私は愚かでした。ドラゴンは怖かったです。
透明になっているにも関わらず私の気配を感じ取り、うなり声を上げた時は食べられると恐怖を感じました。
……しかし、ドラゴン以上に、私と同じ種族である天使が私には脅威でした。
ドラゴンに私の存在を知られ、透明マントを剥がされた私は更衣室に連れていかれて、ヴィーヴ先輩に身体中を殴られていました。痛さから守るために私は身を屈めていますが、ヴィーヴ先輩の蹴りは私に苦痛を与えるのに十分です。
青い作業着姿のラフィア先輩がヴィーヴ先輩の体に手を回して止めるように言いますが、ヴィーヴ先輩は止まりません。
ラフィア先輩の観察のために無断で部室に入った私も悪いですが……ううっ、痛い。
どれくらいの時が経ったのでしょう、ヴィーヴ先輩は暴力を止めました。
「そうだ。このゴミくずにとっておきをくれてやるわ」
「だめ! アトの実を人に食べさせられたら……」
「うるさい!」
ヴィーヴ先輩はラフィア先輩を呪文で吹き飛ばし、ラフィア先輩はロッカーに体を叩きつけられました。
ヴィーヴ先輩は私の頭を持ち上げました。髪の毛が引っ張られた痛みと、身体中の殴られた箇所や背中の羽根からも悲鳴を上げます。
私の体にはヴィーヴ先輩からの暴力により、大きなダメージを受けているようです。
「一度で良いから人間に食べさせてみたかったのよ、どんな風になるかしらね」
ヴィーヴ先輩はアトの実を私の口元に無理やり当ててきました。
ラフィア先輩の口ぶりからしてアトの実は天使の体に悪影響があるのでしょう。私は食べまいと必死に口を閉じました。これ以上ヴィーヴ先輩の思うようにはさせたくないです。
その時でした。
「雲よ、あの者の視界を奪え!」
ラフィア先輩の鋭い声と共に、ヴィーヴ先輩の顔には雲が生きているかのように巻き付きました。
「うわっ! 何すんのよ!」
ヴィーヴ先輩は私を解放して両手で雲を掴みました。ラフィア先輩はヴィーヴ先輩の真横を疾駆し、私の側に駆け寄りました。
「立てる?」
ラフィア先輩が優しく声をかけてきましたが、私は首を横に振りました。
ラフィア先輩は自分の肩に私の左腕を回しました。
「ここは危ないから離れよう、保健室まで飛ぶよ」
「あ……はい」
ラフィア先輩は背中の羽根を広げ、移動呪文を紡ぎました。次の瞬間私達は黄色い光に包まれました。

「はい、これで大丈夫だよ」
保健室の先生であるクラーレ先生は、医療の担当に相応しい優しさに満ちた声で、ベッドに横たわる私に癒しの呪文をかけてくれました。
「有難うございます」
私はクラーレ先生に礼を言いました。
「もう痛い所とか無いかな」
クラーレ先生の隣にいるラフィア先輩は私の顔を覗き込みました。ラフィア先輩もヴィーヴ先輩に飛ばされた影響で軽傷を負い治療は必要ですが、自分よりも私のことを優先的に治すようにクラーレ先生に頼んだのです。
「それはぼくの台詞だよ、ラフィアさん」
「あっ、すみません……つい」
「人の心配をする所がラフィアさんの良いところだけどね」
私は試しに体や背中の羽根を動かしました。
痛む所は無いです。クラーレ先生の癒しの呪文が効いたのです。
クラーレ先生はラフィア先輩と面識があるようです。
「どこも痛くは無いです」
「それは良かった。次はラフィアさんだね。椅子に座ってくれるかな」
「はい、分かりました」
ラフィア先輩はクラーレ先生に指定された近くの椅子に座り、クラーレ先生は癒しの呪文をラフィア先輩にかけました。
ラフィア先輩の治療が終わり、クラーレ先生は私達二人の顔を見ました。ラフィア先輩は椅子に座り、私はベッドから起き上がった状態です。
「ラフィアさん、何があったのか説明してくれるかな」
クラーレ先生は真剣な声色でラフィア先輩に聞きました。
ラフィア先輩ばかりに迷惑をかけてばかりではいられません。今回の件は私にも責任がありますから。
「あの、私が説明します」
私はきっぱり言い切ると、私は事の詳細を話しました。
私がドラゴン育成部の部室に透明マントを使って入り、ドラゴンが私の存在に気づいてからヴィーヴ先輩が更衣室に私を連れていき執拗な暴力と罵声を浴びせたこと、ラフィア先輩がヴィーヴ先輩を止めようとしてくれたことも忘れずに伝えました。
クラーレ先生は複雑な顔をしました。
「成る程……ヴィーヴさんにやられたんだね」
「そうです。けど私も許可なく部室に入ったのもいけなかったんです」
私は自分の落ち度を認めました。
「だからと言って、きみが殴られて良い理由にはならないよ……ラフィアさん」
クラーレ先生はラフィア先輩の方に目を向けました。口調は穏やかですが、怒りを感じます。
「ショコラさんの話は本当だね?」
「ええ、真実です。ヴィーヴさんは……」
ラフィア先輩は最後まで言いませんでした。私の心境を配慮したのでしょう。
「ショコラさんに手を上げたんだね」
クラーレ先生は冷静に訊ねました。ラフィア先輩は首を縦に振りました。
「きみ達の話を信じるよ、事が事だからヴィーヴさんの担任の先生に連絡するから、ここで待ってるんだよ」
「分かりました」
ラフィア先輩は言いました。
クラーレ先生は席を立つと私達に背を向けて、机の方に行きました。
「……ここは大丈夫なんでしょうか」
私は保健室を見回しました。ヴィーヴ先輩が移動呪文を使用して現れないか不安になりました。
「大丈夫だよ、ヴィーヴさんは先生の前ではそんな派手なことをしないよ、ヴィーヴさんは先生の前だと大人しいから」
ラフィア先輩は朗らかに言いました。
「そうだと良いですが」
「心配しなくても平気、それより……」
ラフィア先輩は私の顔をじっと見つめました。
「あなたのことちゃんと聞いてなかったね、名前はショコラさんで良いんだよね」
「あ、はい、ショコラです。今回は迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
私はラフィア先輩に頭を下げました。
「知ってると思うけどわたしはラフィア……あなたのことはユラくんから聞いてるよ、ショコラさん怖い思いさせてごめんね」
「いえ、ラフィア先輩は悪くありませんよ、私が勝手に部室に入ったのがまずかったんです」
私は自分の過ちを口にしました。私が部室に無断で入ったからヴィーヴ先輩の逆鱗に触れたのです。
「どうして入ったりしたのかな、ユラくんに頼まれたの?」
ラフィア先輩は柔らかな声で問いかけてきました。
ユラくんとラフィア先輩は親交があります。ユラくんからもよくラフィア先輩の名前を聞きます。
「ユラくんは関係ありません、これは私が決めて行ったことです。ラフィア先輩、貴方を知るためです」
私はきっぱりと言いきりました。
「わたしのことを知りたかったの?」
「そうです。リン先輩の隣にいる貴方に興味があったんです」
リン先輩の名前を口にすると、私の胸はちくりと痛みました。リン先輩は私をふったからです。
「だから透明になってわたしを見てたんだ」
「……これもいけないことですよね。ごめんなさい」
私は再び謝りました。陰でコソコソされるのは誰でもイヤなはずです。
ラフィア先輩は優しく笑い、手を伸ばしました。
「わたしのことを知りたいなら、友達になろう」
「友達……?」
「そうだよ、友達になれば、わたしのことを知ることができるでしょ」
ラフィア先輩の言ってることは一理ありました。友達になれば堂々とラフィアさんの隣を歩いたり、話したりできます。
私のラフィアさんを観察したり、知る目的も果たせます。しかし急なことで私の気持ちは整理がついていません。
ラフィア先輩からそんな事を言われるとは思ってなかったからです。
「私は一つ年下ですよ」
「構わないよ、ユラくんだってショコラさんと同い年だしね」
ラフィア先輩は気にしていない様子でした。
ラフィア先輩の笑顔に安心し、私は握っていた右手をほぐしてラフィア先輩に差し出そうとしました。
が、私がラフィア先輩に握手を交わすことは、ラフィア先輩の真後ろに突然現れた赤い実によって遮られました。
「……何ですか? あれ」
私の言葉にラフィア先輩は振り向きました。赤い実は光だしました。
「ショコラさん、危ないっ!」
ラフィア先輩は背中の羽根を広げ、私の体に覆い被さりました。
次の瞬間、赤い実は爆発しました。粉々になった実の欠片は保健室のあちこちに飛び散りました。
私を庇ったラフィア先輩の髪、青い作業着、背中の羽根にも実の欠片が付着しました。私は恐ろしいことに気づきました。ラフィア先輩の背中の羽根が赤くただれていたのです。
あまりに痛々しい光景に、私は言葉を失いました。
「大……丈夫?」
ラフィア先輩は苦しげに訊ねてきました。
「私は平気です……でもラフィア先輩が……」
私は絞り出すように言いました。
「平気なら良かった……友達を守れて……嬉しい……よ……」
ラフィア先輩は言うと、意識を失いました。
「ラフィア先輩! しっかりして下さい!」
私はラフィア先輩の体を揺らしました。爆発音を聞き、クラーレ先生も駆けつけてきました。
私はそれからクラーレ先生と共に、意識の戻らないラフィア先輩に付き添う形で病院へと向かいました。

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