スピカは呆然としていた。
ハンスの服や肌には返り血が付着し、彼の手には人の頭が握られている。
彼の状態と、病院の状況を全て照らし合わせると、最悪な想像がスピカの中で出来上がっていった。
「ハンス……なのよね」
唇を震わせて、スピカは訊ねた。
ハンスは涼しげに笑った。
「そうだよ、さっきから言ってるじゃないか」
ハンスは不機嫌そうに答え、人の頭を乱暴に放り投げる。
ハンスに投げられた人物は既に息絶えているのか、地面に投げつけられてもピクリとも動かない。
「あなたが全てやったの?」
「お姉さまは受け入れたくないみたいだね、私の行いを」
ハンスは笑いを絶やさないままスピカに近づいてきた。
スピカの表情はみるみる青くなり、息苦しさを感じた。
目の前にいるのがずっと捜し求めていた弟だと到底思えない。スピカの中にあるハンスは血を見るだけで青ざめ、動物が怪我をした時は懸命になって助ける少年だった。
それが目の前にいるハンスは、血を見ても何も感じず、それどころか平気で人の命を奪うような人間になっている。
なぜ、ここまで人は変わってしまうのか理解できない。
消え入りそうな勇気を振り絞り、スピカはそっと口を開いた。
「……どうして、こんなことをしたの」
スピカはハンスを見据えた。
大量殺人を犯すなど正気ではないからだ。ざっと見る限り二十人は死んでいる。
ハンスは軽蔑の眼差を、スピカに向ける。
「簡単さ、全てお姉さまのためだよ、私がどれだけ成長したのかを見せたかったんだよ」
腰に携えていた長剣を抜き取り、ハンスは何の躊躇いも無く死体に剣を突き刺す。
彼の表情は、嬉しそうだった。
死者に対する無礼に、スピカは怒りを露にする。
「やめなさい!」
スピカはハンスに注意をしたが、ハンスは止める気配が無い。
「私はね、ずっとお姉さまに劣等感を抱いていたんだ。家族に愛されるのも、欲しい物をねだればすぐに与えるのもお姉さま
私がどれだけ努力をしても、どちらも私の事を見てくれない」
ハンスは死体を蹴り、スピカの方を見る。
彼の目は悲しさに満ちていた。
双子が同じだけの幸せを得たか、というとそうではなかった。先に生まれてきたスピカは両親に愛されていた。
一方、後に生まれてきたハンスは、あまり構ってもらえなかった。
彼の境遇を知るためにハンスと入れ替わった際にも、愛情の違いは痛いほど伝わってきた。
スピカは疑問に思った、どうして二人とも一緒に幸せになれないのか。
家柄の方針なのか、ハンスが哀れに思える。
「私を必要としてくれる場所を見つけたんだ。そこで私は殺人を覚え、沢山の人をこの手で斬ってきたよ……代わりと言っちゃ難だけどお父さまは死んだよ」
ハンスはふっと笑う。
彼の口から、肉親の死を告げられ、スピカは衝撃を隠せなかった。
「こんな場所で立ち話も難だから、歩きながら話そうよ」
ハンスはスピカに背を向け、奥へと進む。
ついて来いということか。
スピカは死体を踏まないように、慎重な足取りで歩いた。
改めて死体の山をみると、どれも酷い死に様で、スピカは口元を押え出来るだけ見ないようにした。

死体の群れから離れ、細い廊下に差し掛かったときに、スピカはハンスに話しかける。
「お父さんが死んだって……いつ?」
スピカは一番聞きたかったことを訊ねた。ハンスは背を向けたままで答えた。
「お姉さまと離れてからすぐの話だよ、急に盗賊が押しかけてきて、家の中にある金目のものを奪っていった上に、盗賊を退けようとお父さまは奮闘したけどね、私を庇って刺されて死んだんだ」
「そんな……」 
スピカは表情を悲しげに歪ませる。
ハンスの声色は無機質で、肉親の死に感情の揺らぎを感じさせない。
父はハンスを騎士にするため、厳しく彼に接していた。
ハンスを立派にしたいという思いは、傍観者として見ていたスピカには理解できたが、本人は父を恐れるようになっていた。
別々の生活になっても、その生活は変わらなかったのだろう。
親の愛情をハンスは感じ取れず、死別して自分を取り巻く恐怖から解放されたと思っている様子だ。
「私は盗賊に連れ去られて死を覚悟したけど、私がまだ子供だったから盗賊のボスが生かしてくれたんだ。その代わり私は盗賊の一員として生きることになったんだ」
「……さっきの死体の群れもリーダーに命じられてやった。そうなのでしょ?」
スピカは訊いた。ハンスは相変わらずスピカを見ないまま答える。
「違うよ、私が独断で勝手にやったことさ、後で叱られるだろうけど、まあいいさ」
ハンスは明るく言った。
人に命じられてではなく、ハンスが自身の意思で行ったことが、ショックだった。
父の死、ハンスの変貌、この日だけで二つの出来事がスピカに突きつけられる。
「今度はこっちから質問だけど、お母さまはどうしているんだい?」
その質問に、スピカの心臓が高鳴り、表情をしかめる。
思い出したくも無い部分に触れられたからだ。
家庭の事情によって双子の両親は十一年前に離婚をしており、そのためハンスは父方にスピカは母方に引き取られたのである。
スピカは足を止め、しばらく黙り込む。
ハンスはようやくスピカの方を見た。
「どうしたんだい、さっきまであんなに喋っていたのに」
スピカは下に目線を変える。
胸に手を当て、言うか言うまいか悩む。
ハンスは近寄ってくるなり、スピカの顔を覗き込んで来た。
「教えて欲しいな、私が言ったんだからお姉さまが言わないのはずるいよ」
ハンスは嫌らしく言った。彼はスピカが辛い記憶を引き出すのを分かりきっているようである。
彼の意見にも一理はある。ハンスが話してくれたのだから、自分も話さないとならない。
口がカラカラと渇く中、スピカはハンスの目をしっかりと見た。
「……あの人のことは知らないわ」
スピカは冷たく言った。
父を「お父さん」と呼び、母を「あの人」と他人のように扱っていることに、ハンスは驚いている様子だった。
「意外だねぇ、てっきり仲良くやっているかと思ったんだけどな」
スピカの心に激痛が走る。傷口から血が流れ、悲鳴を上げる。
母と過ごした日々は、決して楽しいとは言えなかったからだ。離婚が原因で精神的に不安定になった母はスピカに辛く当たるようになり、時には「あなたを産むんじゃなかった」など、虐待とも思える発言まで繰り返すようになった。
そんな生活に耐え切れなくなり、スピカは荷物をまとめて家を飛び出したのだ。
痛む心を堪え、スピカは言葉を紡ぐ。
「十五歳の時に家を飛び出したから、その後どうなったのかは分からないの……これで満足?」
「案外薄情なんだねお姉さま、心配じゃないのかい?」
ハンスは更に訊いてきた。
両親がまだ一緒だった頃は上手くやってきたが、片親になるとギクシャクし、お互いの間に大きな溝が横たわるようになった。
「そんな訳ないじゃない、今でも心配になるわ」
スピカは声を低くした。肉親のことが気にならないというと嘘になる。
どれだけ反りの合わない親であっても、家族なのだから気になる。
「本当かな? お姉さまの目を見ると、嘘に思えるけど」
ハンスのしつこさにいい加減うんざりし、スピカはハンスを睨む。
血の繋がった兄弟であっても、やって良いことと悪いことがある。
「いい加減にして」
手を強く握り、スピカは言った。
「どうしてそんなに怒るんだい、私はお母さまのことを知りたいだけなのに」
「あの人のことは思い出したくないの、それが分からない?
もう一度だけはっきり言うわ、あの人のことは知らないけど、心配なのは事実よ」
スピカの声色には怒りが満ちている。
二つの出来事に加え、過去の古傷を抉られ、精神的にきつい。
スピカの心の重荷になるのは、ハンスの喋り方にも原因があった。
人を見下すような言い方が、どうしても鼻に付く。
「もうこの話は止めにしましょう、雰囲気が悪くなるわ」
スピカははっきりと言い切った。
すると、突然ハンスが動き出し、スピカの首筋を掴んで、壁際に叩きつけてきた。
一瞬の出来事に、スピカは戸惑った。*
「そういう訳にもいかないんだよ、お姉さまにはもっと怒ってもらわないとね」
ハンスは力をますます強める。
息苦しさを感じ、スピカはハンスの手を両手で掴んで引き離そうとするが、相手の力が強くそれすら叶わない。
「私の言葉使いも、わざとお姉さまが不愉快に思うような口振りにしてるんだよ、こちらから言わせて貰うとお姉さまの言葉使いがずい分変わったよね、長い間庶民の生活をしていたからかなぁ?」
ハンスによってスピカは宙に掲げられる。
足が地面から離れ、空中に浮く。
「私はね、庶民なんて大嫌いなんだよ、生活にも不自由で楽しくないじゃないか」
ハンスは挑発させるように言う。
離婚が原因で、宝石やドレスなど優雅な物に囲まれた生活から一転、母子揃って厳しい現実を生きなければならなくなった。
あれだけ優しかった親戚の人間も、庶民になった自分達を支援することは無かった。
父の仕事が失敗していなければ、人生も違っていただろう。
ハンスが庶民を嫌うのも、制約が多いから理解できる。
だからこそ、ハンスに同情したい。
「……どうして……わたしを怒らせたいの……」
スピカは表情を歪ませて訊ねる。
怒っていない様子に、ハンスは舌打ちをした。
「教えて欲しいかい? なら、こいつらを全て片付けたら教えてあげるよ」
ハンスは指を鳴らした。するとさっききた通路から、大量の人影が遅い足取りでこちらに向かってきた。
ゾンビだ。
それもハンスが殺めた人間達が蘇ったのである。

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