昔、桃色の髪をしたキルシュという天使の少女がいました。キルシュは空中で村を襲ってきた黒天使と戦っていました。キルシュは炎や水の呪文を黒天使に放ちました。
黒天使はキルシュの呪文を受けてすっかり参ってしまいました。
「覚えてろよ!」
黒天使はキルシュに言うと、素早く去っていきました。黒天使は黒い羽根を生やした天使で、キルシュが生まれるはるか前から存在しており、いつからか村や町に現れては人々を襲う厄介な存在になっていました。
キルシュが一人前の天使になってから三年経ちますが、黒天使の活動は増すばかりです。
「もう二度と来ては駄目ですよ!」
キルシュは逃げ去った黒天使に聞こえるように言い返しました。キルシュを含む天使は黒天使から人を守るのです。
キルシュは地上に降りて、村の人から感謝されました。
「有難うございます! 天使様!」
「お陰様で助かりました!」
人々の温かな言葉は、キルシュの心を温めました。
「いえ、私は当たり前のことをしただけです。用心のために黒天使避けの呪文を張っておきますね」
キルシュは背中の白い羽根を広げ、呪文をとなえると、黄色の輝きが村全体を覆いました。
「しばらくの間は黒天使はこの村には来ないでしょうけど、何かありましたら知らせて下さいね」
キルシュは言いました。キルシュは村人たちに見守られる中、天界へと戻っていきました。

天界に戻り、報告を終え、同じ仲間の天使達の話が耳に入りました。
「今日の黒天使は苦戦したよ、危うく大怪我しそうになったよ」
「おれなんか、騙し討ちをくらったよ、何とか倒したけどな」
天使は主に黒天使との戦いを話題に上げていました。この話は日常茶飯事です。
「キルシュ」
キルシュは名前を呼ばれ、振り向くと、白い羽根を背中に生やし、青髪に片眼鏡をした青年が立ってました。
「ヴァイハ先輩」
キルシュは青年の名を呼びました。ヴァイハはキルシュより二つ年上で、キルシュより経験を積んだ先輩です。
キルシュに戦いや呪文の使い方を教えてくれた天使でもあります。
「聞いたよ、今日は村の黒天使を撃退したんだって」
「ええ」
「気を付けろよ、最近の黒天使は何かと活発に動いてるからな」
ヴァイハは言いました。ヴァイハは忙しい合間を縫ってはキルシュに気に声をかけてきます。
キルシュはヴァイハと話していると、心が落ち着きました。
「はい、分かりました」
「……最も、黒天使との戦いももうすぐ終わるかもしれないがな」
ヴァイハは意味深なことを口走りました。
「どういうことですか?」
「時期がきたらキルシュにも分かる」
キルシュが聞くと、ヴァイハはきっぱりと言いました。
その日の夜はヴァイハの言葉が、頭から離れず、キルシュは中々寝付けませんでした。
天使を産んだ偉い神様も、黒天使を何とかしようと策を考えてきました。しかし黒天使も黒天使で知識を練って神様の策を逃れ、こうして今も人間を襲い続けています。
ヴァイハが言ってたことは恐らく、新しく考えた神様の策だろうなとキルシュは思いました。
納得するとようやく眠気がきて、キルシュは瞼を閉じました。

ヴァイハと話をしてから二日後、キルシュは町を襲っていた黒天使を退治し、天界に戻る所でした。
森から黒天使の気配がして、キルシュははばたくのをやめました。天使は黒天使の気配を感知することができるのです。
「……あれは」
キルシュはゆっくりと羽根を動かし、できるだけ音をたてずに気配がする方向に行きました。
そこには、腰まで伸びた燈色の髪に、黒い羽根を生やした少女が人間の少年と手を繋いで歩いていました。
気になったので、キルシュは二人の前に降り立ちました。
「そこの黒天使、何してるの?」
キルシュは黒天使の少女に聞きました。敵対している黒天使だからといっていきなり攻撃を仕掛けるのは良くないからです。
少女はキルシュを見るなり、怯えた表情になりました。
「あ……この子は……その……」
黒天使の少女は恐々と言いました。
「その子を人質にとるなら、今すぐに解放して」
キルシュは真剣に言いました。人間の子供を人質にするのは、黒天使がやることです。キルシュは過去にそういった黒天使を何度か見てきました。
「この子は……」
「黒いお姉さんは、迷子のぼくを村に連れていってくれるって言ったんだ」
少年は黒天使の少女が口を出す前に話しました。少年は黒天使の恐ろしさを知らないのだなとキルシュは思いました。
「きみ、お姉さん言わされてる訳じゃないよね」
キルシュは少年に聞きました。少年が黒天使の少女に天使と会った時に、口裏を合わせるように指示をしたとも考えられるからです。
「違うよ」
少年ははっきり言いました。少年の真っ直ぐな目は嘘をついているように見えません。
その時でした。
「人質をとるなんて卑怯なことはしません! 私はこの子を本当に村に連れていこうとしただけです!」
黒天使の少女は怯えた表情から一転し、真剣な顔でキルシュに言いました。
「黒天使だからと言って、皆が人を襲うなんて偏見です!」
突然のことに、キルシュは戸惑いました。キルシュだけでなく少年も同様です。
黒天使の少女はキルシュに疑われているのが気に障ったようです。
「お姉さん……」
「ああ、ごめんね、何でもないの」
黒天使の少女は少優しい声でに謝りました。
「全く、オマエはやり方がヘタクソだな」
黒天使の気配がして、男の声がしました。
黒い渦が出現し、そこから赤毛に青い瞳の黒天使が現れ、黒天使の少女の横に降り立ちました。
「カラズさん」
「オレは言っただろ、黒天使の人助けは割に合わねぇって」
「でもぉ……」
「でもぉ、じゃねぇ、元に天使に見つかってるだろ」
カラズは言いました。
「そのガキは天使に任せてズラかるぞ、他にも天使が来たら厄介だからな」
カラズの言葉に、少女は落ち込んでいる様子でした。カラズはキルシュに「おい」と声をかけてきました。
「オレの連れが迷惑かけたな、ガキはオマエに任せる」
カラズは荒っぽく言うと、キルシュに背を向け、早足で歩き始めました。少女はカラズとは対照的に遅い足取りで進みます。
キルシュは少女の行いが気になり、どうしても聞きたくなりました。
「待って!」
キルシュは大声を出しました。その声に二人の黒天使は足を止めて、キルシュの顔を向けました。
「んだよ、まだ何か用かよ」
「貴方じゃなくて、そっちの子」
「フィオーレか?」
カラズは仕方なさそうに、少女の名を言いました。キルシュはフィオーレの目を見ました。
「フィオーレ、貴方が人間の子を助けたいと思ったのは本心からなの?」
キルシュは聞きました。黒天使が人を助けるなど聞いたことがないからです。
フィオーレは言うか迷ったように視線をそらし、やがて意を決して口を開きました。
「本心です」
フィオーレはよく通る声で言いました。フィオーレの力強い目は真実を述べていると感じました。
「分かった。答えてくれて有難う」
キルシュは礼を述べました。
カラズは再びキルシュに近づいてきました。
「なあ、オマエ、オレらが単に人を襲うだけの存在とか思ってるだろ」
カラズはキルシュの目をじっと見つめました。
「言わなくても、オマエの顔を見れば分かる。オレらのことを軽蔑してるってのが伝わってくる」
キルシュはカラズに何も言い返せませんでした。黒天使は人を襲うというイメージしかキルシュにあるからです。
「一つ言わせてもらうけど、オレら黒天使は皆が皆、人を襲う訳じゃねぇからな、それだけは頭に叩き込んどけ」
「カラズさん、そんな乱暴なことを言ったら駄目ですよぉ」
フィオーレはカラズに注意しました。
「良いんだよ、天使の前でこれくらい威張らなきゃな、フィオーレももっと度胸持てよ」
カラズはフィオーレに言いました。フィオーレが気弱そうなのに対し、カラズは強気です。
「そうですけどぉ……」
「時間を食っちまったな、ほら行くぞ」
「はい……」
カラズは再度キルシュに背を向け、今度こそフィオーレと共に姿を消しました。
二人の黒天使のことが残りつつも、キルシュは少年を村に送り届け、自らも天界に戻りました。

『そんな事があったのか』
『ええ……』
夜、自宅に帰ったキルシュはヴァイハにテレパシーで今日あったことを話しました。
テレパシーは顔と名前を知った上で、相手の天使に念を飛ばして連絡を取り合えます。遠くにいる天使とも話せるので便利です。
『これは想像だが、黒天使の新しい策略なのかもしれないな、子供を助けて安心させようって企みの可能性もある』
『ヴァイハ先輩の意見は一理あると思います。でも……』
キルシュはフィオーレの顔つきを頭に浮かべました。
フィオーレを見る限り、企みとかではなく、困っている少年を心から助けたいという感じでした。
『フィオーレの目は嘘を言ってませんでした。黒天使にも良心があるのかもしれません』
『キルシュの言い分は分からなくもない、でも黒天使の偽りの優しさに騙されて命を落とした天使も数多くいる』
ヴァイハは忠告しました。
黒天使の偽りの優しさにより犠牲になった天使も存在します。キルシュもその事は知っています。
フィオーレの行いもヴァイハからすれば偽りの優しさと見えるのでしょう。
『気を付けろよキルシュ、君にも身に覚えがあるだろ』
『そう……ですけど』
キルシュも過去に黒天使の偽りの優しさにより、危うく死にかけそうになったからです。
幸いにもヴァイハが救ってくれたおかげで命は助かりました。
その件を忘れた訳ではありませんでした。
『今日はもう休むんだ。また連絡する』
『はい、夜分遅くに有難うございます』
ヴァイハとのテレパシーは切れ、キルシュはベッドに横たわりました。
カラズのことは話題に出しませんでしたが、日を改めて伝えようと思いました。
「偽りの優しさか……」
キルシュは呟きました。ヴァイハが言うように、フィオーレの行為も天使の目を欺く偽りの優しさかもしれません。
しかし、キルシュの気持ち的にはそうとは割り切れない思いがありました。
「考えても仕方ないわ、もう寝よう」
キルシュは思考を止め、目を閉じました。
明日も多忙な時間を過ごすことになることを考えると休んだ方が良いからです。


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