細く、人気の無い通路に双子はいた。任務が終わると早く帰還しなければならないが、スピカがハンスを引き止めたのである。
 ハンスは腕を組んで寄りかかり、スピカは座り込んでいる。
 「これっきりだからね、さっさと話しなよ」
 ハンスは苛立ち混じりに言った。スピカがしつこく「帰るよりも早く話したい」とせがんできたからだ。戦闘の疲れもあり、ストレスが溜まっている。
 自分の我侭につき合わせてしまい、スピカは申し訳ないという気持ちで一杯になった。
 「本当にごめんね、あなたに迷惑をかけて」 
 謝ると、スピカは話し始めた。
 十一年前に今の道を選んだのも、実は自分の命を守るためであったこと、このまま日々が過ぎていくことが怖い……ということも。
 もしかしたらハンスは怒るかもしれない、姉の身勝手に巻き込まれたこと、そして、今の生活に不満を抱いていることを。
 しかし、ハンスの反応はスピカが思っている以上に、ずっとあっさりしていた。
 「何かと思えばそんな事かい、お姉さまは私を守るために止む得ずやったんだよね? 泣き虫で、弱い私が心配だったから」
 話を聞き終え、ハンスは口を開いた。
 スピカは黙って首を縦に振る。
 「あの時は、ああするしか無かったんだよね、もしもアーク様がいなかったら私達は今頃日干しだったからね」
 「……怒っていないの?」
 スピカは消え入りそうな声で訊ねる。
 「どうして怒るのかな、お姉さまの勇敢な判断はむしろ褒め称えたいね」
 ハンスの声は清々しかった。スピカの心が温かくなった。
 あの時の判断は正しかった。ハンスと共にこうして生きている喜びを噛み締める事ができるからだ。もしアークに逆らっていたら……と考えるだけで、ぞっとする。
 ……ありがとう、ハンス。
 スピカは物分りの良いハンスに感謝した。
 だが次の瞬間、スピカの気持ちは一気に冷めることになる。
 「でもね、いい加減チェリクのことは忘れなよ、今の生活を否定することはいくらお姉さまでも許せないことだよ?」
 冷たい言い草に、心が酷く痛み、晴れていたスピカの表情は曇る。
 「お姉さまが可笑しくなったのも、あいつが原因なんだ。いなくなってくれて清清するよ」
 変わるきっかけをくれた少年を侮辱され、スピカは不愉快な気持ちになった。彼と過ごした五ヶ月は、今の生き方に何の疑問を抱かなかった自分にかけがえのない贈り物をくれた。
 チェリクは任務に巻き込まれ、怪我をしたことがきっかけで出会った、怪我が治る間という条件で、彼を本拠地に連れ帰ったのである。
 本当ならば情報の漏洩を防ぐために、部外者は始末しなければならないのだが、彼の純粋な眼差を見て、殺意が失せたのである。
 アークには秘密だった。なので口の堅い知り合いに頼み、チェリクをかくまったのだ。
 チェリクは童顔で背が低く、とても気の弱い少年だったが、虫一匹も殺せないほどに優しかった。スピカは度々チェリクの見舞いに訪れたのだが、その度に暖かな笑みでスピカを迎えてくれた。
 日常や、面白い出来事など、思いつくままにチェリクと話した。聞く度にチェリクは目を輝かしていた。スピカは彼の喜ぶ顔を見るのが楽しかった。面会の時間が終わるのが惜しいくらいに、チェリクとはずっと一緒にいたかった。
 ハンスと一緒にいるよりも、チェリクと時間を過ごす方が、スピカにとって良い気分転換になった。ハンスはチェリクを嫌っており、話しにくいオーラが付き纏っていたためである。
 そんなある日、チェリクはスピカに言った。
 『スピカさんはとても綺麗な目をしてるんですね、戦いには向かないですよ、もっと他に生き方があっても良いと思いますよ』
 衝撃的だった。今までは一度もそんな事を言われなかった。過酷な戦闘の連続で心は荒んでいて、唯一の癒しといえば、店で売っている綺麗な服を見る事くらい。
 いつかは着てみたいと羨ましがるが、ハンスとの競争と日々の生活によって、願望はいつの間にか消え失せる。
 チェリクの一言によって、スピカの気持ちは大きく揺らいだ。
 もしかしたら、綺麗な服を着た方が似合うのかもしれない。
 もしかしたら、戦うよりかは、もっと別の人生があるのでは……?
 傷を治療したチェリクは一ヶ月前に去ったが、彼との交流はスピカに癒しの効果を与えただけでなく、今までの人生を振り返るきっかけにもなったのだ。
 過去に対する後悔も、その一つとも言える。
 「チェリクを馬鹿にしないで」
 たまらずスピカは怒った。
 「彼はとても真っ当な人間だったわ、わたしよりはね」
 「だから可笑しいんだよお姉さまは、昔は沢山の人間を殺ってきたじゃないか、あいつに毒されてるんだよ」
 鋭い眼光でハンスはスピカを睨む。
 「違うわ、可笑しいのはわたし達の方よ、人を殺して楽しむなんて普通じゃないわ」
 スピカは言い返す。
 チェリクは両親と一緒に生活を営んでいた。彼の話を聞くたびに自分の生き方が普通ではないことを突きつけられた。
 昔のスピカはハンスと同じく殺戮を楽しんでいたが、今はもう楽しむ事が出来ない。
 「……つまり、闇の集団を抜けるという事だね?」
 「そうなるわね、アーク様には近々相談するわ、簡単には事は運ばないでしょうけど」
 スピカはハンスから視線を反らす。
 具体的にやりたい事や、何処に行きたいかなどははっきり決まってはいないが、闇の集団にはいられないのは確かである。
 ハンスは低い声で笑った。
 「闇の集団を抜けるのは無理だよ」
 足音を立てずにハンスはスピカに近づき、剣先を向ける。
 「お姉さまは、ここで私に倒されるんだから」
 スピカはハンスを見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。
 「どうやら本気のようね……アーク様に話す前に、あなたと戦う必要がありそうね」
 短剣を出し、スピカは構えた。
 何かを得るためには、痛手も覚悟しなければならない。
 例え血を分けた家族と戦うことになってもだ。
 「お墓の準備はしておくから本気でかかってきなよ、アーク様を裏切るお姉さまなんか大嫌いだ」
 「分かってもらおうとは思わないわ、双子でも別々の人格ですものね」
 こうして、双子の戦いは始まった。
 今の生き方に疑問を抱くスピカ、今の生き方に満足するハンス。
 ずっと一緒だった双子だが、時間の力が双子を変えた。
 
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