イロウとグシオンは学校の屋上にいた。
「……何ですぐにラフィア達のいる場所に行かないんですか?」
グシオンは隣にいるイロウに訊ねた。
ラフィア達のいる場所は把握してるので、ラフィア達の元に直行するのだと思っていた。しかし実際到着したのはラフィア達のいる場所からは外れていた。
グシオンの想像では、ラフィア達の前に現れ、イロウがベリルとの決闘のことや、場所のことを説明する手筈だと思っていた。
イロウは無表情を崩さずに答える。
「俺の弟とワゾンに用事があるからだ……サレオス、ワゾン、出てこい」
イロウは命じた。
すると空中に漆黒の魔法陣が現れ、そこからサレオスとワゾンが現れた。サレオスは羽根をはばたかせ、ワゾンは鎌を地面に刺して着地した。
「流石はイロウ様ですね。おれらに逃げる場所は無いみたいすね」
ワゾンは余裕の表情だった。
イロウが使用したのは召喚呪文を応用したもので、黒天使のみだが指定した人物を呼び出せる。
「隣には病弱のグッシか……どこにいたんすかね」
ワゾンはグシオンを見るなり、馬鹿にする言葉を投げ掛けた。
「お喋りはそこまでだ」
ワゾンの話を、イロウが遮る。彼の一言により、空気が重くなる。
「お前達が呼び出された理由は分かってるな」
「おれが暴れたことですか?」
イロウの話に、ワゾンは真面目な口調になった。暴れたとは小さな村に住む天使を皆殺しにしたことだ。
「それもあるが……サレオス、集めていた血を渡せ」
イロウはサレオスに顔を向け、真剣な物言いをした。アバドンはサレオスと交わした約束を守らない。サレオスを良いように利用したいだけだ。
しかし、サレオスは身動き一つとらなかった。渡したくないのである。
「いくらイロウ様の命でも、それは難しいっすよ、サレオスの願いがかかってますから」
ワゾンはサレオスを庇った。イロウは横にいるグシオンの顔を見た。
「……グシオン、ワゾンを黙らせろ、重圧の呪文を使え」
「良いんですか?」
「どっちみちワゾンに仕置きをするつもりだったからな、お前もワゾンに散々言われてきて辛かっただろ」
イロウは言った。
ワゾンが口を挟んだのが気に障ったこともそうだが、グシオンがワゾンに体調や出生のことで言われっぱなしなのも気の毒に思ったのだろう。
「分かりました。腕ならしに使わせてもらいます」
グシオンは軽い運動を兼ねて右手を開閉し、三歩前に出て、黒い羽根を広げる。
「おまえ……本気でやんのか」
「イロウ様の命令をだからな、恨むならイロウ様にしろ」
グシオンは呪文を口にした。
「この者の体に重みと苦痛を与えん!」
呪文が紡がれた瞬間、ワゾンは大の字になって倒れ「ぐあっ!」と叫び声を出した。
ワゾンがいる場所は地面に割れ目が入る。それだけ強い力がかかっているのだ。
「くそ……後で……覚えてやがれよ……このクソ病弱……」
ワゾンは歪んだ顔を浮かべ、苦し気に汚い言葉を吐く。
サレオスはワゾンの仕置きを見ていて怖くなったのか、背を向けて走り背中の黒い羽根を広げる。
イロウは弟を逃す気は無かった。
「行け、フェンリル、あいつを生かして捕らえろ」
イロウが召喚した巨大な狼・フェンリルに命じた。イロウは様々な幻獣を召喚できる。フェンリルはその一種だ。
フェンリルは疾駆し、空中を飛び、サレオスを追った。
ワゾンが大の字になって伸びた所で、グシオンは重圧の呪文を停止する。あまりやり過ぎると相手の命を奪いかねない。
「ぐ……っ……」
ワゾンは息絶えそうな魚のように息をしていた。
「これくらいで良いですよね」
グシオンは静かに語った。いくら恨みがあるとはいえ、絶命されたら後味が悪い。
「ああ、だがワゾンはアルシエルに送る。邪魔をされたら困るからな」
イロウは言うと、少しの間黙りこんだ。テレパシーでガリアに連絡をとっているのだろう。
ガリアでなければ天界内の行き来ができないのだ。
「ガリアと話がついた。下がってろ」
グシオンはイロウに命じられるままに、二歩後ろに身を引く。
その直後に、ワゾンは緑色の光に包まれ、姿を消した。
「……ラフィア達がいる場所に移動しよう、サレオスはフェンリルに任せておけば大丈夫だ」
イロウは言った。サレオスに構ってばかりはいられないのだ。
「いよいよ会えるんですね。俺の異父兄弟に」
グシオンは複雑な心境になった。
ラフィア達の中に腹違いの兄がいる。交信の呪文で会話は交わしたが、このまま行けば生まれて初めて会うことになる。
「怖いか?」
「少しですけど……でも俺は行きます」
複雑ながらもグシオンは意を決した。このまま引いたら後悔しそうだからだ。
二人が話している時だった。何処からか爆音が響く。

イロウとグシオンが屋上にいると知らず、ラフィア達のいる教室は緊迫した空気となっていた。
幼馴染の弟であるユラがカーシヴに攻撃を仕掛けたためだ。突然の行為に、ラフィアは困惑していた。
「ユラ、やめるんだ!」
ユラの背後からリンが現れ、ユラの右肩を掴む。
「止めんなよ! オレが裏切り者が嫌いなのは分かってるクセに!」
ユラは興奮混じりに口走る。
ユラの話からしてリンからカーシヴのことを聞かされ、腹が立ったのだということだ。
ユラのように裏切り者への拒絶反応をする天使がいても仕方がない。
「兄さんはよく平気だよな! オレは全然ダメだけどな!」
「落ち着けって!」
興奮するユラをリンは宥めた。
ユラの気持ちも分からなくはないが、状況が状況なので、このままでは危険だ。
「ああいうのは戦場で早死にするな」
ナルジスは忌々しげに口走る。
ナルジスはユラに宙吊りにされるイタズラを受けたことがあるため、ユラのことを好かないのだ。
「オマエのことはムカつくが、同意見だ。リンも大変だな」
ベリルはナルジスに背を向けたまま言った。
「……すみません、ぼくのせいでこんな事に」
「謝らないで下さい、悪いのはサレオスさんですからぁ」
謝罪するカーシヴにコンソーラは優しい言葉をかける。
メルキが動き、教室の扉を潜り、廊下に出た。
「リン君、悪いけど離れてくれるかな、ユラ君と話をするから」
「あ、はい」
リンはユラの肩を離し、三歩後ろに下がる。
「ユラ君、少し冷静になろうよ、そんな騒いでも何も伝わってこないよ、カーシヴさんもどうして撃たれたのか訳が分からないと思うよ」
メルキはユラの目をじっと見て落ち着いた口振りで語りかける。
冷静な言い方は流石は先生だなと思った。
「ユラ君、どうしてきみは怒ったのかな」
ユラは持っていた道具を下ろし、複雑な顔になった。
「兄さんがカーシヴさんが裏切り者だって聞いて腹が立ったんだ。兄さんが隠していて一緒に行動してたことが許せなかったんだ」
「……ユラ君、大人と話す時は敬語だからね、それは置いておくけど、リン君も好きで隠した訳じゃないと思うよ、きみの性格を考えて言い出せなかったんじゃないかな」
メルキの言ってることは合っていた。ユラは怒ると今のように後先考えずに行動する傾向がある。
「カーシヴさんのことだけじゃない! オレ思い出したんだよ! 治安部隊の裏切りって聞いてな!」
ユラは興奮混じりに言うと、ラフィアの顔を見る。
ユラの目はいつになく真剣だった。
「ラフィ、おまえの両親はアレガニの裏切りのせいで死んだんだ!」
「アレ……ガニ?」
聞き慣れない名前にラフィアは首を傾げる。
「アレガニはおまえの従姉で、治安部隊の一人だった!」
ユラがそこまで言うと、頭がちくりと痛んだ。

栗色の髪に、厚い唇が特徴的なアレガニは幼いラフィアと姉のクローネに笑いかけ、小さな袋を渡した。
ラフィアはクローネと一緒に袋の中身を見て、好物のお菓子が入っていて嬉しくなり、二人で笑い合い、アレガニに礼の言葉を述べる。
姉妹が誕生日を迎えた時は、ペンダントをプレゼントしてくれた。二人お揃いの黄色のペンダントだった。
ラフィアはアレガニが好きだった。優しくお菓子をくれるのもそうだが、治安部隊での活動を生き生きと話すアレガニは輝いて見えたからだ。天界内で呪文を悪用して窃盗をしようとした天使や、お金を払わずに食い逃げした天使を捕まえたりした。アレガニは仕事熱心な女性でもあった。
場面は変わり、ラフィアの両親が地面に転がり、剣を持ったアレガニがゆっくりとラフィアの方を向く。
彼女の顔は無表情だった。

「いやあっ!」
ラフィアは頭を両手で抱え、絶叫してその場にうずくまる。
「なんで……アレガニ……お姉さんが……」
ラフィアの声は震えていた。あの映像が事実ならアレガニが自分の両親を手にかけたことになる。
ラフィアの両親は事故ではなく、天使によって葬られたということにもなる。
「ラフィ……」
幼馴染が身近に来て、声をかけてきた。
「リンくんは……知ってたの? アレガニお姉さんの行いを……」
ラフィアはアレガニの行為を言わなかった。心のどこかでは認めたくないのだ。
「……本当のことを伝えれば、ラフィがショックを受けるから言えなかったんだ」
リンの声は沈んでいた。言い方からして今甦った記憶が真実なのだ。
ラフィアの目元が熱くなった。好きだった従姉のアレガニが両親の命を奪ったことが悲しくて辛い。
「どうして……アレガニお姉さん……わたしのお父さんとお母さんを……」
ラフィアはリンの胸で泣いた。
「言えなくて、ごめん」
リンは静かに謝罪する。しかしラフィアは首を横に振る。
「リンくんは……悪くない……こんな事実……隠したくなるの……無理ないよ……」
ラフィアはつっかえながらも言った。
「ラフィは仕方ないにしても、オレの記憶に細工したのは腹が立つけどな、しかもかけたのはオレの父さんだからな」
ユラは不機嫌そうに口走る。
まだ怒りは完全におさまってはいないが、メルキの話のお陰か、少しは落ち着いたようだ。
「文句を言うなら、きみに靄の呪文をかけたお父さんに言うんだね。記憶に細工をしたのも、きみの傷を最小限に抑えるためのものだったんだよ、リン君を責めるのは筋違いだよ」
メルキは落ち着いた言い方をした。
ユラもアレガニには世話になったし、そんな彼女が凶行に及んだとなると幼い心に深い傷を残すと判断し、リエトがユラに呪文をかけたのだろう。
「そうする」
ユラはぶっきらぼうに言った。
『少しは理解したか、天使の醜さを』
教室中に、低い男の声が響き渡った。
ラフィアは目に涙を溜めたまま、顔を上げた。

 

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