ユラから離れ、イロウは静かに歩いてきた。ラフィアはイロウのことをジッと見ていた。
自分の記憶に関わる人物がこちらに来ると思うと心は興奮と緊張が入り交じり落ち着かない気持ちになる。
「久しぶりだな」
イロウがラフィアに最初に掛けたのは短い言葉だった。
「久しぶり? それは記憶を失う前のわたしになら通用するけど、今のわたしはあなたのことは覚えてないから初めましてだよ」
ラフィアはきっぱりとした声でイロウに返した。
「コンソーラさんの件の礼ならいらないよ、あの子の態度からわたしへの感謝が伝わってくるから」
そう言った直後だった。悲しげな気配が漂ってきたが、構ってはいられない。
「……ベリルと戦う覚悟はできてるよ、だから早く始めてよ」
ラフィアは懇願した。内心は不安と怖さが入り交じっているが、悟られないように強い言い方になった。
黙って聞いていたイロウはラフィアを見据えて口を開く。
「お前の覚悟は本物のようだな」
「そうだよ、でないとメルキ先生に服も武器も用意してもらってないから」
ラフィアはステッキをイロウに向ける。
「ラフィ!」
その行動にリンは顔を青くする。黒天使の中で最強と言われている相手を刺激するのは自殺行為だからだ。
ラフィアは興奮のあまり、無茶な行動をした。
「その杖で俺に呪文をかけるのか?」
「違うよ、あなたにわたしの覚悟を聞いてもらうためだよ」
ラフィアは言った。
「わたしが勝ったら天界から出ていって、そして二度とあなたの仲間が人や天使を襲わせないって約束して」
ラフィアの脳裏には、二年前の光景が浮かぶ、黒天使に人々が襲われ、恐怖に顔を引きつらせていて、今でも忘れることはできない。
仲良くなった人間の少女・ファイや交流のある女性のファルナが黒天使に襲われることは回避したい。
イロウがこの約束を飲むか分からないが、言わなければ後悔すると思った。
「随分強引だな」
「あなたはわたしを狙ってるんでしょ? 話くらいなら聞いても良いんじゃないの?」
ラフィアは強い口調で語った。ラフィアはある意味黒天使の人質なので、人質の要求には耳を貸すと思ったからだ。
「……確約はできんぞ、俺は全ての黒天使を管轄はしてないからな」
イロウもラフィアの話を聞こうと思ったのか、仕方ないと言わんばかりの話し方だった。
「構わない、あなたができる範囲でやってくれれば良い」
ラフィアは言った。無茶な要求はしたくなかった。ラフィアも苦手な数学を毎日やれと言われただけで苦痛だからだ。
「考えておこう、お前がベリルに勝ったらの話だがな」
「自信なんて無いけど、やるしかないよね」
「最もだ。お前がベリルと戦わなければ話にならないからな」
ラフィアは緊張のため、生唾を飲み込む。
「分かった。じゃあ考えてくれるだけで良い」
ラフィアは冷静に語った。
「楽しみにしているぞ、お前の勇敢さは耳に入っているからな」
「……何のこと?」
ラフィアはイロウの話がすぐに理解できなかった。
「ラフィアさんは忘れてるかもしれませんけどぉ、二年前ブルネット街でのラフィアさんの行動は私達も知ってるんですぅ」
コンソーラははつらつとした声で語った。二年前……ブルネット街と聞き、ラフィアの記憶は蘇った。
「あの時だね」
「そうですよぉ、ラフィアさんは人間の女の子を助けるために必死だったとベリルさんから聞きましたからぁ
ああ、私もその女の子になりたいですぅ」
「コンソーラ、最後は余計だぞ」
ベリルがすかさずコンソーラに突っ込みを入れる。
「すみませぇん、つい興奮しちゃって……」
「オレも話があるからするぞ、いいな?」
「良いですよぉ」
「イロウ様、話をしても大丈夫ですか? コンソーラが勝手に話しをしましたけど」
ベリルはイロウに視線を向き直し、敬語で話した。
「……構わん、だがあまり長くはするなよ、話はまだ終わってないからな」
「分かりました」
「ベリル……?」
ラフィアは足早に動き出したベリルが気になり、彼を目で追った。
彼が動くのを止めた先には幼馴染みのリンがいた。
「どうしたんだよ、急に」
リンは目の前に来たベリルに困惑する。
「リンとオレと会ったのは昨日が初めてじゃねぇんだ」
「そうなのか?」
「ちょっとしか見てねぇから、覚えてろってのが無理な話だな、オレもオマエの姿を久々に見て思い出したくらいだからな」
ベリルに言われ、リンは二年前のブルネット街で起きたことを思い返した。特殊部隊の医療班と共に行動し、他の隊員が結界を張る中、怪我をしたラフィアを医療班の班長であるセイアッドが治癒する。そんな中視線を感じて目を向けると、一人の黒天使がいた。それは今目の前に立っている少年だった。
「僕も思い出したよ、確かに君だったね」
リンの言葉に、ベリルは嬉しかったのか口元をにやけさせた。
「これも何かの縁だな」
「だろうな」
二人はまるで昔の友人に再会したような雰囲気だった。
ラフィアは思った。自分だけでなくリンも知らない所で黒天使と繋がりがあったのだと。
短い会話を終えたベリルはコンソーラの隣に戻り、ラフィアは口を開く。
「理解はしたよ、わたしの行いがあなた達黒天使の耳に届いていることと、リン君とベリルが過去に関わりがあったこともね」
「分かってくれたなら良かったですぅ」
コンソーラは言った。
「話は戻すが、ラフィア、お前が勝った条件は聞いたが、お前が負けた時はどうするつもりだ?」
イロウは固い表情で、ラフィアに訊ねる。
「あっ……」
ラフィアはぽかんと口を開いた。勝利にこだわり、敗北した時のことまで考えてなかった。
「その様子だと考えてないようだな」
「ヌケてるのもラフィらしいけどな!」
「ユラ!」
ユラがからかうように口走り、すかさず兄のリンが注意する。
「……お前ばかりに言わせるのも公平ではないからな、俺が決める」
イロウはユラの言動を気にすることなく続ける。
「もしお前が負けた時は、お前にとって大切なものを奪うことにする」
「大切なもの……わたしの命とか?」
ラフィアは困惑した目付きになった。イロウは「いや」とラフィアの話を否定する。
「それはお前が負けてから決める」
「曖昧だな、そんな事を言っておいて結局ラフィアさんを殺す……なんてオチじゃないよな」
メルキは物騒なことを口走った。彼の発言が元で雰囲気が重くなる。
「ラフィアは俺達黒天使に必要な存在だ。命までは取らない」
「本当かよ、こんな事を言うとおまえは怒るかもしれないが、おまえと全く同じ事を言った黒天使がいて、そいつに惨たらしくグリッタを殺されたんだ」
メルキは憎々しげに吐き捨てた。グリッタという名は初めて聞く。
ベリルとコンソーラには心当たりがあるらしく、表情が強張る。
「……アバドンと俺は違う、奴と同類にされては困る。俺は取らないと言った以上それは貫く」
「約束だぞ、もしラフィアさんが死ぬようなことがあったら、オレがおまえを殺すからな」
メルキは神経を尖らせた声を発した。イロウが言ったアバドンは黒天使の一人なのだろうとラフィアは思った。
「アバドンならやりかねませんね、あいつは治安部隊でも、手を焼く相手ですから」
カーシヴが静かに囁く。
イロウは戦いのことを説明した。戦いはラフィアとベリルの一対一で、武器を交えた戦ではなく呪文戦になること、更に戦場はガリアが準備するそうだ。
戦いの様子は天使や黒天使が見ている中で行われるそうだ。
「呪文戦ですか、オレの性に合わないですね」
「武器で戦うのが全てではない、お前の剣はラフィアに酷だからな」
「ちえっ、分かりましたよ」
イロウの言葉に、ベリルは仕方なさそうに従った。剣が振るえないのは不満らしい。
「ガリアの準備には少し時間がかかる。こちらとしても紹介したい人物がいる」
イロウは口を閉じ黙った。様子からしてテレパシーを使っているのだなと、ラフィアは思った。
閉ざされていた教室の扉が開かれ、セピア色の髪に、同色の瞳、背中には黒い羽根を生やした少年が入ってきて、イロウの右側に立つ。
少年の顔を見てラフィアは驚いた。何故ならナルジスにそっくりだからだ。
「グシオン!?」
彼の顔を見て、ベリルが叫ぶ。
「ベリル、先に名前呼ぶなよ」
「悪ぃ、つい……」
少年に注意され、ベリルは頭をかいだ。
「ベリルが名を口走ったが紹介する。グシオンだ。こいつは黒天使と天使の間に生まれたハーフだ。訳あって俺と同行した」
グシオンはイロウの話が終わると無言でラフィア達天使に頭を下げる。彼なりの挨拶のようだ。
「グシオンだ。俺の用事は他でもない」
グシオンは右腕を真っ直ぐと伸ばし、指差した。
「ナルジス、お前のことだ」