「行ったか」
「……みたいですね」
ティーアは自らの武器であるレイピアを構え直す。
「さっきの続きといきますか?」
「いや、待て」
ベリルは手を前に伸ばした。戦う気はないようだ。
「戦いは後でもできるが、話を聞けよ」
「急に何です」
「オマエら治安部隊は、オレら黒天使が今回の襲撃もラフィアを捕らえに来たと見せかけて、治安部隊に復讐しにきたとか考えてるだろ」
「確かにその線は考えましたけどね」
ティーアは静かに言った。治安部隊の本拠地に出現したことを考慮すればベリルの話も筋が通る。
「だけど残念だったな、オレら黒天使はオマエらなんかに復讐なんてしねぇんだよ
強いて復讐したいなら、ブファス派に堕ちた同胞だけどな、アイツらのせいで黒天使の偏見が酷くなったのは許せねぇ」
「ブファス派のことは知ってますよ、それより貴方に聞きたいことがあります」
「何だよ、戦いを投げだすとかは無しだぜ」
「そんな事はしませんよ、カーシヴがなぜ貴方達に荷担しなければならなくなったかです」
ティーアは言った。カーシヴは治安部隊に入って一年しか経っていないが、勤務態度は良く、信頼できる人物になりつつあった。
が、カーシヴが黒天使に情報を流していることが、どうしても信じられない。
「オマエ、カーシヴから何も聞いてねぇのか」
「恥ずかしい話、そうです」
ティーアは気まずい顔をした。
本当なら黒天使に聞くなどしたくはないが、やむ得ない。
「ははっ! 治安部隊一のど真面目なティーアさんが黒天使に質問なんて傑作だぜ! ワゾンにも見せてやりてぇな」
「い……いいから答えなさい!」
ティーアは声を荒げた。
ベリルは笑うのを止めたが、軽蔑した目付きは変わらない。
「知りたいなら教えてやるけど、ここに来る前に聞いたけど、アイツには姉がいるらしいぜ」
ベリルは言った。

ラフィアはカーシヴと共に、花畑に降り立ち、ゆっくりと進む。
本来ならラフィアがよく遊んでいた場所なので心が躍る所だが、今は緊急事態なので、そうは言っていられない。
「カーシヴさん、ここに安全な場所があるんですよね?」
ラフィアは目の前にいるカーシヴに訊ねる。カーシヴの説明だとこの花畑に秘密の避難場所があるという。
しかし、カーシヴは答えない。こうして歩いている内にも黒天使が迫っているかもと不安になったラフィアはカーシヴの目の前に立つ。
「カーシヴさん、黙ってないで答えて下さい」
ラフィアは強い口調で言った。カーシヴは迷った表情を浮かべた。
「……すみません、ラフィアさん」
カーシヴは弱々しい声で謝った。同時に風が吹いて花畑の花びらが宙を浮く。
「何で謝るんですか?」
「ぼくは、あなたを騙していました」
「え……それってどういうこ……」
ラフィアが言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。何故なら強烈な風が吹き、無数の花びらがラフィアの周囲を包んだからだ。
黒天使の力を感じることから呪文を使用してるのは黒天使だと理解した。
……何これ、前が見えない。
ラフィアは腕で顔を覆い、花びらが顔にかからないようにした。
「カーシヴさん!」
ラフィアは力一杯叫んだ。しかし声は花びらに遮られて届かない。
声のしっぺ返しと言わんばかりに、花びらにの群れはラフィアの全身を飲み込む。
ラフィアの意識はそこで途絶えた。

目を覚ますきっかけになったのは指先の痛みだった。
「あーあ、目を覚ましたよ」
「構わない、……を採取できれば良い」
ラフィアは左右にいる二人の黒天使の顔を見た。視点からしてラフィアは立たされているようだ。
ラフィアがいる場所は、奇妙なことに花びらが覆う不思議な空間だった。
「く……黒天使……」
「そうだよ、どんな馬鹿でもこの羽根を見れば分かるよね」
左にいた紫髪の少年はラフィアを挑発するように口走る。
右の黒髪の青年に目を向けると、ラフィアの指から血をビーカーに入れていた。
「何……してるの?」
「これも説明しないと駄目なのかな」
紫髪の少年に言われなくてもラフィアは理解した。
「いや、やめて!」
ラフィアは両手足を動かそうとした。ところが拘束されてるらしく、身動き一つ取れない。羽根も同様だ。
黒天使に捕まった挙げ句、血までとられるのは天使として屈辱である。
「暴れようとしても無駄だよ、サレオスの拘束の呪文をおまえの体にかけてるからね。指一本動かせないよ
あんま口うるさいと唇にもかけるかもよ」
「唇にかけなかったのはお前の要望だ」
「そーだっけ?」
「苦痛の声が聞けないのは嫌だって言ったろ」
二人は楽しげに会話をするが、ラフィアは黒天使に捕まったことが内心怖くて仕方がなかった。
一つ分かったことは黒髪の青年がサレオスというようだ。
「あ、あのラフィアさん」
二人の黒天使の後ろから白い羽根が視界に入る。
「カーシヴさん」
ラフィアは先程まで一緒に行動していた天使の名を呼ぶ。
カーシヴはラフィアを助ける訳でもなく、黒天使の行いを眺めている。
「黒天使を刺激するようなことを言わないで下さい、ラフィアさんがこれ以上傷つくのは見たくないですから」
カーシヴは言った。ラフィアは嫌でも分かった。カーシヴは黒天使と組んでいたのだ。
怒りと悲しみの感情がラフィアの心に混ざり合う。
「カーシヴさん、どうして黒天使に協力してるんですか? あなたは治安部隊の人なのに……」
ラフィアは訊ねる。それだけはどうしても知りたかった。
ラフィアを安全な所に連れていくと凛々しく語ったのは嘘とは思えない。
カーシヴは体を小刻みに震わせる。
「本当にごめんなさい、ぼくだって嫌ですよ、ラフィアさんを裏切ったことを……」
カーシヴは聞いている者に同情を誘う哀れな声で口走る。
「でも、ぼくの姉が黒天使に捕らわれてしまって、解放の条件がラフィアさん、あなたの血を差し出す事だって言われて……それで仕方なく……」
カーシヴは歯切れ悪く話を終える。
「こうなる事が、分かってたんですね?」
「……すみません」
カーシヴの謝罪で、ラフィアは裏切り者の思いを理解した。カーシヴは姉を救いたくて自分を黒天使に捧げたのだ。
どっちにせよ、カーシヴは治安部隊に厳しく罰せられるだろう。
紫髪の少年がラフィアに背を向け、カーシヴの肩を叩く。昔から付き合っていた友人のように。
「色々と協力サンキューな、おまえのお陰でサレオスの望みが叶うかもしれないしな」
紫髪の少年の声は喜色に染まっている。
「ぼくは約束を果たしましたよね、姉さんを返して下さい! 」
カーシヴは紫髪の少年にすがる。ラフィアはカーシヴが哀れだと思った。
「そうだね、返してあげたいけどね……」
紫髪の少年は煮え切らない言い方をした。と思えば、次の瞬間絶望が襲いかかる。
「だけど残念でした。おまえの姉さんはサレオスがきつい拷問したせいで三日前に死んじゃったんだよ、最期にはおまえの名前を口走ってたね。文句あるならサレオスに言うんだね。まあそんな事をしても一瞬で消し炭にされるのがオチだろうけど」
紫髪の少年の言葉は、カーシヴの希望を打ち砕くには十分だった。カーシヴは地面に手と膝をつけた。
話を聞いていたラフィアは泣きたくなった。
「そんな……」
カーシヴは声を震わせる。姉が助かると思ってやった事が、黒天使に踏みにじられてショックなのだ。
「おまえには感謝してるよ、天界に入るために情報提供してくれたことにはね」
「話が違うよ!」
ラフィアは怒りを含む声をだした。
「何でカーシヴさんのお姉さんを殺したの!? いくらなんでも酷いよ!」
ラフィアは紫髪の少年を睨む。
カーシヴが黒天使に手を貸していたことは許されることではないが、事情が事情なので黒天使にも非はあると感じた。
紫髪の少年はラフィアに近づいてきた。
「あのさ、やったのおれじゃなくてサレオスなんだけど、そんな反抗的な目で見られると腹立つんだよね」
「あなたも同じでしょ!」
ラフィアは紫髪の少年に対する怒りを和らげなかった。
紫髪の少年もサレオスも血の通ってない冷酷な黒天使だと思っているのだ。
「なあサレオス、血の採取は終わったか?」
「もう終わる」
サレオスはラフィアの血を入れたビーカーに蓋をして、ベルトに付けている小さな袋にしまった。
「こいつ、むかついたから拷問していい?」
紫髪の少年は不機嫌そうに言い、ラフィアに指差した。
「……お前、いつになくやる気あるな、普通だったら面倒臭いって言うだろ」
「たまにはやる気を出すときもあるからさ、今はその時だよ」
「落ち着け、拷問なら俺がやる。ワゾンはあの天使を見ていろ」
サレオスは一瞬カーシヴに目をやり、
紫髪の少年を宥めた。
「コンソーラもいないし思いっきり痛め付けろよ、でないとおれの気がすまないからな」
紫髪の少年もといワゾンは不機嫌さを崩さないまま、カーシヴの方に移動した。
カーシヴは黒天使が近づいているにも関わらず動かない。姉を失ったことがよほどショックなのだろう。
「わたしの血で何をするの?」
「お前には関係のない事だ」
「関係あるよ! わたしのせいでカーシヴさんを巻き込んだようなものだから!」
ラフィアの声は少し悲しみが混ざる。
カーシヴの肉親が亡くなっているのは聞き捨てならなかった。
サレオスは口をつぐんだ。どうやら話す気はないようだ。サレオスに問いただすことを諦めラフィアはカーシヴの方に目線を移した。
「カーシヴさん逃げて! 黒天使が来てる!」
ラフィアはカーシヴに向かって忠告する。カーシヴが何もしなければ黒天使の餌食になる。
黒天使に協力したとはいえ、カーシヴが黒天使にやられる所を見るのは後味が悪い。
が、カーシヴはラフィアが言っているにも関わらず動こうとしない。
「カーシヴさんっ!」
ラフィアが言った直後だった。サレオスがラフィアの額に漆黒色の光を当てた。
動かない天使の名を呼ぶのをやめ、ラフィアは自分の前にいるサレオスの顔を見る。
「あなた……何をしたの?」
「すぐに分かる」
サレオスの言葉を理解することになったのは、全身に駆け巡る激痛だった。
サレオスに切られた指の痛みを遥かに超えていた。
「あああっ! 痛いっ!」
ラフィアは思わず悲鳴を上げた。
拘束の呪文は解除され体は自由になったが、痛さのあまり体を丸める。
二年前の黒天使の戦いより苦痛だった。
「あっはっは! いい悲鳴だな」
ワゾンが高笑いをした。他人の不幸を喜ぶ声に、痛みに耐えるラフィアにとって腹が立った。
「なあサレオス、あとどれくらいこの声聞けるんだよ」
「五分だ。長くやり過ぎると死ぬこともあるからな」
五分と聞くだけで恐ろしく長く感じた。ラフィアを襲う痛みは一分でも早く過ぎ去って欲しいと願った。

戻る 

 

inserted by FC2 system