冬休みが明けた日、職員室に星野さんが来た。
「輝宮先生、おはようございます」
星野さんは礼儀正しく挨拶をする。
「おはよう、星野さん、今日は早いのね」
私は返した。
星野さんが朝早く来るのは珍しい。
風紀委員の雑用でもだ。
「実はお話したいことがありますので……」
星野さんは上着のポケットから写真を出して、私に見せた。
「整理している時に見つけたんです。私が幼稚園に通っていた時の写真です」
星野さんは一人の女性の顔に指を差す。
「この人輝宮先生に似てると思うんです」
星野さんの声からして緊張していることが分かる。
私は写真をしっかり見た。そこには私の母親と名乗る女性が笑っている。
見間違えるはずがない。私がまだあの人と一緒に暮らしていた時期だ。
あの人は幼稚園の先生をしており表面上は評判がいいが、私にとっては最低の母親だ。
家庭では私に暴力をふるっていたからだ。
私が険しい表情を浮かべていることが星野さんにも伝わったらしく、星野さんは困惑した様子だった。
いけない。生徒を不安にさせるのは良くない。
「……ごめんなさい星野さん一人にしてくれる? できれば校門の掃除をお願いしたいんだけど」
私は落ち着いて言った。
あの人を見たため、心に負の感情が沸き上がる。
短くてもいいから一人になりたかった。
星野さんはポケットに写真をしまった。
「分かりました。朝早くから失礼しました」
星野さんは頭を下げて、職員室を出る。
私は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。あの人のことを頭の中から振り払わないと集中できない。
 私生活を仕事に引きずるのは社会人失格だ。
朝の雑用を終えると、碓氷(うすい)先生に勧められたミニパズルをカバンから取り出して、組み立て始めた。

それから数日間はあの人のことが頭から離れなかった。
どんなに払おうとしても、まるで影のように私につきまとった。
周りの目も、私の変化に対する心配の眼差しが注がれ、このままではいけないと思い、私は星野さんを呼び出すことにした。
星野さんの性格からして気にしていると思ったからだ。
想像通り、屋上に来た星野さんは不安げな様子だった。
「呼び出してごめんなさい」
「どうしたんですか?」
星野さんは首を傾げる。
「写真の件で話がしたかったの」
私は言った。
思い出したらしく、星野さんは「ああ」と声をもらす。
「星野さんのことだから気にしてると思ったの、あの写真を見て先生は驚いたわ」
私は落ち着きなく視線を泳がせる。
星野さんがあの人と接点があったのは動揺してしまった。
「……輝宮先生と関係あるんですか?」
星野さんが訊ねる。
私は黙って頷く。
「写真に写っていた女性は林原って苗字じゃない?」
「どうして知ってるんですか」
星野さんは驚いていた。私の母親の名は林原雪絵、決して忘れはしない。
私の名前も林原まりあだった。
言いたくないが、言わなければ星野さんを呼び出した意味がない。
星野さんは心配そうな様子で私を見ている。
「林原さんは先生の母親なの」
動揺する気持ちを抑えて、私は言葉を口にする。
母親なんて言うだけで、胸が痛む。
「母……親?」
「そうよ」
「何で苗字が違うんですか?」
星野さんは疑問を口にした。
普通なら林原の苗字のはずだからだ。
これも理由があるのだが、簡潔に言った方がいい。
「大人の事情よ、先生は母親と離れて施設で暮らすことになったの、大人になった今でも会えないわ
星野さんが見せてくれた写真は先生がまだ母親と暮らしていた頃に撮られたものね」
「そうだったん……ですか」
星野さんは沈痛な面持ちだった。
彼女は家庭の事情で今の家にいる。私と星野さんは大人の都合で生まれた家から引き離されたのは共通している。
私の場合はあの人からの虐待だったが。
「林原さんはどんな人だった?」
私はあの人のことを聞きたくなった。
評判だけでなく、あの人の世話になった星野さんからも引き出したいと思ったからだ。
「とても……素敵な先生でした。優しくて一緒にいて落ち着く人です」
「教えてくれて有難う、星野さんのお陰で先生のお母さんのことが分かったわ」
星野さんの優しい声からして、私には決して見せなかったあの人の顔が垣間見れた。

星野さんに注いだ優しさを何故私に向けなかったのか、強い憤りを抱いた。

過ぎたことだからもう取り戻せないが……

不安げだった星野さんの表情はすっきりしていたので私の中にある憤りは少しは緩和した。
「今話した事は誰にも言わないで欲しいの、先生のプライバシーに関わるから」
「分かりました」
星野さんは表情を崩さないまま言った。
未成年の星野さんに大人の都合を押し付けて申し訳ないと我ながら思う。
時間が気になり私は時計を見ると十六時三十分を回っていた。
遅い時間に帰らせるのは危険だ。
「そろそろ時間だわ、遅くまで残らせてごめんなさいね」
「全然平気です。写真のことが分かって良かったです」
星野さんは笑った。
「今日はこれで失礼します。また明日会いましょう」
「帰り道気をつけてね」
「はい」
星野さんは一礼して屋上から去っていった。

寮に帰宅し、私はグラスにワインを注ぐ。
普段はあまり飲まないが、趣味でも気分が紛らわせない時はやむ無く飲む。
「美味しい」
一口飲んで私は呟く。
酔いが回り、頭がくらくらする。
「どうして……ぶったりしたのよ……」
机に顔を当てて私は言った。
あの人は今でも生きていて、寝たきりとなっている。
娘を虐げた罰が下ったとしか思えないし、あの人の面倒は見たくない。
目から涙が出て、私は袖で拭った。
「もっと優しくて欲しかった……」
施設に保護されて、あの人から受けられなかった愛情を理解できた。
私にとっての親はあの人ではなく施設の人だ。
そう割りきるしかない。あの人とは他人同然なのだから。
グラスを空にし、私は身支度を整えて、ベッドに潜り込む。
話をつけたことだし写真の件を引きずるのは今日で終わりにしよう。
自分にそう言い聞かせ私は目を閉じた。
アルコールのお陰か、私はすぐに眠りについたのだった……

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