ケルベロスにかけた停止呪文は長くてもあと五分しか持たない。その間にブルを説得できればいいと思った。
「……ブルくん、大丈夫?」
ラフィアはブルに優しく声をかける。ヴァスに叱られてへこんでるのではと心配になったからだ。
ケルベロスに座っていたブルだったが、ラフィアの声に反応し、ぱっと立ち上がり、自信ありげな顔になった。
「大丈夫っすよ! あんな声にびびってたらイタズラなんてできないっすよ!」
ブルは明るく振る舞った。叱られたことを忘れるためかどこかわざとらしく見える。
「そう……かな」
「そうっすよ!」
ブルの話に、ラフィアは一応納得することにした。ブルも話をできる状態なので本題に進んでも問題は無さそうだ。
ラフィアとブルのみしかいないプールで、ラフィアは話を切り出した。人々は監視員やシソとヴァスの誘導で避難し終えてる。
「ねえブルくん、きみは何でこんな手の込んだイタズラを仕掛けたの?」
ラフィアは訊ねた。彼のイタズラにより人に迷惑を被り、ラフィアもプールを楽しめなくなった。
「イタズラについては謝るっす。迷惑をかけてすいませんでした」
ブルはラフィアに頭を下げる。自分の非を認めているのは意外だった。
イタズラ仲間のユラはラフィアにイタズラしても謝らないのだ。
「でも、オレどうしてもあなたに伝えたいことがあったんです」
ブルは口調を改めた。
「何……かな」
「オレ……」
ブルは両手を強く握り、ラフィアを見据える。
「ずっと前からあなたのことが好きでした!」
ブルの大声がプール中に響き渡る。
唐突な告白に、ラフィアは呆然とする。
「ええっ!?」
女の驚きの声を上がり、ラフィアは目を向ける。プールサイドにはショコラ、リン、シソの三人がいた。
ショコラとリンは水着姿だが、シソは着替えて背中に羽根を生やしている。
さっきの声はショコラのものだ。
「……ごめんね、ラフィアさんが心配だからって連れてきたよ」
シソは言った。
「それは分かりました……けど……」
ラフィアは両手に頬を当てる。ブルの告白にどう返事をしていいか分からないのだ。
加えて人前での告白なので恥ずかしさが余計に助長する。
「まさか今回のプールの誘いって、このためだったの?」
「そうだ。でなきゃこんな派手なことしないだろ、ケルベロスなんて学校でも出せないしな」
「ショコラ、どういうことなんだ」
リンは隣にいるショコラに訊ねる。
「リン先輩、オレから説明します」
ブルがショコラに代わって話し始めた。
今回のプールに行く誘いは、本当はブルが提案したものだ。ショコラに頼みリンと一緒にラフィアをプールに誘うように依頼したのだ。
ユラでも良かったが、ショコラの方がしっかりしてるから彼女に頼んだのだという。
「……ということです。よって今回のことは全てオレが仕組んだことです。だからショコラを責めるのはやめて下さい」
「ず……随分大胆だね。ぼくには真似できないな」
大人のシソが口を挟む。騒動を起こして告白など、余程の度胸がないと難しい。
「話は分かった、けど今回のことはまさかだと思うけどラフィをからかうためとかじゃないよな、もしそうなら僕は本気で怒るぞ」
リンは真剣に言った。
ラフィアへの告白を笑いのネタにする可能性もあるからだ。そんな事をされたら告白されたラフィアが深く傷つく。
「違います。オレは本気です。無茶苦茶なやり方なのは認めますが、ラフィア先輩への想いに嘘はありません」
真っ直ぐなブルの言葉に、ラフィアはむず痒い気持ちになった。
「ブルくん、一つ聞いてもいいかな」
ラフィアは恥ずかしそうに訊ねる。
「何でしょう」
「ど……どうしてわたしのことが好きになったのかな……って思って
ブルとわたし、今までお話したことなかったし……」
その質問に、ブルの表情は輝く。
「ラフィア先輩、オレがあなたを好きになったのは、あなたの優しさと強さです。
オレは知ってます。今年の運動会でラフィア先輩が怪我をした下級生の面倒を見ていたことを」
ブルの声はどこか熱がこもっている。
ラフィアは運動会の時、下級生の怪我を癒しの呪文で治していた。
下級生が笑顔で感謝してくれたことは忘れない。
「あなたの強さを感じたのは、去年のハロウィンの時です」
ブルは停止しているケルベロスの頭に乗り上げ、ラフィアを見下ろした。
「ラフィア先輩が特殊部隊の人と一緒に黒天使をやっつけたって聞いた時にはしびれましたよ」
「えっ」
あり得ない話に、ラフィアは困惑する。
ラフィアはまだ見習いで黒天使を倒すことはできないのだ。
「ちょ……ちょっと待ってよ、何でわたしが黒天使を倒してることになってるの」
「そう聞きましたよ」
「誰に?」
「ユラから」
告白された衝撃は、ユラのふざけた嘘に対する怒りに刷り変わった。
「ユラくん、いるんでしょ! 出てきて!」
ラフィアは賑やかな声で口走る。
するとくすくす……と男子二人分の笑い声と共に、シソ同様に着替えて天使の羽根を生やしたヴァスに連れられたユラとミスチの姿が見えた。
「はははっ……まんまとオレの話を鵜呑みにしてやんの」
「当分ネタになりそうだな」
ユラとミスチはブルを馬鹿にしていた。ラフィアは真っ先にユラ目掛けて飛んでいった。
「ユラくん、ハロウィンのことでブルくんに可笑しなことを吹き込んだでしょ」
「ああ、ちょっと格好付けたかっただけだよ、まさかマジするなんてな」
ユラは面白がっていた。
「ユラ、オレのこと騙したな!」
「ばかだな、ちょっと考えれば分かんだろ、引っかかるおまえが悪い!」
ユラはそう言ってミスチとゲラゲラ笑う。嘘のことは反省していない様子である。
彼の笑いに水を差す形でヴァスが手を固め、ユラとミスチの頭に拳骨を食らわせた。
「いった! 何すんだよ!」
ユラが涙目でヴァスに訴える。
「てめぇが反省してねえのと、下らねぇ嘘をついていた罰だ」
ヴァスは怒りを静かに口にした。言い分はヴァスが正しい。
ユラがブルを騙したのは確かに良くない。ラフィアもヴァスには同感(拳骨には引くが)である。
「……ユラくん嘘はダメだよ、ブルくんに悪いと思わないの」
ラフィアは怒っていた。もし自分が友人のマルグリットに気持ちをもてあそぶ嘘をつかれたら嫌な気持ちになるからだ。
ユラは頭をさすりながら、複雑な顔をしている。
ヴァスに叩かれた怒り、友人を騙したことに対する罪悪感が入り混じっているのかもしれない。
「嬢ちゃんの言うとおりだ。人の気持ちで遊ぶもんじゃねぇ」
ヴァスは静かに言った。
「わたし……嘘をつかれて好かれてもちっとも嬉しくないよ、本当のことを言ってくる」
ラフィアが飛ぼうとしたその時だった。ブルが「うわっ」という声を出した。振り向くとケルベロスが再び動き始めた。停止呪文が切れたのである。
シソが一歩前に出て、呪文を紡ぐ。
「そなたの行動は我の呪文により、しばし止まる!」
ケルベロスは再度停止した。しかしブルがケルベロスの頭からプールへと真っ直ぐに落ちていった。
「光よ、あの者の身を守る衣となれ!」
ラフィアが右手を伸ばし、黄色い光を放つ、ブルがプールに落下する直前にブルは光に包まれる。
ラフィアは右人差し指を動かし、ブルを包んだ光をプールサイドに移動させた。日々の鍛練のお陰で護衛の呪文の応用もそうだが、ブルを助けることができたのだ。
「ブルくん!」
ラフィアはブルの元に降り立った。見たところ怪我は無さそうだ。
「大丈夫?」
ラフィアはさっきと同じ言葉をブルにかける。ブルは感動した表情になり、ラフィアの両手を掴んだ。
「有難うございます! やっぱりあなたはオレの天使……いえ女神様です!」
「え……ちょっと……」
ブルの興奮ぶりに、ラフィアは困った。ブルは想い人に助けられて相当嬉しいらしい。
「あなたのことが一層好きになりましたよ、黒天使を倒してなくても関係ないです!」
熱烈な言葉に、ラフィアは視線を泳がせた。どう言えばいいのか分からないのである。

「いちゃついてるトコ悪ぃが、治安部隊が来たぞ」
二人の間にヴァスが口を挟んだ。複数の天使が空を舞っていた。ブルも気恥ずかしかったのかラフィアの手をそっと離す。ヴァスが「こっちです」と声をかける。
声に反応し、暑い日に不釣り合いな灰色の長袖スーツを着た男性がラフィアの横に降り立つ。
「ヴァスくん、お休み中にも関わらずゴクローさまだね」
「いえ、これも運が悪かっただけですよ」
スーツの男の陽気な話に、ヴァスは明るく返す。
「それで、あのケルベロスを出してトラブルを起こしたのは誰かな?」
スーツの男は本題に入った。ヴァスはブルの横に立ち指を差した。
「こいつです。名前はブルと言います。ちなみにプールでトラブルを起こしたのはそこの二人のガキも同様です」
二人というのはユラとミスチのことだ。
スーツの男はブル、ユラ、ミスチと目線を移し、最後にラフィアに目を向けた。
「そこのお嬢さんは?」
「ラフィアさんと言います。彼女は三人のガキ共のトラブルから大勢の人を守ったりしました」
スーツの男はラフィアに近づいた。
「初めまして、私は治安部隊のスジャークと申します。この度はご協力有難うございます。遅れて来てしまったことはお詫びします」
「え……ええ……」
「それで、どうでしょう」
スジャークはラフィアの右手を両手で優しく握る。男に手を握られたのは二回目だ。
「今回の功績を称えて、貴女に勲章を渡したいのですが……」
「え……そんな……わたしはそんなつもりでやった訳じゃ……」
ラフィアは慌てた口調で言った。単に人を守りたくてやったので、勲章のことなど全く考えてなかった。
「ラフィア先輩から離れろ!」
威勢のいい声が飛んできた。ブルの鋭い視線がスジャークに向けられている。
ラフィアの手を握られたことが気に入らないのだ。
「ブル、よせよ!」
「流石にまずいって」
ユラとミスチもいけないと感じてか、ブルを止めに入る。
スジャークはラフィアから離れ、イタズラ三人組の元に歩いていった。
「分かってるかな、おまえ逹の行いのせいで、大勢の人が迷惑して、こうして治安部隊の人が来ているって事実を」
スジャークの口調はラフィアと話していた時とは対照的に冷たい。
「反省してないなら、それなりの対応をこっちもしないとな」
「やめて下さい!」
嫌な予感がしてラフィアはスジャークに叫ぶ。スジャークは後ろを振り向いた。
事態を重く見てリンとショコラも駆けつける。
「ブルくん逹のことは謝ります。だから手を上げないで下さい」
ラフィアは「ごめんなさい」と言い、スジャークに頭を下げる。
「スジャークさん、ユラが……僕の弟がご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「すみません」
リンとショコラも頭を下げた。
しばらくしてスジャークは「顔を上げて」と言った。
「きみ逹が謝ったことに免じて、あの三人には厳しい罰は与えないようにはするよ」
スジャークは「でも」と続ける。
「親御さんを呼んで厳重注意はさせてもらうからね。事が事だら」
無理もないと思った。ラフィアに想いを伝える目的で、プールにいる人達に迷惑を被ったのだ。
「ラフィアさん、勲章のことは考えておいてね」
ラフィアはスジャークに黙って頷く。
「久しぶりですだね。リン君」
「あ……はい」
「きみも弟君のことで大変だね。弟君のことはきっちり指導しておくから」
「お願いします」
リンはスジャークからユラに目線を移す。
「ユラ、反省しろよな」
リンは厳しい声で言った。
ラフィアはリンとスジャークに接点があったのは初めて知った。
次にスジャークはショコラの前に立つ。
「きみの名は?」
「ショコラです。ブルくん逹の友人です」
ショコラは軽く自己紹介をした。
「ショコラさん、きみはまともそうだから言っておくけど、友人は選んだ方が良いよ」
スジャークの忠告に、ショコラは返事をしなかった。騒動を起こしたとはいえ三人はショコラにとって友人なのだ。

「解析終わりました。黒天使の反応は無いです」
一人の天使の声に、スジャークはどこかほっとした顔つきになる。
「ゴクローさん、でも縮めて回収しておこう」
「残しておいたのって、調べるためだったんですか?」
「そうだよ、最近黒天使の道具を密輸する天使もいるからね。こういう召喚系も黒天使の道具に含まれてる可能性もあるんだよ」
ラフィアの問いに、スジャークは答えた。
黒天使はラフィアを含む天使が敵対する存在で、人を襲ったりしている。
「オレは間違っても、けがれた黒の物なんか買わないぞ」
ブルは静かな声で反論した。穢れた黒とは黒天使を侮辱する言葉だ。
「ブルくん、そういう呼び方はダメだよ」
ラフィアはブルを注意する。
黒天使は誉められることをしてないし、昨年のハロウィンの時もラフィアも黒天使に痛い思いをさせられたが、それでも良くないと感じた。
「駄目なのは私も同意だから、そういった所もちゃんと言っておくから」
スジャークが話している間に、ブルが出したケルベロスは呪文で小さくなった。
ラフィアの告白作戦の一役買ったのに、あっさりとした扱いに、ブルは悲しそうだった。
「きみ逹はそろそろ帰っていいよ、後のことは私たちの仕事だから……シソさん」
スジャークは気弱そうな男を呼ぶ。シソは早足で現れた。
「ラフィアさん逹を頼むよ」
「わ……分かりました」
スジャークが背中をラフィア逹に見せて歩き出した。大人である治安部隊の人たちにブル達を任せて帰った方が賢明だろう。シソに声を掛けられリンとショコラは彼についていった。
「スジャークさん!」
ラフィアはスジャークの背中に叫ぶ。
ラフィアの声に足を止めた。スジャークは振り向かなかった。
「三人に乱暴なこととか、体罰とかしないで下さい」
ラフィアは強い口調で言った。間違った方法だったが、ブルの想いに嘘はないと感じたのだ。
スジャークがさっき三人に手を上げそうになったので心配になったのだ。
「……私としても手荒な真似はしないつもりだよ」
スジャークはそう話すと、歩くのを再開した。ラフィアはスジャークの背中に一礼し、リン逹と合流した。

ラフィア逹はその後シソに帰りの挨拶をして、プールを去った。
勲章のことは、貰うために人助けをした訳ではないので、丁重に断った。

 


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