風紀委員と彼との一時 作者:ねる

夏祭りが終わった夜、明美は男子寮へと足を向けていた。
『黒崎優』
ネームプレートにはそう書かれている。
明美は三度ほど扉を叩く。
「入るわよ」
明美は中の住人に話しかけた。
ドアノブに手をかけ、扉を開いた。
明美が入ってくるなり、部屋の住人は毛布の中から顔を出す。
「何だ……姉さんか……」
住人……もとい優は消え入りそうな声で言った。
彼の顔は赤く、明らかに風邪を引いているのが目に見えて分かる。
「具合はどう?」
明美は訊ねる。
優は夏風邪を引いてしまい、夏祭りの間は休んだのである。
「僕も行きたかったな……夏祭り……」
優は恨めしそうに言う。
夏祭りには女装をして参加するとはりきっていたのだが、運が悪いとしか言いようが無い。
「来年出れば良いじゃない、今は風邪を治さないと」
明美は優をなだめつつ、持参したお弁当を広げる。
『あにこすっ♪』で陽向が売っていたものである。
夏祭りに参加出来なかった優に、雰囲気を味わってもらいたいと考えて購入したのだ。
「食べれそう?」
「何とかね……」
優は体を起こした。
「まさかだと思うけど……姉さんが作ったものじゃないよね?」
「陽向さんよ、とっても美味しいわ」
「なら……心配要らないね」
優は明美から弁当を受け取り、おかずを口に運ぶ。
「美味しいね」
口の中を空っぽにし、優は満足げな笑みを見せた。
よほど美味しかったらしく、次々におかずを食べていった。
ぎっしり詰まっていた弁当箱は、あっという間に空っぽになった。
「はぁ……食べた食べた……」
優はお腹をさすった。
「それだけ食欲あるなら、明日には風邪が治りそうね」
明美は弁当箱を片付ける。
二日前まではお粥を食べることさえままならなかったが、弁当を完食した所を見て明美は安心した。
「早く治して夏祭りで出来なかった女装をしたいよ」
「それは駄目よ」
明美は厳しく言った。
優がしたがっている格好は猫耳のメイドで、本当に実行したら大変なことになる。
「今から楽しみだなー」
「もう……」
明美は頭を抱えて呆れた。
優は明美の話に聞く耳を持たないからだ。
姉として優の趣味にはついていけない。
「お弁当有難うって、御影さんに伝えてね」
優は布団の中に再び潜り込む。
「分かったわ、でも女装だけはやめてね」
ため息交じりに明美は言った。
伝わらないかもしれないが、それでも言いたかった。
帰り支度を整え、明美は立ち上がる。
「じゃあ、また明日の朝来るね……おやすみなさい」
「姉さんの不味い食事だけは勘弁ね」
「持ってこないから心配しないで」
むっとする優の言い方にも、明美は動じずに返す。
明美は料理下手なので、作るつもりなど更々無く、食堂の人に頼むつもりだった。
もし明美がお粥などを作って優に出したのならば、一週間は寝込むことになる。
それほど明美の料理音痴は深刻だ。
「何かあったら連絡してね、駆けつけるから」
明美は優に声を掛け、寮から立ち去った。

一人残された優は携帯に電話をかけていた。
「もしもし虚首さん、今は大丈夫?」
優は電話の主に優しく語り掛ける。
『アンタから電話してくるなんて珍しいわね』
電話の主……もとい楼蘭は返す。
「報酬は払うから花火のDVDをくれないかな、僕風邪を引いちゃってさ」
優は丁寧に頼んだ。
楼蘭は屋上に暮らしており、花火も彼女が仕掛けたカメラで撮っているのだ。
去年、優は屋上で花火を見たが、一生忘れられないほど綺麗だった。
『構わないわ、特等席から撮った花火は綺麗だから、アンタも満足すると思うわ』
想像通りの返事に、優の心は躍る。
「有難う、君からDVDを受け取るのを楽しみにしているよ」
優は「おやすみなさい」と声を掛け、携帯をベッドの近くに置いた。

優は瞼を閉じて、眠りについた。
風邪を治して元気になりたいという思いを胸に……


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