寒い空気が漂う中、明美は自分の部屋を片付けていた。
窓を拭き、掃除機をかけ、机やタンスにある物を整理していた。
「ふう……」
明美は不要な物をゴミ袋に入れ、一息つく。
掃除の甲斐もあり、部屋の中は綺麗になった。年越しをするには相応しいだろう。
明美は整頓したタンスを見て、やり残しが無いか確認していると、古ぼけたアルバムから写真がはみ出ていた。
「やだ……私ったら」
整理し忘れたのだと思い、明美はアルバムを出して、開いた。
黄色い帽子を被った自分と翔太が写っている写真……それは幼稚園児の頃の写真だった。
はみ出していた写真は集合写真で、明美は昔を思い出した。
「こんな時期もあったな……」
明美は呟く。
小さな自分は笑っており、翔太はぎこちないながらも笑っていた。
幼稚園児の頃の翔太はおどおどした性格が災いし、体格がいい男の子にいじめられており、翔太を助け、泣いていた彼をなぐさめていた。
現在の明るくて元気な翔太が成長していると感じた。
翔太を除く仲のよかった園児とは連絡をとってはいないが、どうしているのかなと思った。
明美は園児だけでなく、先生の顔も見た。
「元気かな……」
明美は一人一人の先生の顔を眺める。
今は会っていないが、世話になった記憶がある。
また会えるなら会いたいくらいだ。
明美はふと一人の人物に目がとまる。深い青色の肩までの長さの髪に、穏やかに微笑む女性だ。
「林原先生だ。懐かしいな」
林原雪絵は明美がいたさくら組の担任をしていた。
しかし単に林原が担任だっただけでなく、顔立ちが明美が知る人物と良く似ている所が引っ掛かった。
「輝宮先生?」
明美の脳内に、輝宮(かがみや)の顔が浮かぶ。
風紀委員の顧問で、真面目な先生だ。
輝宮と写真に映る林原は髪色が違うことを除けば顔立ちがそっくりである。
「優に聞いてみよう」
意を決し、明美は写真を持ち、自室を出た。
優も輝宮のことを知っているので、聞くのにうってつけだと思った。
優の部屋に来るなり、明美は面食らった。
肩ほどの長さの黒髪に、水色の制服を着て、作り物の槍を持った少女が明美の前に立っていたからだ。
「いいえ先輩、私たちの聖戦(ケンカ)です!」
少女は言った。
何の台詞だろうか、明美は困惑した。
「……聞いて良いかしら?」
呆れながらも明美は訊ねた。
「私のこの格好は最近やっているアニメのキャラです!」
少女ははきはきと答える。
このままでは会話が成り立たない気がした。
「優……ちゃんとした話なんだけど」
明美は真剣に言った。
少女は明美を見つめると、槍を下ろし、カツラをとった。
「そういうのは早く言ってよ~」
優は呆れていた。
「あなたがちゃんと話を聞かないからでしょ?」
「ちょっと後ろ向いてて、着替えるから」
「はいはい」
明美は少女……もとい優から視線をそらした。
「待たせたね~どうだった? 今のコスプレ」
男性服に着替え直した優が訊ねる。
「可愛かったわよ」
明美は言った。
優の部屋はコスプレ着が散乱し、掃除されていないのが明白である。
優は年末に行われる大きなイベントでコスプレをするとはりきっているのだ。
今見せたコスプレもイベントで着るものだろう。
「それで、話って何かな~?」
「これよ」
優に聞かれ、明美は写真を出して林原に指をさした。
優は写真をしばらくジッと眺める。
「青鬼にそっくりだね~」
優は考えるポーズをとった。
青鬼とは輝宮のことだ。
「優、その呼び方はやめなさい」
明美は注意する。
先生をおかしな呼び名で言うのは良くない。
「この写真どうしたの?」
「私の部屋にあったの、やっぱり輝宮先生に似てるわよね?」
「そうだね、もしかしたら青鬼の身内だったりしてね~」
「優!」
明美は厳しく言った。
優の意見は一理ある。林原と輝宮は何か関係があるのかもしれない。
「本人に聞いてみたら、案外面白いことが分かるかもよ~?」
「そうね有り難う、邪魔してごめんね」
写真を手に持ち、明美が背を向けた矢先だった。
肩を掴まれた。
明美は動くのをやめる。
「貴重な時間を割いたんだから責任とってよ~」
優の声からして嫌な予感しかしない。
「だから悪かったって言ってるでしょ?」
明美は背を向けたまま謝った。
優の顔を直視してはいけないと判断したためだ。
「謝るだけじゃなくて、行動で示してよ、この服着てさ~」
明美の前にはヒラヒラのゴスロリ服が現れた。
「嫌よ」
「だったらこれは?」
ゴスロリ服は視界から消え、今度は妖精のコスプレ着が出てきた。
「着ないって言ってるでしょ?」
我慢できず明美は振り向いて、怒ったように言った。
その後優を説得するのに二十九分の時間を要した。
冬休みが明け、明美は輝宮のいる職員室に来た。
「輝宮先生、おはようございます」
「おはよう、星野さん、今日は早いのね」
輝宮がそう言うのも無理はない。
何故なら輝宮以外に先生がいない時間に明美がくることはない。
輝宮が他の先生よりも早く来るのを明美は知っていたので、二人きりで話すにはうってつけだ。
「実はお話したいことがありますので……」
明美は上着のポケットから写真を出して、輝宮に見せた。
「整理している時に見つけたんです。私が幼稚園に通っていた時の写真です」
明美は林原の顔に指を差す。
「この人輝宮先生に似てると思うんです」
緊張しながら明美は口走った。
写真のことを両親に話した所、二人はあまりいい顔をしなかった。
理由としては似てるだけでもし輝宮と関係なかったら失礼だからだという。
意見は最もだ。世界には自分にそっくりな人間が存在し、林原はたまたま輝宮に似ているだけで他人同士なのかもしれない。
間違えていたら謝罪するつもりだ。
輝宮は写真をジッと見つめていたが、やがて顔つきが変わった。
輝宮の表情の変化に明美は戸惑った。
「……ごめんなさい星野さん一人にしてくれる? できれば校門の掃除をお願いしたいんだけど」
明美の様子を察し、輝宮は言った。
明美はポケットに写真をしまった。
「分かりました。朝早くから失礼しました」
明美は深々と頭を下げて、職員室を出た。
輝宮の様子からして何か深い理由があると、明美は廊下を歩きながら思った。
この日の輝宮はどこか暗い感じだった。
それから数日後、明美は輝宮に呼び出され、屋上に来ていた。
生徒指導室だと緊張させるため、違う場所を指定する部分は生徒思いの輝宮らしい。
「呼び出してごめんなさい」
「どうしたんですか?」
明美は輝宮の顔を見つめた。
輝宮の表情は陰りがある。
「写真の件で話がしたかったの」
写真と聞いて、数日前に見せた幼稚園の写真のことを思い出した。
「星野さんのことだから気にしてると思ったの、あの写真を見て先生は驚いたわ」
輝宮は言った。
ここ数日の輝宮は張り詰めた雰囲気で話しかけにくかった。
更には、体育教師の王が仕事をさぼり追いかけ回している時も、動きにキレがなく、誰から見ても輝宮の様子がおかしいのは明白だった。
「……輝宮先生と関係あるんですか?」
明美が訊ねる。
輝宮は黙って頷いた。
「写真に写っていた女性は林原って苗字じゃない?」
「どうして知ってるんですか」
明美は驚いた。
写真を見せた際、輝宮に名前を言っていない。
「林原さんは先生の母親なの」
衝撃の事実に明美の全身は硬直した。
「母……親?」
明美はやっとのことで声を出す。
輝宮は「そうよ」と言う。
顔が輝宮と似ているのも血縁関係があるのなら納得がいく。
「何で苗字が違うんですか?」
明美の中で疑問が浮かぶ。
普通なら林原の名を名乗っているはずだからだ。
すると輝宮は答えた。
「大人の事情よ、先生は母親と離れて施設で暮らすことになったの、大人になった今でも会えないわ
星野さんが見せてくれた写真は先生がまだ母親と暮らしていた頃に撮られたものね」
輝宮の声は悲しい色になっていた。
「そうだったん……ですか」
明美は複雑な気持ちになった。
明美も肉親の事情で今の両親に引き取られたので輝宮の胸中が理解できる気がした。
「林原さんはどんな人だった?」
輝宮は問いかけてきた。
自分の母親のことを知りたいという思いが伝わってきた。
林原は思いやりがあり、時には厳しく叱ることがあったが、明美の成長を喜んでくれる人だった。
もう一人の母親と言ってもいい。
「とても……素敵な先生でした。優しくて一緒にいて落ち着く人です」
明美は林原のことを思い返しながら語った。
「教えてくれて有難う、星野さんのお陰で先生のお母さんのことが分かったわ」
輝宮は少しだけ笑う。
輝宮が話してくれたお陰でモヤモヤが晴れた。言ってくれなかったらすっきりしなかっただろう。
「今話した事は誰にも言わないで欲しいの、先生のプライバシーに関わるから」
「分かりました」
明美は率直に言った。
教師の家族の事を人に言いふらすなど明美は決してしない。事情が事情なので尚更である。
「そろそろ時間だわ、遅くまで残らせてごめんなさいね」
輝宮は腕時計を見て口走る。
空は茜から黒色に染まり始めており、輝宮が言うのだから下校時刻だろう。
「全然平気です。写真のことが分かって良かったです」
明美は穏やかに言った。
「今日はこれで失礼します。また明日会いましょう」
「帰り道気をつけてね」
「はい」
輝宮を背にして明美は屋上から去った。
明美は思った。いつか輝宮が両親と会える日がくることを。