瓶の枯れた花を、紫陽花に変え、チェリクは眠り続けるスピカを見た。
安らかな表情のまま、静かな寝息をたてている。
目を覚まさない彼女を見て、チェリクは胸が掻き毟られるように痛んだ。
「スピカさん……」
疲れた表情でチェリクは呟いた。毎日のようにスピカの見舞いに訪れ、彼女の身の回りの世話をしている。
奇跡が起きてスピカが起きるのを心待ちにしているのだ。
早く声が聞きたい、笑いかけて欲しい……それがチェリクの願いである。
チェリクはスピカの手を握った。小さくひんやりとしている。
「目を覚まして下さい、あなたがいないと辛いんです。スピカさんは僕が一人でもやっていけると励ましてくれましたが、僕は一人じゃ何も出来ない臆病者なんですよ」
チェリクは弱音を吐いた。スピカが眠りについた原因は、最大の敵・アークの攻撃からチェリクを庇ったためだった。スピカはすぐさま病院に運ばれて治療を受けた。幸いにも一命は留めたが、アークがかけた魔法によって眠りに陥ったのだ。
眠りの解除を試みたが、高度な呪文がかけられており、下手に解除しようとするとスピカの精神が崩壊する。そのため討伐隊内で選りすぐりの魔術士チームが結成され、魔法の解析を急いでいる。
かれこれ一ヶ月近く経つが、未だに発展がない。
チェリクは悲しかった。何もできないことが。
討伐隊で常に世話になった先輩を救えず、歯痒かった。
「ここにいたのね」
チェリクは後ろを向くと、薄い桃色にウェーブのかかった髪、大きな青い瞳、ふっくらとした顔立ちの女性が扉をくぐった。チェリクのもう一人の先輩・アメリアだ。
彼女もチェリクと同じく、スピカの見舞いによく訪れる。
アメリアはチェリクの横に来た。近くで見ると中々の美人である。
チェリクは頬を赤くして、視線を背けた。
「アメリアさん……」
アメリアはチェリクの側に来るなり、はっきりと注意した。
「訓練さぼっちゃだめよ、上官がカンカンに怒ってたわよ」
アメリアはチェリクに釘を刺した。
チェリクは胃がずっしりと重くなった。スピカの見舞いのために訓練を時々すっぽかしている。
「……すみません」
チェリクは体を小さくして謝った。
アメリアはスピカに代わって彼の指導をしている。部下に対してはとても厳しい。
「スピカのことが心配なのは分かるけど、まずは自分のことを大事にしなきゃ、起きた時に一喝されるわよ」
「はい」
チェリクは自分の非を素直に認めた。
スピカは怠けている人間には厳しく、もし今のチェリクをスピカが見たら容赦なく怒るだろう。
「あの……それで、何か分かりました?」
間を置いて、チェリクは質問した。
怒りから一転し、アメリアは暗い表情で首を横に振る。
アメリアは魔術士チームの一員で、スピカにかけられた呪文の解析をしている。しかし結果は思うように出ない。
彼女の顔からして今日も駄目だったのだ。
「そうですか……」
チェリクは小さな声で囁いた。
「ごめんなさい、全力を尽くしているのだけど、あまりに強い呪文だから魔法を特定するのに時間がかかるのよ」
アメリアの体は小刻みに震える。
目の前にいるスピカを救いたいのに救えない苦しさが伝わってくる。
アメリアは真剣な面持ちでチェリクを見た。
「でも絶対にスピカを助ける。これだけは約束する。スピカのいない日々は貴方だけじゃなくて私だって寂しいから」
瞳を潤わせ、アメリアは言った。
チェリクはアメリアとスピカが楽しそうに会話をしているのを何度も見ている。二人は仲の良い友達だというのを認識している。
アメリアからすれば友達のいない生活は灰色に等しい。
「僕はアメリアさんを信じます。必ずスピカさんを助けてください、お願いします」
「有難う……スピカのためにも精一杯頑張るわ」
アメリアはそれ以上言わなかった。チェリクの心遣いが嬉しかった。
一人の眠りは、信頼している人間にしてみれば長く苦しい生活を余儀なくされ、それに伴い取り巻いていた人間関係も大きく変化したのだ。
願うは一つ、早く長い眠りから覚めて欲しい。
それだけである。
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