イロウは長い夢から、現実へと戻ってきた。目の前には妻であるオリビアが心配そうな顔でイロウを見つめている。
「……大丈夫?」
オリビアはイロウを気にかけた。イロウは上半身を起こした。
「俺はうなされてたのか?」
「とてもね」
オリビアの話は最もだった。さっきまで見ていた夢は天使であるハザック初めて戦った時だった。ハザックはイロウと同じ長剣を使い、他の天使とは違い、かなり強かった。
結果はハザックが勝ち、イロウが負けてしまったのだ。今でも時々見る昔の出来事だ。
夢のことは深く聞かずオリビアは紅茶をカップに入れ、イロウに差し出した。
いい香りが漂ってきた。
「はい、カモミールティー」
「ああ、有難う」
オリビアからカップを受けとり、イロウはカップの紅茶をすすった。
カモミールティーはオリビアの好物なのもあるが、ストレスを和らげる効果があるという。
嫌な夢から覚めたイロウにはぴったりである。オリビアもイロウの気持ちを察してカモミールティーを入れたのだ。
暑い日に、熱い紅茶を飲むと汗が出そうだが、発明家のガリアに暑さ対策の道具を作ってもらい、水色に丸い形をした物が、二人の真横から涼しい風が降り注いでいるので、暑さは和らぎ、汗もほとんど出ない。
この道具は夏を過ごすのに便利なものとして村で売られることになった。
「美味しいな、まだ残りはあるか」
「あるわ」
「なら、もう一杯だけ貰うか、エイミーの分も残しておきたいしな」
イロウは娘の名を口にした。今日は休みで三人でピクニックに来たのである。
娘のエイミーは蝶を捕まえるために、草原を走り回っている。
「エイミーはカモミールティーを飲まないのよ」
オリビアは苦笑いを浮かべた。
「そうなのか」
「味が苦手らしいの、だからエイミーにはジュースを用意してあるの」
「リュアレが作ったものだったな」
「そうよ」
リュアレは薬草作りに長けているミルトの孫娘で、ジュース作りが得意である。
人懐っこい性格から、エイミーもよくリュアレとは遊ぶ。
「エイミーがカモミールティーが飲めないのは意外だな」
「仕方ないわ、親は親で、子は子だから」
オリビアは言った。両親が平気でも子が平気だとは限らないのだ。こればかりは仕方がない。
二人が話している時だった。
「ママー! パパー! 蝶々さん沢山連れてきたよー!」
元気な声と共に蝶々の群れと一人の女の子がこちらに来るのが見えた。
「どうしたの、この蝶たち」
「洗脳呪文をかけて、私の言うことを聞くようにしたの!」
エイミーはオリビアに朗らかに答えた。蝶々の数はあまりにも多く、数えきれないほどいる。
エイミーは六歳だが、同年代の子供でもこれだけの生き物に洗脳呪文をかけることは難しい。よってエイミーの力は高いと言えるだろう。
「踊って!」
エイミーは蝶に命じた。蝶の群は空中で円を描くように動く。
「……凄いな」
イロウは呟く。エイミーの呪文は度々目にはしてたが、蝶の舞いには圧巻される。
数もそうだが、動きに無駄がなく、エイミーの命令には忠実である。
イロウはオリビアに念を飛ばした。テレパシーで会話をするためだ。
『また力が上がった気がするな』
『そうなの、エイミーは友達と呪文で競って遊んでるの』
「どう? 凄いでしょ」
エイミーは二人に訊ねてきた。イロウは凄いと言ったが、声が小さかったためエイミーには聞こえなかったのだ。
「す……凄いわね」
オリビアは困惑した顔つきだった。
「でしょ!」
エイミーは自信ありげに言った。エイミーは誉めてもらいたくて蝶に洗脳呪文をかけたのだろう。
「エイミーがこれだけの事が出来るのは、凄いと思う」
イロウは落ち着いた口ぶりで、エイミーに言った。
「けど、この蝶達はどうするんだ? 洗脳をかけたままだと可哀そうだろ」
「ちゃんと逃がすよ、パパやママに褒めてもらえたしね」
エイミーは両手を掲げて、解除の呪文を唱える。
蝶達は空中で散らばり、やがて姿が見えなくなった。
「これで良いでしょ」
「ああ……」
イロウは蝶の姿が無くなるのを見届けると、少し安心した。

空が赤く染まる頃、イロウは眠るエイミーを背負い帰り道を歩く。
呪文を使って疲れたのだ。
「子供は日に日に成長するものだな」
「そうね」
オリビアはエイミーの寝顔を見て、幸せそうな笑顔になった。
「エイミーが間違った道を歩まないように、俺と君が導いてあげないとな」
イロウは柔らかな声で言った。
力が高くなるのは良い反面、使い方を間違えると人を傷つけたり迷惑をかけることもある。
エイミーにはその事を教えないとならないと改めて感じた。
イロウは妻子と共に、緩やかかつ幸せな時間を過ごしたのだった……


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