「おい、起きろ」
リンの夢は自分の家では聞かない声で破られることになる。
リンは重い瞼をゆっくり開くと、ナルジスがリンを見下ろしていた。
「ナルジス……」
リンは起き上がり、ナルジスを凝視する。
「どこから入ってきたんだよ」
「簡単だ。きみの部屋の窓から入ってきた。鍵は解除の呪文で開けた」
ナルジスは窓を指差す。どう考えてもナルジスのしている事は不法侵入だ。
「そんな事して良いのかよ、立派な犯罪だぞ」
「言われなくても分かってる」
ナルジスは言うと、リンの部屋を見回した。
「変わってないんだな、きみの部屋は」
「え?」
「本題に入るぞ、きみの幼なじみが治安部隊に連れていかれた」
「治安部隊に……ラフィが?」
「詳しい説明は部屋を出てからする。急いで支度しろ」
「……分かった」
有無言わせないナルジスの雰囲気に、リンは同意せざる得なかった。

仕度をしたリンはナルジスと共に自室の窓から部屋を飛び出した。
「あの書き置きは必要あるのか?」
「一応やっておかないとまずいかなと思ったんだ」
リンは言った。母親に心配をかけないように自室の机には母親宛に書き置きを残してきた。
「きみの母親は幼なじみが連れていかれたことを知ってると思うぞ」
「それでも……な」
リンは重苦しい声を発した。リンの両親は五才の時に離婚し、それからリンは母親の負担にならないように生きてきた。
こうして夜間に飛び出すことも本当ならやらないことだ。が、今はラフィアが絡んでいるので話は変わってくる。
「連れていったのはティーア士官だ。子供に緩いと言われても尋問は容赦ないからな」
ティーアの厳しさは三年前の裁判で見ているので嫌というほど分かる。
最近では天使同士の暴力沙汰の裁判でもティーアは天界の法に触れたとして、両者とも刑務所送りとなった。
「どうして知ってるんだよ」
「用事があって外出している時に、あいつが治安部隊と一緒と連行されるのを見た」
「何で連行されたんだ。ラフィは悪いことをしてないぞ」
記憶を探る限り、ラフィアが治安部隊に目をつけられることはしていない。
強いていうなら昨日の昼の食堂でカレーを早く食べたいあまりに、おかわりしようとした際に列に割り込んだこと(後に先生に注意された)位だが、それで治安部隊が出動するとは考えられない。
「詳しい事は治安部隊に行って訊いた方が良いな、ティーアのことだ。ろくでもない理由であいつを尋問するんだろうな、俺も行くぞ」
「ちょっと待てよ」
リンは立ち止まる。
「何で君がついて来るんだよ、これは僕や母さんの問題のはずだろ」
ナルジスは今まで接点がほとんど無く、あったとしても嫌みを言うなど、ナルジスと接するだけで不快な気分になることが多かった。
よって昨日からナルジスがリンと接してくる上に、一緒に同行するというのは少し違和感がある。
ナルジスは「ふぅ……」とため息をつく。
「忘れたのか?」
「何をだよ」
「俺ときみとあいつが小さかった頃は友達だったことを」
ナルジスの口から語られる内容は信じがたいことだった。
ナルジスはポケットを探る。
「とは言っても、俺も最近部屋の整理をしてこの写真を見るまでは忘れてたけどな」
ナルジスは一枚の写真を出した。リンは写真を覗き込む。
「これは……」
写真には幼い頃の自分とラフィア、そしてナルジスが写っている。
「持ってみろ、ちゃんと思い出せるはずだ」
リンは右手を伸ばして写真に触れる。
すると頭の中に掛かっていた靄が一気に晴れていく感覚に陥った。
幼稚園の頃、リンはラフィアとナルジスの三人でよく遊んでいた。かくれんぼや鬼ごっこをすることが多く、ナルジスは隠れるのが上手く中々見つからず、ラフィアは逃げ足が早くて捕まえるのが大変だった。
ラフィアの誕生日の際は、ナルジスが花をプレゼントして「しょうらいぼくのおよめさんになってください」と可愛いプロポーズをして、ラフィアもナルジスの花を受け取り「いいよ」と明るい笑顔で返した。仲の良い二人を見てリンは自分のことのように嬉しかった。
幼稚園を卒園する際、ラフィアの母親が三人にブレスレットを手渡した。これからも三人がずっと仲良くできますようにという祈りを込めて。
その際、ラフィアは言った。
「わたしたちはおとなになってもずーっとなかよくしようね!」
幼少期の思い出が蘇り、一筋の涙がリンの頬を伝う。
「何でこんな大事なことを忘れてたんだ……」
リンは涙を拭った。リンにとってナルジスもラフィアと同じくらい仲のよい友人だったからだ。
「恐らく記憶封印の呪文だな、写真に触れることをきっかけに思い出すようになってたんだろ」
「何でそんな事を……」
「きっとあいつの記憶喪失と絡んでるだろうな、俺達の記憶を封印させて悲しみを和らげたかったのかもしれない、写真に触れた瞬間暖かさを感じたからな」
ナルジスは言った。
ナルジスは呪文の感情を読み取るのが得意である。
「封印する必要あったのかな、僕にとって忘れてはならない思い出だよ」
リンは力強く言った。
「きみは怒るかもしれないが、俺にとっては忘れていて良かった。
あいつとの思い出が蘇った時、あいつは俺に言ったことも全て忘れてるんだなと空しい気分になったよ」
ナルジスの意見も理解できる気がした。自分達は覚えてるのに、一人が完全に忘れているというのも悲しいことだ。
「一体誰が封印したんだろう」
リンは頭に手を当てて考える。
自分の母親や、ラフィアを手当てした医師などが思い当たるが、記憶を封印するか疑問である。
「やった人が誰なのかは分かる気がするぞ」
「誰なんだ?」
「いや、それは後にしよう、今はラフィを助けるのが優先だ」
ナルジスはラフィアの愛称を口にした。さっきまではラフィアのことを“あいつ”と呼んでいたので大きな変化だった。
「そうだね」
「行くぞ、リン」
「ああ、行こう、ナルジス」
絆が戻った二人は、もう一人の友人を助けるべく、治安部隊の本拠地に向かうのだった。

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