私は書類を手に、早足で歩いていた。
「全く……王先生ったら」
私の怒りはおさまらない。
原因は王先生が仕事をすっぽかして逃げ出したので、私は王先生を追いかけたが、見失ってしまったのだ。
追っている最中に、生徒からははやし立てられ、恥ずかしくて仕方なかった。
「木之本先生を見習って欲しいわ……」
私はため息をつく。
木之本先生は赴任してから半年だが、彼の態度は真面目で、私から見て信頼できる先生だ。
王先生とは正反対である。
「代わりに書くしかないわね」
我ながら甘い対応に、私は自己嫌悪に陥った。
王先生を追ったことで、随分時間を削ってしまった。
時計を見ると、急がないと間に合わない。
生徒指導室に行って書こう、そこなら静かで集中しやすい。
私は生徒指導室へ向かった。

生徒指導室の前に来るなり、私は立ち止まる。
そこには、木之本先生がいたからだ。
木之本先生は私に気付き、私に近づいてきた。
「どうしたの?」
私は訊ねた。
木之本先生は頭に手を当て落ち着かない様子だった。
「あの……輝宮先生……今お時間大丈夫ですか?」
木之本先生はぎこちなく質問をしてきた。
いつもの木之本先生とは違い、おどおどしている。
「ごめんなさい、私は今から書類を書かなければならないの、用事があるなら後にしてもらえるかしら?」
私は言った。
木之本先生には申し訳ないが、今は時間がない。
なので彼の話を聞く余裕はない。
そんな時だった。
「だったらその書類は俺が書きますよ!」
私の背後から、烏丸先生が爽やかな笑顔を見せて現れた。
「でも……これは……」
「輝宮先生が困っているのを見過ごせないでしょう!」
そう言うと、烏丸先生は手を伸ばした。
「後で王先生にはきっちり言っておきますよ、美人な先生に仕事を押し付けんなって」
烏丸先生の言葉にどきっとした。
烏丸先生は女性好きとあってか女心をくすぐるのが上手い。
「本当にいいの?」
「構いませんよ、輝宮先生のためなら書類くらい片付けちゃいますよ」
烏丸先生は片目を閉じた。
彼はやる気に満ちており、このまま断るのも気が引ける位だ。
「……ごめんなさいね、面倒なことを押し付けて」
「気にしないで下さい!」
私が渋々手渡すと、烏丸先生は明るく言った。
「木之本先生、輝宮先生に用事があるんですよね? 女性を待たせるのは良くないですよ」
烏丸先生に催促され、木之本先生は我に返り、私の顔を見る。
「輝宮先生、ここで話すのも難ですので、屋上に行きましょう」
「え……ええ」
妙な胸騒ぎを抱きつつ、私は木之本先生の後をついて行った。

屋上は人気がなく、静かだ。
木之本先生は足を止め、私も合わせる形で、動くのをやめた。
「すみません、こんな所にまで連れてきて」
「……話って何?」
私は質問を投げ掛ける。
木之本先生は、さっきから様子が変である。
「驚かないで聞いてくれますか」
「話の内容にもよるわ」
私は言った。
重大なミスを隠していて、今から自供するということもあり得るからだ。
木之本先生ならそんな事しないとは思うが。
「輝宮せ……いや、輝宮さん」
木之本先生は珍しく私をさん付けした。
「俺……あなたのことが好きなんです。良かったら付き合ってくれませんか?」
木之本先生は目を固く閉じて言った。
木之本先生の言葉に、私の全身に衝撃が走る。
しばらくの間、声が出ず、体が動かなかった。私は生まれて初めて異性に告白を受けたからだ。
秋のひんやりとした風が頬を撫でる。
風を感じつつ、私は視線を左右に動かし、何をいうべきか迷った。
「……一つ聞いて良いかしら」
「何でしょう」
木之本先生は目を開く。
「冷やかしじゃないわよね?」
私は確認する意味で訊ねた。
告白しておいて実はやらせでしたというのは人の気持ちを弄ぶ最低な行いである。
木之本先生に限って酷い事をしないだろうが、念のためだ。
「俺は真剣です。輝宮さんのことが好きなんです」
「どうして?」
「真面目で生徒指思いな所に惹かれました」
木之本先生ははっきり言った。
私の人柄が木之本先生にとって合うタイプだったのだ。
木之本先生が私を好きになった理由は分かった。
でも問題が残っている。
「私の年齢を知ってるよね? あなたより離れてるのよ」
私は三十一歳で、木之本先生は二十四歳
七つも年が離れている。木之本先生には私より若い女性が合っている気がする。
「そんなの気にしてません、年とか関係なく俺は輝宮さんと付き合いたいんです」
嬉しい言葉に、私の心は揺らぐ。
彼は私と真面目に交際したいのだ。
でも、私はすぐに答えを出せない。突然の告白で気持ちの整理が追い付かない。
「……ごめん」
「えっ」
「違うの、少し考える時間が欲しいの、急に言われたからすぐに答えが出ないわ」
一瞬彼が悲しげな顔をしたが、私は慌てて手を振る。
「一週間待って欲しいの、その時になったら、答えを出すわ」
それが今私が出せる精一杯の言葉だった。
「分かりました。待ちます」
「有り難う」
私は木之本先生に一礼し、木之本先生に背を向けた。
胸が早く鼓動を打っていて、告白の余韻が残っている。
信じられないことが起きて、正直戸惑っていた。
……香菜に相談してみようかしら
古い友人である香菜なら、いいアドバイスをくれそうだ。
が、私の困惑は屋上と校舎を繋ぐ扉に手をかけた時に吹き飛ぶことになる。
「やっぱそうきたか」
「まりあらしいね」
「俺はこうなるな~と想像がついていましたけどね」
扉の向こうから話し声が聞こえる。
声からして王先生、レア先生、烏丸先生だ。
「アンタの演技上手かったわね」
「演技じゃないです。俺は本心で輝宮先生を助けたかったんです」
「でもよ、木之本の告白が上手くいってほっとしたぜ、かがみんから逃げた甲斐があったな」
三人の話からして、私が王先生を追いかけ回したのも、タイミング良く烏丸先生が現れたのも全部仕組まれたことだったのだ。
木之本先生に告白させるために。
良いのか悪いのか答えは出ないが、屋上を去るために私は扉をそっと開くと、想像通り、三人の顔があった。
突然私が出てきたことに、三人は驚いていた。
まさか私が聞いてたのを想定していなかったと言わんばかりに。
「先生方、こんな所で何をなさってるんですか?」
私が訊ねるとレア先生は表情を引きつらせた。
「まりあ、良かったじゃない、告白されて!」
レア先生は「だろ、鳥丸!」と鳥丸先生の肘をついた。
「そうですよ、これで輝宮先生も幸せになれますよね」
烏丸先生は王先生に顔を向ける。
王先生はアフロをいじった。
今回の告白を仕組んだのはやっぱりこの人か、楽しいことが大好きな性格からしてあり得る。
いや、問題はそこじゃない。
「王先生」
私は手を強く握る。
「何でそんな怖い声を出すんだよ」
王先生の額から変な汗が出ているが、気にしない。
「仕事はちゃんとやって下さい!」
私が一喝すると、三人の先生は蜘蛛を散らすように逃げていった。
「もう……」
私は肩を動かして、何度もはぁ……はぁ……と口呼吸をした。

その後私は、締め切りギリギリまで
王先生が放棄した書類作成を代わりに作った。

仕事を終え、私はベッドに横になり、香菜に電話をかけた。
幸いと言うべきか、香菜は時間が空いており、私の話を聞いてくれた。
「良かったね、まりあを好きになってくれる人が現れて」
話を聞き終え、香菜は明るい声で言った。
そう言うと思ったが、私は内心戸惑っている。
「付き合っちゃいなよ、聞いた限りだと、木之本さん素敵な男性じゃない」
「そう……だけど」
「どうしたのよ」
私は胸に手を当てる。
香菜の言うように、木之本先生は好青年だ。
だからこそ悩む。
「私……男性に触れないのよ」
私は本心を口に出す。
男性と交際するに至って、最大の問題だ。
手を繋いだり、抱き締められたり、そう言った場面は避けられない。
努力はしているものの、心の傷は簡単には治らない。最近では烏丸先生に誤って触れただけで失神してしまった位だ。
「その事はちゃんと言った方がいいよ、それで駄目だったら諦めた方がいいわ」
「諦めるなんて……そんな」
厳しい意見に、私の胸はちくりと痛む。
確かにそうかもしれないが。
「言い過ぎたね、ごめん、大丈夫だよ、木之本さんなら分かってくれるよ」
謝罪すると共に、香菜は力強く言った。
「そうね……」
私は返した。
そんな時だった。電話の向こうから「帰ったぞ」と、男性の声が聞こえてきた。
「いけない、パパが帰ってきたから、切るね」
香菜は結婚しており、今帰って来たのだ。
結婚してから四年経つが二人の仲は良い。子供はまだ作る予定は無いという。
「分かったわ、旦那さんとはお幸せに」
「まりあもね」
こうして香菜との会話は終わった。
眠気が波のように襲い、目を開けているのが辛くなった。
「眠った方がいいわね」
疲れを癒す意味で、私は毛布を被り、そのまま眠りについた。

香菜に勇気付けられ、私は決心した。

「綺麗ね、夜景の町」
「そうですね」
私と木之本先……いやさんは、観覧車から夜景を楽しんでいた。
一週間後、私は木之本さんとの交際を承諾し、週末に遊園地で初デートをしていた。
ティーカップ、メリーゴーランド等の乗り物を楽しみ、今は観覧車に乗っている。
「あそこ見て!」
私が指を差した先には、ハート型の明かりが照らしていた。
「素敵ですね、まるで俺たちを祝ってくれているみたいですよ」
木之本さんの感想に、私は嬉しくなった。
木之本さんと交際を始めてから、少しずつ仲良くなっているのを感じる。
「来て良かったわね」
私は木之本さんの方を見た。
「俺も同じ気持ちです。輝宮さんと一緒に過ごせるなんて夢のようです」
木之本さんの言葉に、私の胸はどきっとした。
木之本さんに男性に触れられないことを正直に告げても、嫌な顔をせず、受け入れてくれた。
密着せず、お互いの顔を見る形で座っているが、木之本さんは笑顔を絶やさない。
「そう言ってくれて嬉しいわ」
私は視線を動かした。

観覧車から降りても、私たちの間にある良いムードは崩れなかった。
むしろ、このまま続いて欲しいと思った位だ。

私と木之本さんとの交際はこうして始まったのだった。

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