扉越しから、女の子の声が聞こえてきた。
聞き覚えが無く、なおかつ小さな子供のものだと、ロウェルは感じた。
「どうした?」
「子供の声がしたんです」
近づいてきたリエトに、ロウェルは説明した。
「……開けて確認しよう、十分注意するんだぞ」
「分かりました」
リエトの忠告を胸に、ロウェルは慎重な手つきでドアノブを回して扉を開く。
ロウェルの視界に入ったのは、小さな白銀の髪の少女だった。少女はロウェルを見るなりにこやかに笑う。
見ているだけで優しい気持ちになりそうだが、今は夜の時間なのでそうも言っていられない。
「おばさん、こんばんわ」
少女は明るい声でロウェルに話しかけた。ロウェルは身を屈め、少女と同じ目線となった。
「こんばんわ、貴方のお名前は」
「フィッダと言います」
少女は丁寧な口調で自分の名を名乗った。
「フィッダちゃんね、貴方のお父さんとお母さんは?」
ロウェルは優しく訊ねた。
小さな子供を夜遅くに、しかも黒天使が天界内でうろついている中で外出させるなど危険極まりない。
フィッダは視線を上に向いて考えごとをしていた。少ししてフィッダはロウェルの目を見た。
「今は家にいません、パパとママはお仕事が忙しくて、夜遅く帰ってくるんです。だから寂しくてつい家から出てきてしまったんです。そしたらこの家の明かりが点いてるのが見えたんです」
「こんな夜遅い時間にフィッダちゃん一人で?」
「そうです」
フィッダはきっぱり言った。
「天界内がどんな状態になってるか知ってるかしら」
「ええ、悪い天使が入ってきたのは気配で分かります」
フィッダの話からして、両親がいない寂しさを紛らわすために外出した。ということだろう。
話には腑に落ちない点があった。小さな子供を放って両親共に働くだろうか、せめて片親だけでも家に残り子供の面倒を見ないのだろうか。
それが出来ないなら、誰かに預けるなりするのが常識だとロウェルは思った。
『とにかく家に入れてあげよう、小さな子を放っておくのは私にはできない』
『分かりました』
『それと、ユラには私から連絡をとってみるよ』
『お願いしますね、テレパシーでなく、連絡水晶でやって下さい』
リエトのテレパシーをロウェルは返した。
リエトはやや無責任な所はあるが、ユラの件はリエトに任せるしかない。
ユラのテレパシー嫌いは過去の事件が原因で、実母の自分でさえもテレパシーを飛ばすのを嫌がる。
ロウェルは小さなフィッダの対応をしようと思った。
「フィッダちゃん、家に入りましょう、温かいお茶をいれてあげるわ」
「良いんですか?」
フィッダは首を傾げる。
「外は悪い天使がいるからね、中の方が安全よ、フィッダちゃんのお父さんとお母さんにも連絡とりたいしね」
「分かりました。お邪魔させて頂きます」
フィッダはロウェルに礼儀正しくお辞儀をした。
親の躾がなっていると感じた。だからこそフィッダの家庭事情が気になった。

研究室のモニター室のモニター越しでフィッダの行動をガリアは眺めていた。フィッダに呪文を吹き掛け動かしているのだ。
「……何て人が良いのかしら」
ガリアは楽しげに笑って言葉をこぼした。
ガリアはラフィアが住んでいる家庭のことが知りたくて、イロウの娘に似た人形を作り、ラフィアの家に入ったのだ。
事前の情報ではラフィアは幼馴染みと幼馴染みの母親と暮らしていると聞いた。今は別の家に住んでいる幼馴染みの父親がいる。一時的なものだろうが、これはこれで面白い。巻き込むなら一人より二人の方が良い。
ちなみに今回の行動はこれから行われる決闘に必要な作戦も絡んでいる。
リエトは連絡水晶でどこかに連絡を取り、ロウェルは温かなお茶とお菓子を運んできてくれた。
フィッダは「いただきます」と行儀よく言い、お茶を一口飲んだ。
「甘くて美味しいわね、味からしてアップルティーね」
ガリアは呟いた。フィッダの味覚はガリアにも伝わってくる。
味覚だけでなく、様々な感覚がフィッダを通してガリアに伝わる仕組みだ。これは天界内のことを知りたいガリアの知的好奇心のために付けた機能だ。
フィッダを通し、天界内の空気は美味しく、天使たちは複数の浮く大陸に住んでいること、森や自然が豊かなのが理解できた。話で聞いていたより天界内は広いと感じた。本来なら発明に頼らずガリアが直接天界に行きたい所だが、戦闘に向かないので、間接的な手段になっている。
後で天界内のことをレポートをまとめてグリゴリ村にいる師匠のマナフに報告したい所だ。
これはガリア個人のことなので、作戦とは関係ない。
フィッダは出された菓子も食べた。
「このクッキーも美味しいわね、歯応えがあって最高だわ、母親の手作りかしら」
ガリアはクッキーの感想を述べる。
そんな時だった。部屋の扉を叩く音がした。
「ガリアさん、入っていイ?」
聞き慣れた声がした。リュアレだ。
扉には「入室時にはノックするように」という札をぶら下げてあるので守っているのだ。黒天使の中には札を無視して入る人もいる。
「良いわよ」
ガリアはモニターに目を向けたまま言った。
リュアレが「お邪魔しまス」と控え目な声で扉を開く音と共に足音が身近に迫ってきた。
「ガリアさン、差し入れに来たヨ」
リュアレは柔らかな笑みを浮かべ横からクッキー入りの瓶を見せてきた。
リュアレとは年が離れているが彼女の明るい性格もあり、良い関係を築けているとガリアは思っている。
リュアレの「~っち」という呼び方は生理的に合わないので「さん」付けで呼んでもらうようにしている。
クッキーはフィッダを通して食べたばかりだが、リュアレの気持ちを無視する訳にはいかない。
「貴方の手作り?」
「そうだヨ、じいちゃんにも手伝ってもらったけどネ」
リュアレは言った。リュアレは料理があまり得意ではないので、ミルトに手伝ってもらうことが多い。
「一枚貰うわ」
リュアレは瓶の蓋を開き、一枚クッキーを渡してきた。クッキーはてんとう虫の形をしていた。
リュアレはてんとう虫が好きなのだ。
「本当にてんとう虫が好きなのね」
ガリアは言うとクッキーを一口かじった。ガリアの感覚がフィッダに伝わることはないので気兼ねなくクッキーを食べられる。
モニターのフィッダは淡々と母親と話をしていた。
「てんとう虫は幸運の虫だからネ」
リュアレもガリアに続く形でクッキーを食べた。
「美味しいわ」
ガリアは静かかつ明るい声で感想を述べる。
「口に合って良かっタ」
リュアレは嬉しそうに言った。
「他の黒天使にもあげているの?」
ガリアは瓶の中にあるクッキーをちらりと見た。中身が大分少ないからだ。
「食べてくれそうな黒天使にはあげてるヨ、イロウ様は忙しそうだから流石に渡せなかったけド」
リュアレらしいなとガリアは思った。リュアレは明るいだけでなく、他の黒天使を気遣う部分がある。
リュアレの様子からして、サレオスの件は引きずっていなさそうなので、そこは安心した。
リュアレモニターを覗き込む。
「これ何?」
「作戦に必要なことよ」
ガリアは軽く柔らかな声で言った。
「ふーン……っテ」
クッキーを噛む口をリュアレは止める。
「よく見たら色ちがいのエイミっちじゃン、イロウ様怒るんじャ……」
クッキーを胃に入れ、リュアレが指摘する。
リュアレはエイミーとよく遊ぶので、早く気づいたのだ。
「イロウには許可をとったわ、条件付きだけどね」
ガリアはイロウを呼び捨てにした。イロウと対等な立場にあるためだ。
「大丈夫かナ、イロウ様が怒らなくてもフェンネさんが文句言うんじャ……」
リュアレは不安げな顔をした。フェンネは作戦の副リーダーであるゼンフの弟子である。
フェンネはガリアのことを良く思っていないので、もしかしたらフェンネは別のモニター室でゼンフと一緒に、フィッダが入っていく様子を見ているかもしれない。フェンネのことだ。イロウに問い詰めて、ガリアのことを聞き出している可能性もある。
「その時はその時ね」
ガリアは余裕のある態度だった。
リスクは承知の上で行動している。でなければ発明はできない。フェンネが来ようが行動は続ける。
リュアレの心配が現実になる時が迫っていると理解したのは、荒々しい羽根が飛ぶ音が外から聞こえてきたことだ。
「もしかしてフェンネさんかナ」
リュアレも気づいたらしく、扉に目を向ける。
自分の居場所が分かるように看板を置いたので、ここに来るのも時間の問題だ。
「……これも想定内ね」
ガリアは側にあったスイッチを手に取り、緑色のボタンを押した。
扉は「ガチャ」という音を立てて鍵がかかり、護衛呪文が扉や壁を覆った。これで攻撃呪文を防ぐことができる。
次の瞬間、ドアノブを開けようと乱暴に回す音が部屋に響き渡る。
「ガリアさん、開けて下さい」
男の声が外からしてきた。
「……やっぱフェンネさん来ちゃったネ」
「リュアレ、これでフェンネに応対してくれるかしら、邪魔される訳にはいかないから」
ガリアは赤い宝石をリュアレに差し出した。
「赤い宝石に向かって「我は応対する」と言えば外の掛け看板と連動して外と通話ができるようになるの、もしフェンネが扉を壊しそうになったら「扉よ開け」と言えば開くようになってるから」
「分かっタ、フェンネさんのことは任せテ」
リュアレは赤い宝石を受け取り、ガリアから少し離れた。
リュアレが行くのを見届け、ガリアはモニターを見た。
「楽しんでいる所悪いけど、作戦のために私に話させてね」
ガリアはモニター下にある白銀のボタンを押した。

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