「この声……」
ラフィアには聞き覚えがあった。
声は幼馴染にも聞こえたらしく、真剣な顔つきになっている。
ラフィアは涙を拭った。従姉のことが吹っ切れた訳ではないが、嫌な予感がしたからだ。
「間違いない、天使昇級の儀式で聞いたのと同じだ」
ラフィアは言った。
「この声、間違いないねぇな」
「ええ……そうでしょう」
黒天使の二人は納得したような顔つきになった。
メルキが教室内に入ってきた。
「イロウだね。先生は奴に一度会って声を聞いたことがあるから分かる」
メルキは真面目な声で言った。
禍々しい気配が教壇に集中していくのが、ラフィアの体にも伝わってきた。
「まずい、イロウがこの教室に来るようだ」
「……何で分かるんですか?」
リンがメルキに訊ねた。
「リン君も感じるだろ、身の毛がよだつ気配を、これはイロウが出現する合図なんだ。他の黒天使にはできないことだ」
メルキは地面にいるカーシヴに目を向ける。
「カーシヴ、力を貸せ、二人で護衛の呪文を一帯に張る」
メルキはカーシヴを呼び捨てにした。
「分かりました」
カーシヴは気にすることもなく、メルキの右側に並ぶ。
「……俺も手伝います」
メルキの左側にナルジスが立つ。
「助かるね。リン君、ラフィアさんを連れて後ろに下がってくれ」
メルキに言われ、リンは「はい」と短く答えた。
「ラフィ、立てる?」
「大丈夫」
ラフィアはリンに支えられる形で立ちあがり、足早に後ろへ移動した。
ベリルとコンソーラは三人より前に立ち動こうとしない。
「ベリル! コンソーラ! 二人とも下がるんだ!」
リンが大声を出すと、二人の黒天使は振り向く。
「心配すんな、オレらは平気だから」
「お気遣い有難うですぅ、リンさんはラフィアさんをしっかり守って下さいねぇ」
二人は余裕のある顔だった。
「二人は黒天使だから、イロウの力は無効なんだよ」
メルキが二人に代わって解説した。
「そこの銀髪はくたばっても良いけどな」
ベリルはナルジスを挑発した。ナルジスは眉をひそめた。二人の仲は会って間もないのに険悪である。
「ナルジス君、つまらない挑発に乗らないでね。今は集中だよ」
「……分かってます」
ナルジスは冷静を装った。後で二人が喧嘩にならないことをラフィアは願った。
言っている間にも禍々しい気配は濃くなってきた。
「イロウが出る瞬間に、ありったけの力を出すんだ。でないと力が弱い天使は消滅する」
不吉な言葉に、ラフィアの表情は強張る。
リンは廊下にいるユラに顔を向けた。
「ユラ、こっちに来い! 早く!」
リンは叫ぶ。
裏切り者のことでわだかまりがあるだろうが、護衛の呪文がかかる三人の後ろにいた方が安全だからだ。
リンの必死さが伝わったらしく、ユラは教室に入り、二人の元に来た。
次の瞬間、漆黒の光が輝きを放つ。メルキが「今だ!」と横にいる二人に言った。
「光の衣よ、あらゆる攻撃から身を守れ!」
三人の天使の男が呪文を詠唱し、黄色い光が壁となって前を覆った。
漆黒の光の犠牲になった教壇は溶けるように消え、黒板も一部同様の運命を辿った。防衛策を施していなかったらメルキが言うように天使は消滅していただろう。
「何これ……体がピリピリする」
ラフィアは両腕で体を抱え、恐々と口走った。
「やばさが伝わってくるな、あいつら大丈夫かな」
「今は三人を信じよう、いざとなったら僕も加わるから」
リンはユラを安心させるように言った。
ベリルとコンソーラは本当に平気らしく、立ったままである。
漆黒の光から長身の男が現れた。光は男の出現を終えると消え、教室の変わり果てた姿を映す。
二人の黒天使は男を前に身を屈める。
「イロウ……」
ラフィアは呟いた。記憶の中に出てきた男が目の前にいることに、複雑な気持ちになった。
「久しいな、イロウ」
メルキが荒々しく息をしていた。呪文を使用した疲れによるものだ。
疲れはメルキだけでなかった、ナルジスは足がふらつき、カーシヴは右手を胸に手を当てていた。
「お前はいつかの治安部隊の天使だったな、お前との話は後だ」
イロウはメルキから視線をそらし、ベリルとコンソーラの方に向き直る。
「イロウ様、色々と遅くなってしまってすみませんでした」
ベリルは元の口調から程遠い、敬語を使った。
「二人とも、楽にして良いぞ」
イロウは言った。二人は静かに立ち上がる。
「俺としては、二人が無事だっただけで十分だ」
「イロウ様ぁ……」
コンソーラは何処か嬉しそうな声を発した。

イロウは一歩前に出た。
「話を進めたい所だが、俺の部下達が世話になった天使がこの中にいると聞いた。前に出てきてもらいたい」
イロウの言葉に、ラフィアと兄弟二人は顔を合わせる。
「……オレ達のことだよな」
ユラは言った。
ラフィアはコンソーラを、リンはベリルを、ユラはリュアレと三人揃って黒天使を助けている。
「どうしようか」
ラフィアはリンに訊ねた。そんな時だった。
『取り込んでいる所にごめんね』
ラフィアの脳内にメルキの声が聞こえてきた。
『メルキ先生……』
『助言しておくけど、イロウの言うことは従った方が良いよ』
意外な言葉に、ラフィアは「えっ」と短く漏らす。
『イロウは敵だけど、不意打ちしたり姑息な真似はしないよ、それと万が一のことが起きないように、先生達がいるから』
『分かりました』
ラフィアはメルキとのテレパシーを終えた。
「テレパシーか?」
ユラの質問にラフィアは首を縦に振る。
「メルキ先生から、わたし達は前に出た方が良いって」
「ホンキか? 相手はかなり危ない相手だぞ」
「……ここで話していても仕方ないから行こう、メルキ先生が言うなら大丈夫だ」
「オレは気が進まないけどな」
兄の意見に、ユラは青ざめた声になった。ラフィアも同じ気持ちだ。
三人は立ち上がり、リン、ユラ、ラフィアの順で前へと歩いた。途中で男三人の顔が見えた。
『あの……気をつけて下さいね。見ているだけになりますが、すみません』
『いえ、わたし達を守ってくれて有難うございました』
テレパシーを飛ばしてきたのはカーシヴだった。どこか暗い声のカーシヴに、ラフィアは優しく返した。
カーシヴが協力してくれたから、自分達が無事なのは紛れもない事実だ。
『ラフィア、用心するんだぞ、奴はきみを前に出させて何かするかもしれないからな』
『分かってるよ、ナルジスくんも変な気おこさないでね』
ラフィアは次にテレパシーを飛ばしたナルジスの忠告を受け止めつつやんわりと彼に釘を刺した。

「おっせーぞ、オマエら」
ベリルが声をかけてきた。
「ごめん、どうするか話してたからさ」
一番前にいたリンはベリルを宥めるように言った。
「顔をちゃんと見たいから、三人とも横に並んでくれ」
イロウは静かな声音で口走る。リンは後ろを振り向く。
「僕が一番左に行くから、ユラ、ラフィの順で並ぶんだ」
「分かったよ、ラフィ、おまえはオレの隣な」
ユラに言われ、ラフィアは前に移動した。
少しして、三人は横に並ぶ。
ラフィアはイロウを見上げる形で、彼を見つめた。自分の記憶と関係している人物が前にいるので胸が高鳴る。
「お前の名は?」
イロウは一番左にいるリンに声をかける。
「初めまして、リンと言います」
リンは礼儀正しく名を名乗った。リンらしいなとラフィアは思った。
ベリルがリンの隣に立ち、リンの左肩に手を置く。
「コイツがオレを助けてくれたんですよ、コイツがいなかったら本当にヤバかったです」
ベリルはリンに感謝している口振りだった。もしリンが介入していなければベリルは狼達の餌食になっていたかもしれない。
「リンか……良い名だな、ベリルを救ってくれたことは礼を言う」
イロウの声色には温かさを感じる。ベリルを大切に思っているのが伝わってくる。
「あの、イロウさん、一つ聞い良いですか?」
リンは真剣な目でイロウを見る。リンは年上のことを考慮して敬語で話した。
「何だ」
「貴方はどうして、ラフィ……いやラフィアを危険な目に遭わせようとするのですか」
リンは問いかけた。危険とはベリルとの戦いを示す。
イロウは少しの沈黙の後、口を開く。
「今は礼を言う時間だ。疑問を抱くのはお前の自由だが、説明する時間ではない」
「すみません、気になってしまって……」
リンは声のトーンを落とした。
「ラフィアの件は後で説明する。それとさん付けはしなくて良い、俺の柄ではない」
「分かりました」
リンはイロウの話に一応は納得することにした。
イロウは言うと、ユラの方に視線を向けてきた。
「次はオレで良いんだよな」
ユラは自分に指を差す。
「……そうだ」
イロウは静かに語った。
「あー初めまして、ユラと言います。隣にいるリンの弟です。趣味はイタズラです」
ユラはリンの見よう見まねで自分の名を口にした。普段から敬語に慣れてないせいかぎこちなく感じる。
ベリルもユラの態度に苦笑いを浮かべていた。ユラもそれに気付き恥ずかしさから頬が赤くなる。イロウはそんなベリルを見て、彼の名を呼ぶ。
「ベリル」
イロウの静かかつ威厳に満ちた声はベリルの苦笑いを消すのに十分だった。
「あっ、すいません」
ベリルは軽く頭を下げた。
「ユラか、お前のことはリュアレから聞いている」
「いや……たまたま偶然通りかかっただけだ……いやです」
ユラは視線を動かし、慣れない敬語を使った。イロウを刺激しないためだろうが、彼にちゃんと敬語は教えた方が良さそうだ。
「ユラくん……」
ラフィアは小声で彼の名を呼んだ。リンは兄として彼の態度が心配の様子だ。
『ボクからもお礼を言わせテ!』
どこからか声がして、ラフィアは左右を見渡した。
ベリルがズボンのポケットを探り、てんとう虫を出す。
「リュアレ、何でオマエの声が……」
『驚かせてごめんネ、てんとう虫のお守りは実は言うとガリアさんに作ってもらったノ、だから必要に応じてこうして通信ができるようにしてあるノ、ちなみに今ベリルっち達の様子を見ながら言ってるんだヨ』
「通信は便利だな」
『でしョ、ガリアさんにはちゃんとお礼は言ったけどネ』
「……リュアレ、雑談は後にしてくれ」
二人の会話に、イロウが口を挟む。
『あっ、ごめんなさイ、ベリルっち、てんとう虫のお守りをユラの所に持っていってくれるかナ』
リュアレはイロウに詫びて、ベリルにお願いした。二人の話からしてベリルとリュアレは仲が良さそうなのが分かる。
ベリルはてんとう虫のお守りを手に持ったまま、 ユラの元に歩む。
「これで良いか?」
『良いヨ』
リュアレは満足げに言った。
『彼がボクを救ってくれた恩人のユラでス、ユラ、もう一度言うけど助けてくれて有難うネ』
「いや、オレは当たり前なことをしただけだよ」
ユラは照れ臭そうに視線を泳がせた。
「お前の言う当たり前を実行する者はそういない、天界の法があるからな」
「天界の法……あっ、そうか」
ユラははっとした表情になった。
黒天使と関わりを持ってはならないという法律が天界にはあるからだ。
「法なんてバカげてるよ、黒天使だからって助けるなとか関わるなとか可笑しいとオレは思ってるからな」
「その気持ちに忘れるなよ、リュアレの件は感謝する」
兄弟のお礼が終わり、残るはラフィアだけとなった。

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