「くくくっ」
 女は不気味な声で笑い、煮え立つ大鍋に毒薬を注ぎ込む。
 整った顔立ちに、足の付け根まで伸びた黒髪、雪のように白い肌は誰から見ても美人に見えるが、濁った瞳が唯一の欠点だった。  
 女は真っ赤なりんごを大鍋に入れ、両手を上下に動かす。黒髪が蛇のごとく揺らいだ。これから彼女が引き起こす出来事を印象付けるように。
 女は自らを惨めな思いに陥れた張本人に対する罵り言葉を発した。
 「白雪姫……お前には死んでもらうよ」
 次の瞬間、大鍋から閃光が溢れ出した。
 中から毒を吸いきった紫色のりんごがゆっくりと姿を現す。
 女は紫色のりんごを手に取り、満足げに口元を吊り上げる。
 その笑みにはりんご同様に毒が含まれていた。
 彼女の瞳が濁るのは、胸の奥に深い邪悪を燃やしているからだ。
 消えることの無い憎悪の炎を……

 だが、彼女の野望は思わぬ形で幕切れとなる。

 高温の液体が入った大鍋が、突然女に向かって傾いてきた。回避する暇も無く女は液体をまともに浴びた上に大鍋の下敷きになった。
 全身に焼け付く痛みと、圧し掛かる重さで声にならない。
 「こ……んな……ことで……」
 憎き白雪姫をこの手で殺し、世界で一番美しいと再び言われるチャンスを得たのに。
 不運な事故によって、その機会が失われてしまうのはとてつもなく悔しかった。
 
 あと一歩だったのに。
 あと少しだったのに。

 「残念だったわね、お母様の野望が叶わなくて」
 女の意識は段々と遠ざかって来た時だった。女の目の前に一人の少女が立っていた。
 蜂蜜色の髪、朱色の双眸、華奢な体つきに似合う純白のドレス
 女が世界で一番憎んでいる白雪姫だった。
 「お母様がわたくしを殺そうとしていたのを分かっていたから、この大きな鍋に細工をしたのよふふふっ」
 白雪姫は口元を当てて微笑む。
 「小娘が……っ!」
 その顔を見た途端に、女の中にある憎悪と殺意は膨れ上がる。
 今すぐにでも目の前にいる憎々しい小娘を殺したい……!
 女は思い切り白雪姫を睨みつけた。最期の足掻きと言わんばかりに。
 「お休みなさいお母様、天国で今は亡き父さまに会えることを願っていますわ」
 白雪姫は毒りんごを窓の外に投げ捨てた。ガラスは音を立てて割れ、りんごの姿は一瞬で消え去った。
 白雪姫は高笑いをして、その場から姿を消した。
 
 あんな憎たらしいのなら、こんな小細工しないで
 さっさとナイフで心臓を一突きにすれば良かったんだ。
 体を引き裂いて、紅い臓物を全部引きずり出して、真っ赤な部屋を作り上げれば……
 こっちの方がすっきりしそうだ。

 毒りんごなんか作るんじゃ無かった。
 今更……遅い……か
  
 女の思考はそこで止まった。
 目的を果たせないという惨めな最期だった。
 
 
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