「はい、これで大丈夫ですよ」
サナはヨシノに治癒呪文をかけて言った。ヨシノはここ数日左肩の痛みに悩まされており、ヨシノは治療のために僧侶のいる教会に来たのだ。サナが治療しているのは、手が空いていたためだ。
ヨシノは左肩を何度か回す。
「おお……痛みがすっかり無くなったよ、僧侶様、有難うな」
ヨシノはサナに心から感謝していた。
「いえ、私は当たり前なことをしただけですよ、ヨシノさんが良くなって嬉しいです」
サナは言った。

ヨシノが帰り、サナは教会の中にあるキッチンに向かうと仲の良い友人のチュラカに声をかけられる。
チュラカも僧侶で、サナとは違いミモザ村を出たことがない。
「サナ、お疲れさん」
サナはチュラカに肩を軽く叩かれた。チュラカは明るく笑いかける。
「チュラカ……」
「ヨシノじいさん元気そうだった?」
「元気だったよ」
「あ、そうだ。お茶入れるの忘れてたわ、何が良い?」
「じゃあ、ミルクティーで」
ミルクティーはサナが好きな飲み物である。
「分かったわ」
チュラカは手慣れた手つきでお茶を入れ、サナにミルクティーを差し出した。
「はい、どうぞ」
「有難う」
サナはミルクティーが入ったカップを口に含む。
「美味しい」
サナは言った。チュラカはお茶入れるのが上手いのだ。
チュラカはサナの隣に座り、一口茶をすする。
「それはそうよ、ミルクティーに合う茶葉を選んだからね」
「茶葉を変えるだけでこんなに違うんだ……」
サナは驚きを隠せなかった。チュラカは茶葉に詳しく、誰より美味しいお茶を入れられるのだ。
サナは茶葉のことはさっぱりである。
「サナにも教えてあげるね」
「私にできるかな……」
「大丈夫よ、少しずつ覚えていけば良いから」
チュラカは励ますように言った。
それからサナはミルクティーをゆっくりと飲んだ。
一仕事終えた後に飲むお茶は癒される。
「……一年経つね」
突如、チュラカが呟く。
「え?」
「サナがミモザ村に帰って来てからだよ、一年経つなと思って」
サナはチュラカに言われ、カレンダーに目を向ける。
確かサナがミモザの村に帰郷してから今日で丁度一年だ。この一年は旅で疲れたサナの心を癒すのには必要な時間だった。帰ってきてからもガルディを失う夢を毎晩見てその度に目が覚めてしまった。時間の経過と共に徐々に見なくなり、最近は月に一・二回見る程度となっている。
「もう私は旅に出ないわ、楽しいこともあったけど、嫌なことも多いからね」
サナはカップに目を向けたまま静かに語った。最近は幼馴染みのライラックが村を出ていったのが記憶に新しい。
「サナがそう決めたなら良いんじゃないかな、私としてはサナに茶葉のことを教えられるから村にいてくれるのは有難いけどね」
「チュラカこそ平気なの? この前の縁談断ったんだって」
サナが訊ねると、チュラカは頬を赤らめる。
「……っ、誰から聞いたの」
「ラークさんからよ」
ラークはサナとチュラカの先輩にあたる人物で、おしゃべりである。
「あの人……また余計なことを……」
「勿体ないよ、優しそうな人だったじゃない

サナはチュラカの相手の男性を見たことがある。
「私は結婚を決められるのは好きじゃないの、今回の縁談はお父さんが勝手に進めたんだから」
チュラカは言って紅茶を一口飲む。
チュラカはミモザ村では、そこそこ金持ちの家の娘で、チュラカが教会で僧侶として働いていることに父親は良い顔をしないと聞く。チュラカは家が近いにも関わらず、教会に住み込んでいる。これも父親と距離を取りたいがための策である。
父親はチュラカの将来を考えてやっているのだろうが、チュラカ本人には苦痛なのだろう。
縁談があるのは知っていたが、チュラカの意志を無視して行われていたのは初めて知った。
「……大変ね」
サナはチュラカの気持ちを察した。
「生まれてくる家は選べないからね」
チュラカはしんみりとした様子だった。サナが良いと思っても、チュラカにとっては困ることのようだ。
「サナは自分のことは自分で決めた方が良いよ、誰かに決められるのは辛いから」
「心に留めておくわ」
サナは言った。

二人の会話は休憩室に入ってきたおしゃべりなラークによって中断される。
「サナ、あんたにお客さんだよ」
「客……ですか」
サナは疑問を抱いた。村人が来たなら名前を告げるので、村の外の人間なのだろう。
「名前は?」
「確かジーブルって名乗ってたね、村では見ない格好が派手な子だよ」
ジーブルと聞き、サナの胸は不安でざわつく。
ジーブルはサナとパーティーを組んでいた魔法使いで、気が強い性格で、サナのことを嫌っていた。サナをパーティーから追放した張本人でもある。
ジーブルがサナがミモザ村に住んでいることを知っているのは、サナ自身が村のことをパーティーで食事をした際に話していたからだ。
サナに一体何の用事だろうか。
「……どこで待っていますか?」
「礼拝室だよ、あんま待たせたら悪いよ」
「分かりました。すぐ行きます」
「サナ!」
サナが席を立とうとすると、チュラカに声をかけられる。
「私も一緒に行っても良いかな」
チュラカは言った。チュラカにはジーブルのことを話してあるので、サナのことが心配なのだ。
「良いよ、一緒に行こう」
サナは快く了承した。サナとしても一人でジーブルに会うのは気が引ける。
よってチュラカが来てくれるのは心強い。
サナはチュラカと共にキッチンを出て礼拝堂へと向かった。

サナは確認するために、礼拝堂に繋がる扉をそっと開ける。一人の女性が腕に手を組んで立っていた。顔は不機嫌そうだ。
紛れもなくジーブルである。
「……あの人がジーブルさん?」
チュラカは声を潜めて言った。
「そうよ」
「村にはいなさそうな人ね」
「行こう」
サナは短く言うと扉を完全に開き、礼拝堂に入る。
「遅い、扉の前で立ってないでさっさと来なさいよ」
ジーブルは久々に会ったにも関わらず、きつい言葉をサナに浴びてきた。
「ごめんなさい、緊張してしまって……」
サナは謝罪を口にした。これは本当である。
「あら、その子は?」
「チュラカよ、サナの友人だから」
チュラカは刺々しく言った。サナから聞かされた話でジーブルに良い印象を持っていない。
「チュラカ、ジーブルさんは一応年上だから敬語を使って」
サナは慌ててチュラカに耳打ちをして、ジーブルに頭を下げる。
「私の友人が失礼しました。それで私にご用件というのは?」
「そうだった。早く用事は済ませないとね」
ジーブルは言った。
「アタシの仲間の命が危ないからアンタに助けて欲しいのよね」
「仲間というのは、アングリさんのことですか?」
サナは訊ねる。
記憶の中では、ジーブルは剣士のアングリとパーティーを組んでいた。
「違うわ、アングリとはもう別々になったの」
ジーブルは重々しく言った。
「つまりはパーティーは解消ってことですね」
チュラカは話に割り込んできた。敬語なのは良いが、尖った言い方である。
サナは何となくだが、ジーブルがアングリから離れた理由が分かる気がした。ジーブルのきつい言動にアングリが耐えられなくなったのだろう。四人だった時はガルディというムードメーカーがいたから成り立っていたが、ガルディを失い、サナまで抜けてしまったので、二人だけとなり、アングリもジーブルと一緒にはいられないと感じたのかもしれない。
「す……すみません、チュラカのことは気にしないで下さい、要はジーブルさんの新しい仲間を私に助けて欲しいということですね」
思考を巡らせつつ、サナは冷や汗をかきながら話をまとめる。ジーブルは「そうよ」と少し怒ったように言った。
「でも、確認させて下さい、どうして私なんですか? 僧侶なら冒険者のギルドを探せばいくらでもいると思うんですが……」
サナは質問を投げ掛けた。冒険者のギルドにはサナだけでなく多くの僧侶も登録していたからだ。
なのに何故ジーブルはサナの元に来たのか。
「……五人くらい知ってる僧侶に声をかけてみたけど全員ダメだったの」
ジーブルは表情を曇らせる。
そんなにも僧侶に話しかけて、全員が断るのは何か理由がありそうだ。
「差し支えが無ければ教えて欲しいんですけど、原因に心当たりはありませんか?」
サナはジーブルの話に踏み込んだ。ジーブルはサナから視線を反らし、言うか言うまいか迷っている様子だった。
さっきの気の強い態度とは違った。
「もしかして犯罪まがいなことですか? なら帰って下さい」
チュラカは決めつけるような言い方をした。
「チュラカ、失礼よ! まだそうと決まった訳じゃ……」
「犯罪……ね、その子の言ってることは割と当たってるわ」
ジーブルは躊躇いつつ口走る。
「アタシの仲間は……スカージの呪にかかっているの」

「スカージの呪……」
聞いたサナは言葉を失った。スカージの呪いはかかった者に寝る暇もなく激痛と苦しみを与え、最終的には命を奪う。
それだけでなく、術をかけられた当人が亡くなった直後には、かかった者の周囲の人間にも同様の呪いがかかる。
これは僧侶の間では知らない者がいないほど有名な話だ。
ジーブルの仲間がここにいないのは、スカージの呪によって苦しんでいるためだろう。
「そんなのどの僧侶でも断りますよ、スカージの呪は禁術ですし、格の高い僧侶でないと解くことができませんしね、まさか……知らなかったんですか?」
チュラカはジーブルに訊ねる。
「……道理でスカージの呪の話になると顔を引きつらせて逃げた訳ね」
ジーブルは言った。知らなかったようだ。しかしジーブルはすぐに気を取り直した。
「お願い! ブバルを助けて、僧侶の知り合いはアンタしかいないの! ブバルはセチアの宿屋にいるの!」
ジーブルは必死に言った。ブバルがジーブルの仲間らしい。
「残念ですが……」
「チュラカ、ジーブルさんの話は最後まで聞こう」
サナはチュラカの話を遮った。チュラカのことだから、ここにいる人間にはスカージの呪は解けないと言うのだろう。
確かにスカージの呪はサナでも解けないが、ジーブルの仲間が呪いにかかった理由を知りたかった。
困っている人の話を聞くのも僧侶の務めだ。
「ジーブルさん、ブバルさんは何故スカージの呪にかかったのですか」
サナは問いかけた。スカージの呪は禁術の上に取得も禁じられている術で、取得しているのは決して関わってはいけない闇の世界に生きる者達と聞く。
ジーブルとブバルは闇の世界に生きる人間に干渉したとも言える。
「カランコエの涙を手に入れるためよ、どこを探しても見つからないからね、情報を集めたら、ワーミーの洞窟にあるんじゃないかって話を聞いたからね」
ワーミーの洞窟は闇の世界に生きるに人間達が暮らしていると聞いたことがある。
サナもアングリ達とパーティーを組んでいた時は近くを通ったことはあったが、入り口が見当たらず入ることはできなかった。まあワーミーの洞窟は普通の世界で生きる者が立ち入る場所ではないが……
「ブバルと一緒に際どい手段を使って何とかワーミーの洞窟に入ったわ、そしてあるとされている場所に行くと、本当にカランコエの涙があったから手に入れたの、そこからが大変だったね、不正侵入がバレてアタシとブバルは追われるハメになったの、洞窟の連中は武器や呪文で攻撃してきたわ、必死になって逃げて、洞窟の外までもう少しって所で、連中の一人がスカージの呪を放ってきて、ブバルはアタシを庇って受けてしまったの」
ジーブルは長々と語った。不正な方法で入ったことは誉められることではない。
しかし、肝心な部分も聞かなくてはならない。
「カランコエの涙を手に入れてどうするつもりだったんですか? アングリさんが探していたものですよね」
サナは訊ねた。カランコエの涙はアングリが村にかかった呪いを解くために探し求めていたものだ。
「アンタも鈍いわね」
ジーブルは突っ掛かる言い方をした。
「カランコエの涙をアングリに渡すためよ、それ以外に理由はないわ、ここまで言ったら話すけど、アングリとパーティー解散になったのは、ワーミーの洞窟に入る入らないで揉めたからなの」
アングリは闇の世界の人間を快く思って無かったため、例えワーミーの洞窟にカランコエの涙があると聞いても、入りたがらなかっただろう。
「アングリも頭が固いのよね、世の中綺麗なことばかりじゃ生きていけないわよ」
ジーブルの話を一通り聞き、サナはどうするか決めた。
「お話頂き有難うございます。ですが残念ですけど、私を含むこの教会の人間ではスカージの呪を解くことはできません」
「なっ……」
「しかし、私の知り合いにスカージの呪を解ける格の高い僧侶がいますので、その方に紹介状を書きます」
「そういうのは早く言いなさいよね! ったくアンタがてっきり解けるかと思ったじゃない!」
ジーブルは甲高い声を発した。ジーブルがこう言うのは想定範囲内だ。
「先に言わなかったのは申し訳ありません、話を最後まで聞いてジーブルさんを手助けして良いかを判断したかったのです。私がブバルさんを助けられるならそうしたいです。もしジーブルさんが身勝手な理由でブバルさんに迷惑をかけたならお断りしてました」
サナは冷静な対応を崩さなかった。
「紹介状を書いてきますのでここでお待ち下さい……チュラカ行こう」
サナはジーブルに一礼し、チュラカと共に足早に礼拝堂を後にした。
「あんなの断れば良かったじゃない、態度悪っ」
歩いている中で、黙っていたチュラカは憎々しげに口走る。
「嫌な思いさせてごめんね、ジーブルさんはああいう人だから」
「よく我慢して一緒に旅してたね、私には一日で無理だよ」
「……かもね」
サナはチュラカを宥めた。
ジーブルの態度は良いとは言えないが、アングリのために危険を犯したから支援するのだ。
「チュラカ、ここからは私一人でも大丈夫だから仕事に戻って、一緒についてきてくれて助かったわ」
「あ……うん、分かった」
チュラカは言った。ジーブルと関わらずに済むと思ったのかほっとした様子だった。
チュラカと別れ、サナは部屋に行くと紹介状を書いた。紹介状を手にしてジーブルのいる礼拝堂に行った。
「これを持ってヤナギ教会に行って下さい……念のために私の方からも連絡しておきます」
サナは紹介状をジーブルに差し出した。
スカージの呪を解くには入念な準備をしないといけないからだ。ジーブルが着いてから準備なんてことになったらブバルが助からない可能性がある。
ジーブルは紹介状を手にとると、ポケットにしまった。
「アンタ、どんな呪いでも解けるようにもっと修行しなさいよ」
ジーブルは言って、サナに背を向けて歩き出した。礼を口にしないのは失礼だが、ジーブルらしいと思った。
「早くブバルさんをヤナギ教会に連れて行って下さいね、でないとジーブルさんの命にも関わりますから」
サナは忠告した。ジーブルはそのまま礼拝堂を後にした。
こうして、サナが元・仲間のジーブルとの波乱な対面は終わった。
「……私にもできることとできないことはありますよ、ジーブルさんが治癒呪文が使えないようにね」
サナは小さく呟く。
サナも品の高い僧侶になろうと修行していた時期もあったが、品の高い僧侶になるために必要な呪文がどんなに努力しても使用できなかったため、断念したのだ。

ジーブルとの対面から二ヶ月が経ち、サナはいつもの生活をしていた。
「サナ!」
教会の廊下でチュラカに呼び止められる。
「何?」
「はい、手紙」
チュラカから一通の封筒を手渡された。
「誰から?」
「ごめん、見てないよ、サナの名前を見ただけ」
細かい所を見ないのはチュラカらしいなとサナは思った。
差出人の名は便箋の後ろに記してある。
「ジーブルさん……」
「意外ね」
サナもチュラカと同じ思いだった。ジーブルの性格とは裏腹に字は綺麗だ。
「中は見る?」
「そうするわ、でないとジーブルさんに失礼よ」
サナは封筒を丁寧に破き中身を見た。一枚の便箋が入っていた。便箋を手に持ち、文を読み始めた。
『遅くなったけど、伝えておきたいから手紙を書くわ、まずブバルの命を救ってことについては礼を言うわね、アンタが手回ししてくれたお陰でブバルを連れてヤナギ教会に着いてから呪いはすぐに解けたわ、加えてアングリの村の件も解決できたし、良いことづくめだわ、皆アンタのお陰ね。
今はアングリとブバルの三人で旅をしてるから、アングリはもっと強くなりたいんだって。
それと、アンタにきつく当たったりして悪かったわ、今までのことは水に流して、アンタが良ければだけど、またアタシ達のパーティーに加わってくれないかしら、僧侶がいないと回復に困るからね。
この手紙が着く頃にはミモザ村に三人で行くから、その時に返事を聞かせて』
「ジーブルさん……」
文面からはサナへの感謝と謝罪が綴られている。
「へぇ……言動は腹立つけど悪い人って訳ではなさそうね」
チュラカはサナの横から言った。
水に流すというのは、ガルディの件も含まれているのだろう。不安が無いというと嘘にはなるがジーブルとの関係も少しは変わるかもしれない。それに気遣いができるアングリが一緒なら安心できる。
必要としてくれるならまた一緒に旅をするのも悪くない。
「サナ」
ラークが後ろから現れて声をかけてきた。
「あんたにお客さんだよ」
「相手は何人ですか?」
「三人来てたね、前に村に来た派手な子と、男二人」
「意外に早かったわね」
チュラカは突っ込んだ。
「チュラカ、エビナ先生には私が旅に出ることを伝えておいて」
サナはチュラカからラークに目を向ける。
「ラークさんは三人に待ってもらうように伝えて下さい」
サナは言うと早足で廊下を駆け抜け、自室に行き、旅の支度を始めた。
十分後、必要な物資を鞄に詰め込み、最後はエビナから貰った杖を手にした。サナが旅をしている時に使っていたものだ。
「また宜しくね」
サナは杖に声をかけた。鞄と杖を持ち、自室を後にした。

サナは礼拝堂の扉を開いた。見知ったアングリとジーブルの顔と新しい顔があった。恐らくブバルだろう。
サナは三人に向かって歩いた。胸がドキドキと緊張で高鳴った。
三人の近くでサナは立ち止まり、口を開いた。
「私をまた冒険に連れて行って下さい」



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