「どういうことだ?」
リンはナルジスが言ったことを理解できずに訊ねた。
「今そこの赤毛女が呪文を止めてみろ、中にいる黒天使が動き出して俺たちを襲いかねない、まあ赤毛女をおとりにするというのもあるが」
ナルジスが言うとコンソーラは悲しげな顔をした。
コンソーラが停止呪文を止めれば黒天使が動きかねない。ナルジスはそう言いたいのだ。
かと言ってコンソーラをおとりにして自分たちだけ逃げると言うのも後味が悪い。
「それはダメだ。コンソーラの恩を仇で返すようなものだろ」
「きみがそう言うと思って、俺とそこの裏切り者で、黒天使の足止めをする」
裏切り者とはカーシヴのことである。
「ナルジス、カーシヴさんは僕達より年上なんだぞ」
「構わないですよ、ナルジスさんの言っていることは合ってますから」
カーシヴは重苦しい声を発した。
「一度しか言わないからよく聞け、俺が合図をしたら赤毛女は呪文を止めろ、そしたら俺と裏切り者が目眩ましの呪文をかける。
その間にリンはラフィを連れて学校に逃げろ、あそこだったらメルキや他の先生もいるから安全なはずだ」
今日はメルキは宿直で学校にいるので、かくまってもらえそうだ。
話の中でコンソーラのことが出ていないことが気になり、リンはコンソーラの顔を見る。
「コンソーラ、良かったらついてきてくれないかな」
リンは言った。コンソーラには色々聞きたいことがあるからだ。
「……良いん……ですか?」
「君が良ければだけど……」
「喜んで!」
コンソーラは朗らかな声になった。
メルキは事情を話せば無闇に黒天使を攻撃はしないはずだ。メルキは授業では黒天使の戦いについて語ってはいたが、黒天使との接触を禁じる天界の法律を嫌っているのだ。
「じゃあ、やるぞ」
ナルジスの一声で空気が緊張に包まれる。
「一……二……」
ナルジスは数字を口ずさみ、両手を上げる。
リンはいつでも逃げられるように身構えた。
「三!」
ナルジスの声と共に、コンソーラは停止呪文を止め、ナルジスとカーシヴは空間に向けて目眩ましの光を手から放出する。
「ナルジス、カーシヴさん、また後で会おう」
リンは二人に背を向けた。
「コンソーラ、行こう」
「はい」
リンはコンソーラに一声かけて、気絶しているラフィアを含む三人でその場を去った。

ラフィアは花畑の花を眺めていた。
「ラベンダー綺麗だな、マルグリットちゃんにも教えなきゃな」
ラフィアは言った。マルグリットは花が大好きな友人で、一面に咲くラベンダーを見たら喜ぶはずだ。
花畑は季節によって色んな花を咲かせる。今は夏の時期なのでラベンダーが咲いているのだ。
「こんな所にいたのか」
ラフィアの背後から、儀式の時に聞いた声が耳に入る。
足音と共に、黒天使の気配が迫り、ラフィアは恐る恐る振り向くと、黒天使の男が立っていた。
「……あなたは誰」
ラフィアは男の顔を見上げた。男の背丈はラフィアよりずっと大きいからだ。
「俺はイロウ、俺のことも忘れたか」
イロウの意味深な発言に、ラフィアは目を丸くする。
「あなた、わたしの事を知ってるの?」
「知ってるも何も、お前と俺は過去に何度も会っている。両親も同様だ」
「お父さんとお母さんにも? じゃあわたしの記憶のことも知ってるのね」
イロウは表情を変えずに「ああ」と言う。
「だから儀式の時にも話しかけてきたのね」
「……そうなるな」
ラフィアは緊張を解すために、深呼吸をした。
「あなたを含めた黒天使が天界に来た目的は何?」
「お前にも大体は分かってると思ったがな」
「……もしかして、わたしの力?」
ラフィアの声は真剣さを帯びていた。黒天使が狙っているならそれしか考えられない。
「お前が持つ力は、黒天使だけでなく世界を救う力にもなる。覚えておけ」
イロウはそう言って、ラフィアに背を向けてゆっくり去っていった。
「イロウ!」
ラフィアは黒天使の名を叫ぶ。
「わたしは自分の力を、悪用させる気はないから!」
去り行く背中に、ラフィアは言い放つ。
イロウの話を信用できないからだ。

ラフィアは瞼を開いて、夢から現実に戻ってきた。
「おっ、気がついたようだね」
右の方から先生であるメルキが顔を覗かせる。
「ラフィ、大丈夫?」
左からは幼馴染みのリンが心配そうに見つめていた。
「メルキ先生……リン君……」
ラフィアは二人の名をか細い声で呼ぶ。
そして周囲を見回し、自分がいる場所がどこなのか把握する。
「ここは……学校の保健室だよね」
「ああ、君を黒天使から助け出して学校に来たんだ」
「黒天使……」
その言葉をきっかけに、意識が戻る前の記憶が蘇る。
二人の黒天使と姉を失ったカーシヴの悲しげな顔が色鮮やかに浮かぶ。
「そうだ! カーシヴさんは?」
ラフィアは真剣な顔で訊ねた。いくら裏切ったとはいえ、安否が気にかかった。
「カーシヴさんは後で来るよ、だから大丈夫」
「ねえリンちゃん」
ラフィアとリンの会話に、メルキが入ってきた。
「今の状況をラフィアちゃんに説明してあげた方が良いと思うよ、何できみがこの場にいるのかとか、それと」
メルキは保健室の扉に目を向ける。
「外で待たせているコンソーラちゃんにも悪いしね」
「そうでしたね」
リンは言った。
「ラフィ、コンソーラを見て大声出しちゃダメだよ」
リンの話をラフィアは理解できなかった。
が、リンが扉の前で声をかけて、赤毛の少女が現れるとすぐに分かった。少女の背中には黒天使の証である黒い羽根が生えていたからだ。
「きゃあっ! 黒天使!」
ラフィアの声は裏返った。その反応にコンソーラは落胆した表情を浮かべる。
リンは自分を驚かせないために、黒天使の少女を外で待たせていたのだ。
「そういう反応するのは仕方ないですよねぇ……」
「な……何で黒天使がいるの?」
ラフィアはコンソーラを指差した。自分を狙う黒天使がこの場にいることが信じられなかった。
「ラフィアちゃんの反応は当然だろうね、先生もリンちゃんがコンソーラちゃんと一緒に来た時はびっくりしたよ」
メルキは冷静に言った。
「けど、リンちゃんから事情を聞いて納得したよ、コンソーラちゃんはラフィアちゃんの恩人だってね。
黒天使でも天使を助けてくれたから邪険に扱えないよ」
「元はと言えば、私達黒天使が天界に入ってこなければ、ご迷惑をおかけすることもなかったんですよね……」
コンソーラは怯えた声で言った。彼女にも悪意は無いのかもしれないが、ラフィアの癪に触った。
「コンソーラ……さんだっけ?」
「はい、そうですけど」
「リン君やメルキ先生に洗脳の呪文をかけたんでしょ、だから二人は黒天使に肩を持つようなことを言うんだ」
ラフィアは羽根を広げ、右手をコンソーラに掲げる。
洗脳の呪文とは黒天使が使用するもので、文字通りあらゆる生物を操ることができる。
コンソーラが二人に洗脳をかけて味方にしたという事もあり得るからだ。二年前に黒天使が人間を襲う所を目撃してからか、ラフィアは黒天使を良く思ってないので、尚更洗脳をかけたと感じてしまう。
「早く洗脳を解いて! でないと炎の玉を食らわせるから!」
「ストップ!」
ラフィアの行動を止めたのはメルキだった。
「ラフィアちゃん、先生やリンちゃんは正常だよ、洗脳の呪文がかかっているなら、饒舌に喋れないよ……忘れた?」
ラフィアは洗脳の呪文のことを思い返した。確か相手のことを思いのまま操れるが、かかった相手は一切喋れなくなる。
よってメルキやリンは洗脳の呪文にかかっていないと言える。
ラフィアは手を下ろした。
「……そうでした」
「分かれば宜しい、きみが黒天使に狙われてるからコンソーラちゃんを疑いたくなるのは分かるけど、皆が皆狙うわけじゃないよ」
メルキの話には妙な説得力があった。
完全に納得はできないが、天使でもカーシヴのように黒天使に手を貸す人物もいるので、ラフィアと同じ天使にも悪い部分はある。
黒天使でも、良識を持つ人物がいるとメルキは言いたいのだろう。
「コンソーラさん、疑ったりしてごめんなさい」
ラフィアはぎこちなく謝罪する。
「……良いんです。ラフィアさんに疑われても仕方ないですから」
コンソーラの声は何処か寂しそうだった。


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