「けほ、けほ」
私は教室の席について咳き込んでいた。土曜の夜に風邪をひいてしまい、まだ完治していない。
りかこを待っている間、ずっと寒い場所で立っていたことが原因。
母からは「今日は休んだら?」と心配されたが、りかこに言いたいことがあったため、無理して学校に来た。
土曜日から日曜にかけて、りかこから連絡が一切取れないばかりか、母の言う分では、折原家は二日間ほど留守だったらしい。
なぜ映画の約束を破棄したのか、二日間も家を空けなければならなかったのか理由を知りたかった。
しばらくすると教室にりかこが現れ、慌てた様子で私の席に来るなり、りかこは頭を下げて謝罪した。
「めぐ、土曜は約束を破ってごめんなさい、急に用事が入って家族全員で出かけなきゃならなかったの」
「用事って何?」
私はりかこから視線をそらし、軽く咳き込んで、再びりかこを見た。
りかこは少しだけ頭を上げ、土曜日行けなかった理由を話した。
「金曜の夜に、あたしのおじいちゃんが倒れちゃって、病院にいかなきゃらならなかったの
幸い大事には至らなかったけど、一度発作が起こると命に関わる病気だから、心配になって土・日にかけておじいちゃんの看病をしたんだ。
本当に急だったから、携帯も忘れちゃって連絡も取れなかったんだ。本当にごめんね」
りかこは小さい頃からおじいちゃん子だった。おじいちゃんから貰った髪飾りを今でも大切に持っている。何かあったら私よりもそっちの方に行ってしまう。
「二日間留守にしていたのも、家族全員でおじいちゃんの面倒を見るためだったの?」
私が訊ねるとりかこは黙って頷いた。
流石は折原家、家族全員で祖父の面倒を見るとは、何とも人情には厚い。
私がりかこの家に遊びに行った際は、高級なお菓子やお茶を差し出してくれたり、小学五年生の頃に骨折した時は、骨に良いとされている食品を持ってきてくれた。
折原家は人が良い反面、お節介ともいえる。
おじいちゃんが倒れたとなると、両親とりかこは二日間はほとんど外出せずに病室で過ごしたため、私との連絡を取れなかったのだろう。
あくまで想像でしがないが、りかこの行動パターンを見る限り、そう考える方が自然。
分かっていた。りかこが友達だけでなく、家族も大切にしていることぐらい。
でも。
でもね。辛いよ。
約束を忘れ去られたことが。
「……しょうがないよね、りかこはおじいちゃん子だもの、もしも死んじゃったら悲しいものね」
私は声を震わせながら話した。家族を大事にしたいのは私も同じだけど。友達との思い出を創造する機会を失った怒りの方が強かった。
もう二度と先週の土曜日は戻って来ない。
例え戻せたとしても、りかこのおじいちゃんが倒れる事実を変えることは不可能。
もしかしたら神様は、りかことの別れを辛くするためにこんな展開を用意していたのかもしれない。
りかこが約束を破るという、苦い思い出を残すために。
「私よりも、おじいちゃんの所に行きなよ」
「めぐ……」
りかこは悲しそうな顔をした。しかし私は止まらない。
私は席を立ち上がり、大声で叫んだ。
「私、ずっと待っていたんだよ! りかこが来るって信じていたのに! どうして約束破るの!?」
私の声に何人かのクラスメイトがこちらに目線を注ぐ。まるで異質な物でも見るかのように冷ややかである。
興奮した私を落ち着かせるように、りかこは口を挟んだ。
「土曜の埋め合わせに、今日の夕方また上映されるから見に行こうよ」
「チケットは鼻をかんだ時に使っちゃったよ」
私はわざと嘘をついた。これくらいしないと気が済まない。
「どうしてそんな事するの!?」
りかこは両手を握り締めて怒りを露にする。自分が手に入れたチケットを粗末に扱われたことに腹を立てた様子。
「約束破った人となんか映画に行きたくないんだもの」
「ひどい……ひどいよ……」
声を震わせ、りかこは下を向く。
「ひどいのはりかこの方でしょ? 新しい家に行っても私なんかよりも家族を大事にしなよ、りかこなんか大嫌いだよ」
胸が罪悪感で痛む中、私はりかこに背を向けて教室を出た。
私の両目からは涙が溢れて地面に落ちた。四角い窓、長い廊下などの周辺の景色がぼやけて見えた。
最低だよ、私。
馬鹿だよ、私。
行けなかった理由はちゃんと分かっているのに・・・・・・どうしてひどい事を言ったんだろう。さっきのりかこの顔、泣きそうだった。
泣きたいのは私じゃなくて、りかこなのかもしれない。
本当は映画に行きたくて仕方無かったのに、急に大切な人が倒れた影響で行けなくなった。どれだけ歯痒くて辛かったんだろう。
授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響く中、遅い足取りで私は保健室に向った。深い海のように沈んだ気分のままでは、謝る気にもなれなかったから。
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