「マスター、もう一杯ワインくれる?」
メルキは空のグラスを店長の天使に見せる。
「あいよ」
店長の天使はメルキからグラスを受け取り、手慣れた手つきで赤ワインをグラスに注ぐ。
「有難う」
「お客さん、あまり飲み過ぎないようにね」
「分かってるよ」
メルキは言うと、赤ワインを口に含む。
明日も仕事はあるので、支障が出ない範囲で飲むつもりだ。
メルキの元に、一つの足音が近づく。
メルキは横を向くと、ティーアが立っていた。
「お待たせしました」
「良いよ、仕事が長引くのは分かってるから」
ティーアはメルキの隣に座り、店長の天使にオレンジジュースを頼んだ。
ティーアは天界を守る治安部隊を勤め、メルキは学校の先生をしている。接点が無さそうに見えるがメルキはかつてティーアと同じく治安部隊に所属していたのである。
時々酒場で会うのも、二人の親交が続いている証拠だ。
「真面目なティーアらしいね」
「明日も仕事がありますからね、メルキもほどほどにしないと二日酔いになりますよ?」
「オレは平気だよ、酒に強いから」
メルキの一人称は「ボク」から「オレ」に変化していた。
酒を飲むと気が大きくなるのだ。
二人はグラスを鳴らして、一口飲んだ。
「学校の先生はどうです。楽しいですか?」
「色々忙しいけど、楽しいよ」
メルキは機嫌良く言った。
学校の先生になってから二年経つが、生徒は皆個性があり、一緒にいて飽きない。
「そういうティーアこそ、上手くいってんの? カリエンテに絞られてるの?」
「カリエンテさんですよ、呼び捨てはまずいです」
ティーアはやんわりと注意する。
カリエンテとはかつてのメルキとティーアの上司で、今はティーアの上司でもある。
メルキはカリエンテのことを好かなかったため、治安部隊を辞め上司を呼び捨てにできて清々しい気分だ。
「この場にはオレしかいないんだから大丈夫だって」
「そう……ですけど」
ティーアは戸惑った様子だった。
「またカリエンテに無理難題を吹っ掛けられたの? あの人無茶な命令出すからね」
メルキは懲りずにかつての上司を呼び捨てにした。ティーアは晴れない表情を浮かべる。
「実はですね……」
ティーアは最近起きたことを話し始めた。
今度、カリエンテの命令で遠い大陸に潜む黒天使の群れを退治する事になったのだが、その中に強敵が三人もいるのだ。
しかもその三人の息の根を止めろと言われ、聞いているメルキでも気が重くなりそうだ。
「……何て無茶苦茶だよ」
「最近、黒天使が頻繁に人間を襲うからカリエンテさんも焦ってるんだと思います」
「そうかもしれないけど、襲ってるのはブファス派なんだよね」
ブファス派とは人間を襲う黒天使がそう名乗っている。
目が深紅で、普通の黒天使に比べ遥かに力が強い。
「はい……今回の任務もブファス派なんです」
「厄介だね」
メルキの顔は明るさが消え、緊張に満ちる。
メルキはブファス派の黒天使と戦ったことはあるがかなり強かった。普通の黒天使と同じだと思って掛かると命を落としかねない。
元に参加していた十五人のうち三人ほど、ブファス派の黒天使の手で、命を狩られた。
ティーアはオレンジジュースを飲み干した。
「すみませんね、楽しい話をしたいのに、重くなったりして」
「気にしなくて良いよ、愚痴ならいくらでも付き合うから」
メルキはティーアの不安を察した。
ティーアは仕事に対して真剣に向き合っていて、その分悩みも多いのだ。
それからティーアは職場のことを延々と話し続けた。

「ティーアは女性だしさ、送っていくよ」
「何もそこまでしなくても……」
酒場を出た二人は、帰路につこうとしていた。
メルキはティーアを必ず自宅に送るようにしている。
「遠慮しないで、最近は天界も何かと物騒だろ」
メルキは力強く言った。
天界内の夜は柄の悪い天使がうろついていたりして危ないのだ。いくら戦闘慣れしているティーアでも、集団で襲われたらひとたまりもない。
「毎度思いますけど、頼もしいですね」
ティーアは言った。
「治安部隊を辞めたのが惜しいくらいです」
「ティーア、オレはもう治安部隊には戻れないよ」
メルキは真剣な声色で語る。
メルキの左足はブファス派名乗る黒天使との戦闘で負傷し、癒しの呪文で怪我は治ったものの歩くことはできても、激しい運動ができなくなってしまった。
「分かってます。無茶なことを言ってごめんなさい」
「疲れてるんだね、今日はゆっくり休むんだよ」
メルキはティーアを気遣った。
「ええ、そうします」
ティーアは薄っすらと笑った。

ティーアの自宅前に来ると、ティーアは律儀にメルキに頭を下げる。
「今日は有難うございました。夜道には気を付けて下さいね」
「オレは平気だよ、襲われても盗まれるものは無いし」
「不吉なことを言わないで下さい、もう遅い時間ですから寄り道せずに帰るんですよ」
「子供じゃないんだから……まあ、このまま帰るから心配しなくても平気だよ」
メルキは「じゃあ、また」と言って、ティーアに背を向ける。
「例え、足が何ともなくてもオレは教師を続けるよ」
メルキは呟く。
メルキはティーアには言えてない辞めた理由はもう一つあった。
やられた三人の中に、メルキが想いを寄せる人がいた。
仕事が終わってから告白しようと思っていた矢先に命を落としてしまい、ショックが大きかった。
足の負傷と精神的な打撃も重なり、治安部隊を続けられないと感じた。
「グリッタ、オレは明日も頑張るよ」
メルキは想い人の名を空に向かって言った。


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