「じゃあねリン君、わたしはドラゴンの様子を見てくるから」
「ああ、気を付けてね」
幼馴染みのラフィアはリンに手を振り、下駄箱の付近で別れた。ラフィアは今日ドラゴン飼育部の活動があるためだ。
帰宅する天使達に紛れ、リンは一人で下駄箱まで来た。そこには一人の少年が立っていた。少年は頭に熊の帽子を被り、前髪で目元が隠れている。
彼は弟・ユラの友人の一人のミスチだ。
「君は……」
リンは声を出すと、ミスチがリンの前に進み出る。
「リン先輩、こんにちわ」
ミスチはリンに一礼した。
「あの、話があるんですけど、この後予定はありますか?」
ミスチは単刀直入に訊ねてきた。リンは部活や用事も無いので、後は帰るだけだ。
「いや、大丈夫だけど……」
リンは警戒混じりに言った。もしかしたらユラやブルが待ち構えていてイタズラを仕掛けて来るかもしれないからだ。
三人は学園では非公式なイタズラ部に所属しており、イタズラが大好きで、不意討ちと言わんばかりにイタズラをする。机から紙ふぶきが飛んできたり、天使の命とも言える羽根をネバネバした物を投げつけられて動かせなくなる(情けない話だがこれをやられて一日ほど飛べなかった)等のイタズラをリンはやられたことがある。
「イタズラのことは心配しなくて良いです。今日はオイラ個人のことです」
ミスチはリンを安心させるように言った。
「本当だな? もしイタズラなんかしたら先生に言うからな」
「分かってます。今日はリン先輩にイタズラをしないことを誓いますよ」
ミスチの声色には偽りを感じなかった。少しは信じても良いかもしれない。
「話があるなら早めに済まそう」
「じゃあ、喫茶店に行きましょう! オイラがおごりますから!」

リンはミスチに連れられ、喫茶店に来ていた。
「先に言っておきますけど、プールの件はすみませんでした」
リンが注文したコーヒーの良い匂いが漂う中、ミスチが頭を下げる。
夏休み中に、ミスチを含むイタズラ三人組がプールで騒動を起こし、治安部隊にお灸をすえられたのだ。
リンだけでなく、ラフィアや後輩のショコラも来ていて騒動に巻き込まれたのだ。
プールでかつ人も多いから三人もイタズラはしないと淡い期待をしたが見事に裏切られた。
ちなみにプールに誘ったのはショコラで、彼女もイタズラ部に所属しているが、一切イタズラをしないタイプなので信じても良い。
こう言ったら難だが、目の前にいるミスチよりもだ。
「もう良いよ、過ぎたことだから」
リンは落ち着いた声で言った。終わった事を追求するのは良くない。
「それより食べないの? アイス溶けちゃうよ」
「あ……そうですね」
ミスチは注文したアイスを口に運んだ。現地点ではイタズラを仕掛けてくる気配はない。
リンはコーヒーを啜った。
ミスチがアイスを食べきったのを見計らい、リンはミスチに声をかける。
「それで、話って何かな」
紙で口を拭き、ミスチは背筋を真っ直ぐに伸ばした。
「リン先輩、お願いがあるんです。オイラに攻撃呪文のことを指導して頂けませんか」
ミスチは真剣さがこもった声になった。
「どうしたんだよ、急に」
「実はですね、二週間後に攻撃呪文の試験があるんですよ、オイラ攻撃呪文が苦手で、ユラもブルも攻撃呪文得意じゃないから、教えてもらうのに不安があるんです」
呪文の試験と聞き、リンにも覚えがあった。
ちゃんと呪文が身に付いているかを見るもので、リンも必死になって呪文の練習をした。
その甲斐あって、試験では好成績をおさめることができた。
成績が悪いと再追試もあるので厄介だ。ラフィアも低成績だったので、受けることとなった。
「なので、リン先輩は攻撃呪文の成績が良いと聞いたので、リン先輩に教えてもらいたいんです」
「他にあてはないのか、ショコラは?」
リンは訊ねた。見た感じショコラは真面目そうな性格な上に、ミスチの身近な人物だ。
しかしミスチの顔は曇る。
「アイツは駄目ですよ、一度聞いてみたんですが、自力でやれと突き放されてしまいました。
もし成績悪かったら、部をやめろって親に言われてるんです」
ミスチはリンにもう一度頭を下げた。
「お願いします。オイラに攻撃呪文のことを指導して下さい!」
ミスチの必死の懇願に、リンは思考を巡らせた。彼の様子からして本当に違いない。
プールで会ったのも何かの縁だし、ここまで言われたなら、断るのは気が引けた。
「顔を上げてくれ」
リンはミスチに言うと、ミスチはゆっくりと顔を上げた。
「話は分かったよ、ミスチが真剣だということもね」
「それじゃあ……」
「力になる……と言いたいけど、条件がある。一つ目は僕が教えている間はいかなるイタズラを禁止する。破ったら指導は即中止するからな。二つ目は教えるからには厳しくするから覚悟して欲しい、良いか?」
「承知の上です! 有難うございます!」
「指導は明日の放課後からでも大丈夫か?」
「はい! 宜しくお願いします!」
静かなリンの言い方とは対照的に、ミスチはテンションが高かった。

会計を済ませ、二人は喫茶店を出た。
「今日は付き合って頂き有難うございました」
「いや……それよりお金は……」
リンは言った。本当にミスチがお金を払ってくれたからだ。
しかしミスチは手を出し、リンが財布を取り出すのを制止する。
「気にしないで下さい、オイラが誘ったんですから」
ミスチは数歩前を歩き、リンから離れた。
「それでは明日から宜しくお願いします!」
「気をつけて帰れよ」
「はい!」
ミスチは羽根を広げ、空を飛んでいった。
「……ミスチも根は悪い奴じゃないのかもな」
リンは呟く。
イタズラは誉められることでは無いが、ミスチは年上の自分に礼儀正しいと感じた。
ミスチの姿が無くなったのを見ると、リンも帰ろうと思った。そんな矢先だった。一枚の紙がリンの目の前に落ちてきた。
「何だこれ」
リンは紙を手にとると、こう書かれていた。
『連絡はテレパシーでも全然いけますから、何かあったら遠慮なく連絡下さいね』
文を読み終え、リンは紙をポケットにしまった。差出人はミスチだろう。
「後で連絡するかもな」
リンは言った。

翌日の放課後から、呪文指導室でリンはミスチの訓練を始めた。ミスチは自分が攻撃呪文が苦手だということもあり、上手くコントロールできていなかった。リンはミスチのコントロールができるように呪文の力加減などを教えた。
ミスチもリンの言ったことを実践しようと努力した。一度では出来なかったが、何回か呪文をこなしている内にコントロールができるようになっていた。
リンは敵対している黒天使を模した人形を五体出して、ミスチに全て当てるように指示した。ミスチは好きな水の呪文を使って、五体の人形に全て当てた。
ミスチの試験前日、呪文指導室で訓練を終えたリンはミスチに癒しの呪文をかけていた。
訓練を終えた後は必ずしているが、それも今日で最後である。
「今日もご苦労様」
「あ、有難うございます」
「呪文のコントロールは問題ないから、自信を持ってやると良いよ」
「はい、そこは頑張ります」
ミスチははきはきと答えた。ミスチは訓練期間の十日間(土日はきっちり休んだ)はリンの約束を守りイタズラをせずリンの訓練を受けた。リンも宣言通り厳しくも、ミスチの呪文が上手くなるように導いたつもりだ。
訓練の甲斐もあり、ミスチの呪文はかなり進歩したと言っても良い、これなら先生もミスチに良い成績をあげるだろう。
癒しの呪文をかけ終え、呪文指導室を片付け、リンとはミスチと一緒に学園を出た。空は薄暗さに包まれている。
「今日はゆっくり休むんだ。試験は万全な方が良い」
「分かりました。今日までご指導有難うございました」
ミスチは頭を下げてリンに礼を言った。そして背中の羽根を激しく動かして空を浮く。
「リン先輩、道中気をつけて下さいね! ではまた!」
ミスチは帰りの挨拶をして、あっという間に空へと消えていった。

次の日、二時限目の休み時間の時だった。
『リン先輩!』
ミスチの明るい声が、リンの脳内に響く、テレパシーである。
『どうしたんだ?』
『話があるんです。お昼休み空いてますか?』
『ああ、問題ないよ』
『じゃあ、昼飯が済んでからで構いませんから、屋上に来て下さい!』
『分かった』
昼休み、食事を済ませて、リンはミスチがいるであろう屋上に来た。
「リン先輩!」
ミスチはリンの姿を見るなり、近づいて嬉しそうに口元を緩める。
「結果はどうだった?」
「お陰様で高得点でした! 先生からも誉めてもらえました!」
ミスチはテンションが高かった。
目は髪で見えないが、キラキラ輝いているに違いない。
「それなら良かったよ」
リンは安心したように言った。
ミスチが好成績をおさめたなら、教えた身としては嬉しい。
するとミスチはそわそわと落ち着きなく動く。
「どうした?」
リンはミスチの態度の変化が気になった。
「あ……あの……リン先輩……良かったら……その……」
ミスチはようやく言う決意を固めた。
「リン先輩のことをお兄さんって呼んで良いですか? オイラに親身になって教えてくれるリン先輩を見て、お兄さんみたいだなと思ったんですよ」
ミスチは熱く語った。弟のユラがいるので、下の子の面倒を見るのは苦ではない。ミスチの場合もそうだった。
ミスチが自分の呼び方を変えるのも特に支障はない。
「ミスチがそうしたいなら良いよ」
リンは答えた。
「ホント? やったぁ! じゃあ早速ですが……」
ミスチははしゃいだ後、改まった言い方をした。
「これからも宜しくお願いします。お兄さん!」
「ああ、宜しくたの……」
リンが最後まで言いかけた時だった。頭上で「ぽん」と音がしたのが気になった。
ミスチは口許に手を当てて笑っている。
「お兄さんにお近づきの印のプレゼントです。訓練も終わりましたからイタズラも解禁ということで!」
ミスチは笑いを崩さずに空を飛んでリンから逃げ出した。
イタズラと聞き、自分の身に良くないことが起きたと察し、リンはミスチを追うことにした。
「ミスチ! 待て!」
「いくらお兄さんの命令でも聞けないよ!」
ミスチはどこか楽しそうだった。

昼休みが終わる間、リンはミスチをずっと追いっぱなしだった。その間、他の天使の笑い声がして恥ずかしかった。どうにかミスチを捕まえイタズラを解除してもらったが、後に聞いた話だと、リンの髪の毛には赤色のリボンが結われていたらしい。
リンは当然のごとく、ミスチを叱ったが、ミスチは反省の色が見られなかった。こればかりはイタズラ盛りなので仕方がないとリンは半ば諦めた。
リンは手のかかる弟が一人増えたなと感じた。


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