よく晴れた日、様々な花が咲き乱れる草原にスピカとチェリクはいた。
 甘い香りが漂い、その香りに誘われ虫や蝶がやってきた。
 「凄く綺麗ですね」
 チェリクは花を見て感激した。ここに来たのも彼の気分転換のためである。
 ずっと部屋に閉じ込めておくのも気の毒だったため、人の目を盗み、闇の集団の本拠地から離れた草原に来たのである。
「良かったわ、あなたの笑顔が見られて」
 スピカは草原に座り、歩いて花を眺めるチェリクを見守る。
 元気そうなチェリクの顔を見て、スピカは安心した。
 「それ位元気なら、もうすぐ家に帰れそうね」
 チェリクは足を止め、スピカの方を向いた。そして暖かな笑顔を浮かべる。
 「ここまで回復できたのもスピカさんのお陰ですよ、色々有難うございます」
 チェリクは心を込めてお礼をした。
 スピカは軽く首を横に振り、不安げな表情を浮かべる。
 「……お礼はいいのよ、あなたが怪我をしたのは元々わたしがいけないんだから、治すのも義務の内だわ」
 スピカの胸には罪悪感がこみ上げる。一般市民のチェリクが傷ついたのはスピカの不手際が原因だった。せめてもの償いとして彼が元気になるまで、ずっと匿ってきたのだ。
 ようやく終わると思うとほっとした。もう少しで彼を普通の世界に返してあげられる。そして彼との縁も切れる。
 スピカは安心した。チェリクを薄汚れた世界に関わらせないで済む事を。
 思いつめたスピカを心配し、チェリクが覗き込んできた。
 「過ぎた事を責めないで下さい、僕はスピカさんに感謝したいですよ、治してくれて本当に有難うございました。毎日見舞いに来てくれて励みになりました」
 チェリクは澄んだ眼差しで、スピカを見つめる。
 穢れを知らない、純粋な眼差しで。
 「僕はスピカさんを決して忘れません、だからスピカさんも僕のことを忘れないで下さいね」
 「チェリク……」
 優しい言葉に、スピカは胸が熱くなった。
 チェリクに吊られて微笑み、彼の体に両腕を回す。
 「わたしこそ沢山の思い出を有難う、あなたのことはずっと忘れないわ」
 スピカは気持ちを伝える。
 こんな自分に温もりをくれた事や、人間らしい世界がある事を教えてくれたチェリクには言葉に尽くせない程に感謝したかった。
 忘れない、彼と過ごした日々を。
 忘れない、この草原で過ごした時間を。
 ずっとスピカの心の中で生き続ける。

 スピカはアークの前に立っていた。
 彼女の前では、アークは険しい表情を浮かべている。
 「今回の件はマリアから聞いた」
 下を向いたまま、スピカはアークの言葉に耳を傾ける。
 「兄弟喧嘩の度が過ぎたな、マリアが止めなければ討伐隊によってオマエやハンスの身柄が拘束されていた所だ」
 アークは厳しくスピカを批判する。
 彼の鋭い指摘は事実だ。マリアの話では双子が喧嘩している最中に討伐隊が集い、双子を捕まえようとしていたのだ。
 スピカが単身でハンスの元から逃げ出していても、すぐに討伐隊によって捕らわれていたに違いない。
 アークが話し終えると、スピカは口を開く。
 「……今回の件は私の過ちです。ハンスは関係ありません、罰を与えるなら私だけにして下さい」
 スピカは丁寧な口調で訴えた。
 ハンスは別の部屋で尋問を受けている。アークが下す処罰は、十日間の戦闘停止や、給料半減など厳しいものが多い。
 アークは両手を絡ませ、顎を乗せた。
 「オマエは記憶を失ってから可笑しくなったようだな」
 アークはスピカを睨む。
 スピカの心臓は跳ね上がり、呼吸が荒くなった。
 「な……何のことですか?」
 スピカは消え入りそうな声を発した。アークの全身から殺気が出ており、下手な事を言うと何をされるか不安だ。
 「とぼけても無駄だ。オマエは闇の集団から抜け出したいんだろ?」
 誤って怒りのスイッチを押してしまい、スピカの顔色は一気に青ざめる。
 席を立ち、アークは無表情のまま、スピカへと近づく。
 「しかも、そのきっかけが俺の断り無しに連れてきた小僧だとはな……隠しても無駄だ、俺が心を読めるのは知っているだろ」
 全て知られている。スピカの背筋は凍りついた。
 逃げなければいけないが、足が動かない、ここから一秒でも早く逃げないと殺される……やっぱりこの人には逆らえない、頭の中で何度も体が動くように命じたが、足はその場に張り付いたように動けなかった。
 アークが接吻できる距離にまで近づかれ、スピカは言葉が出ない。
 「長い目で見ていたが、更正が必要だな」
 スピカの全身は震えていた。アークを説得するという気持ちは消え去っていた。
 今見ているアークは、スピカが知っている限りの中では最も怖い怒りぶりである。
 アークは兄弟喧嘩の件も含め、スピカの犯した罪も含め制裁を加えるようだ。
 「ば……罰って何ですか?」
 スピカは訊ねた。アークは瞳を細めて答えた。
 「オマエに芽生えた感情を取り除く、二度と開花しないためにもな」
 非道な宣告に、スピカの全身に頭を殴られたような強い衝撃が駆け抜ける。
 チェリクに対する暖かい感情を、自由になりたいという思いまで消し去ろうとしてるからだ。
 スピカの瞳から一筋の涙が零れた。人間らしい感情を失う恐怖からだった。

  戻る 
inserted by FC2 system