スピカはハンスと決着を着けた病院の屋上にいた。
白い星空に、輝く蜂蜜色の月……囲まれたフェンス、全てスピカが記憶した時のままだった。
だが、一つだけ違うのは、ハンスが穏やかに微笑んでいることだった。
「久しぶりだね、姉さん」
優しい眼差しで、ハンスはスピカに声をかける。
スピカは少しだけ笑う。
「本当ね……あなたが出てきたのは約何年ぶりかしら、ずい分長かった気がするわ」
スピカはハンスの隣にそっと座る。
彼の姿も全く変わっていない。
「こうして僕に会えるってことは、良い報告?」
ハンスの問いかけに、スピカは首を縦に振る。
「……やっとアークを倒したの、後は闇の集団の残党を倒せば、闇の集団は壊滅するわ」
スピカは満月を眺める。
スピカが叶えたかった願望が、ようやく叶ったのだ。スピカだけでなく支えてくれた仲間がいたお陰である。
「姉さんならやれると思ったよ」
ハンスは温かな言葉をかけた。
「アークを倒してくれて有難う、これで僕もすっきりするよ」
「あなたがすっきりしてくれるなら、わたしも嬉しいわ」
ハンスの言葉が、スピカにとって最大の報酬。
お金より、地位よりも、何よりも変えがたい経験値だった。
だが、一つだけ忘れてはならない事実があった。
その事を思い出し、スピカの表情は曇る。
「……どうしたの?」
ハンスが姉の様子が変わったことを心配し、声をかける。
「あなたがくれたヘアバンド、アークと戦っている最中に切れちゃったの」
スピカは申し訳無さそうに語る。
ハンスがくれた白いヘアバンドは、髪を短くしてからも常に肌身離さずに身につけていた。
ハンスのことを忘れない意味で……
ところが、アークと戦っている最中に、アークの一撃がスピカの頭に当たり、ヘアバンドが真っ二つに切れてしまったのだ。
「ごめんね、ハンス」
スピカは謝る。
しかし、ハンスは怒ってはいなかった。
「姉さんが無事だったなら、それでいいよ、ヘアバンドも年季が入っていたからいつ切れてもおかしくなかったんだよ」
表情を崩さず、ハンスは語る。
ハンスの心優しい性格が出ている一言だった。
「そういえば……」
ハンスはスピカの右腕を見る。
何か気が付いたらしい。
「腕、どうしたの……痛むの?」
スピカは無意識の内に、右腕を庇っていたようで、ハンスに聞かれてようやく気付く。
「アークとの戦いで怪我をしたの」
スピカは上着を捲り、包帯に巻かれた右腕を見せた。
利き腕だった右手も、アークとの戦いの際に負傷したのである。
日常生活を営む上では支障は無いものの、戦闘では使い物にならない。
「目的は果たしたんだし、後輩に託してわたしは引退しようと思うの」
上着を戻し、スピカは言った。
チェリクを含む、スピカを慕ってくれる部下達のことだ。彼等なら上手くやってくれるからだ。
「それでね私……」
スピカは言う前になって、気恥ずかしくなった。
頭では分かってはいても、口に出すのはやはり緊張する。
その証拠に、心臓が高鳴っている。
「急に黙るなんて姉さんらしくないよ」
ハンスはいつもと違うスピカに戸惑っている様子だった。
ここまで言っておいて、言わないのもハンスに悪い。
スピカは何度か深呼吸をして、ようやく言う決意を固める。
「わたしね……結婚することになったの、相手はわたしと同じ討伐隊の人でね……」
スピカは頬を赤く染めて、ハンスに相手のことを伝えた。
めでたい報告に、ハンスの表情は明るくなる。
「おめでとう姉さん、自分のことのように嬉しいよ」
ハンスはスピカの左手を握る。
スピカ自身も、結婚して家庭を築くという実感が沸かないのだが、時間をかけて慣れてゆくことだろう。
相手もスピカの性格や過去の背景を全て受け入れてくれる人物で、スピカも相手の包容力に惹かれて結婚を決意したのだ。
周りの人間は大いに祝福してくれて、アークという壁が無くなった今、スピカは一人の女性として幸せである。
「ありがとう……ハンス」
スピカはハンスの手を両手で重ねる。
こうして目的を果たせたのも、ハンスの存在があったからだ。
彼には感謝の言葉が尽きない。
「姉さん、幸せにね、僕の願いはそれだけだよ」

スピカはゆっくりと目を開く。
久々に夢でもハンスと会えたことで、胸の中は温かさに満ちていた。
「ハンス、わたしは幸せになるわ」
スピカは隣に目をやる。
側にはスピカの婚約者が静かに寝息をたてていた。
「この人と一緒にね」
スピカは笑みをこぼした。

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