るだけで、頭が脈を打つように痛みだすが我慢した。
この人に散々な目に遭わされ顔を見るのも嫌だが、野々村くんのことを知るのもこの人だけだ。
「ああ、お前が俺に歯向かった連帯責任をあいつにも受けてもらったんだ。あいつも今は自分が嫌いな物が延々と襲いかかっているはずだぜぇ」
禊ヶ丘先生はねっとりとした口ぶりだった。
聞くだけで吐き気がしそうだ。私が味わった苦しみを野々村くんが受けてるなんて……
全部私のせい。
このまま何もせずに見過ごすなんてできない。
「……野々村くんの部屋に行かせて下さい」
「何でだ?」
禊ヶ丘先生は首を傾げる。
「側にいたいんです」
私は強い口調で語った。
「お前に行く資格はあんのかぁ?」
「無いかもしれませんが、それでも行きたいんです」
意地悪な質問に、私は返した。
確かに私が元を作ったのだから、行っても迷惑かもしれないが、側にいたかった。
「じゃあついて来いよぉ、言っておくが、何かあっても俺は責任持たねぇぜ?」
禊ヶ丘先生は私に背を向けて歩き出した。
私は後について行った。
野々村くんの部屋にはすぐに着いた。
野々村くんはベッドの上でもがき苦しんでいた。
「やめてくれ……来るな……」
身体中を激しく動かして野々村くんは叫ぶ。
彼の両手足は拘束されている。
「ちいっと薬を投与し過ぎてな、後は五時間はこんな状態が続くぜぇ」
五時間と聞き、私は立ちくらみがした。
私より長く拷問が続くと思うと心が押し潰されそうだ。
私は野々村くんに近寄った。
「野々村くん」
私は彼を呼ぶ。
毎日毎日ずっと途絶えることなく呼んできた男の子の名前を。
だが、野々村くんは叫ぶだけで私に見向きもしない。嫌いな幻と戦い続けているんだ。
「ごめんね……私のせいで……」
少しでも彼の苦しみを共有したくて、私は野々村くんの手を握る。
その瞬間、私の思考は停止し、失われていた記憶の断片が蘇った。
私は禊ヶ丘先生に襲われていた。私がパンの群れに苛まれているのをいいことに……
手が私の服に伸びて……それから……
ソレ……カラ……
「っ!!」
醜悪な記憶に、猛烈な吐き気がして、 私はその場で胃の中にあった物を全て吐き出してしまった。
喉に手を当て、私は荒々しく息をした。
「あーあ、汚ぇな、何してんだよ」
禊ヶ丘先生は冷たい言葉を私にかける。
私は禊ヶ丘先生を睨み付けた。
「私に……何をしたんですか?」
私は立ち上がって、禊ヶ丘先生に問い詰める。
野々村くんの手に触れた瞬間に、禊ヶ丘先生が私に乗り上げているのが見えた。
「あ?」
「私の体に何したんですか!」
私は声を荒げる。
私が言ったことをようやく理解できたのか、しばらくして禊ヶ丘先生は「ああ……」と声を漏らす。
「お前の体を調べさせてもらったぜぇ、最近の年頃の女は発育良いんだなぁ」
禊ヶ丘先生は舌で唇をなめ回した。
それ以上は聞きたくない。禊ヶ丘先生の様子からして、単に調べたという感じではないからだ。
私は自分の体を見る勇気が無かったし、禊ヶ丘先生を問い詰める気も起きなかった。
野々村くんに触れ、醜い記憶が流れただけで狂いそうになったのに、失われた部分を知ることになれば、私の精神は崩壊する。
野々村くんが叫ぶ声だけが、部屋にこだました。
沈黙を破ったのは禊ヶ丘先生だった。
「俺はそろそろ行くぜぇ、お前はそこにいるかぁ?」
禊ヶ丘先生が訊ねてきた。私は禊ヶ丘先生から目を反らしつつ、首を縦に振る。
触れられなくても、野々村くんの側にはいたかった。
「また来るぜぇ、お前が吐いたモンは片付けとけよぉ?」
気味の悪い笑い声を交え、禊ヶ丘先生は去っていった。
ほんの少しと分かっていても、あの人の顔を見ないで済むと思うとほっとする。
吐しゃ物を始末し、私は野々村くんの側にいた。
いつも元気で私を励ましてくれた野々村くんが、今では全然違う姿をしている。
悲しかった。
何もできない自分が歯痒かった。
「野々村くん……」
私の両目からは涙が零れる。
この場所にいる限り、私と野々村くんには夢も希望もない。
あるのは苦痛と恐怖だけ。
精神的にも、肉体的にも限界だった。
「ここから……出して……」
私は声を押し殺して泣いた。
この後、私だけがここで過ごした記憶を失い、元の生活へと戻った。
だが記憶を失っても、体に刻まれたことは消えず、私は男に触れられると気を失う体質になってしまったのだ。