風紀委員は少年と過ごす 作者:ねる

明美は慧に連れられ、喫茶店にいた。
そこは明美が一度は来てみたいと思っていた場所である。
メニューを決めようにも慧に「オレが決めておいたから大人しく待ってろ」といわれた。
「どうして勝手に決めるの?」
明美は不満を口にする。
予定を押し付けただけならまだしも、自分が食べたいものも押し付けられる。
流石に我慢できなかった。
「テメエが絶対喜ぶからよ、心配すんなって」
「何それ……」
明美は紅茶を口にして、気持ちを落ち着かせた。
だが慧の言葉が、本当だということを、店員が持ってきた品を見て理解する。
なぜなら、焼きたてのアップルパイが明美の前に現れたからだ。
アップルパイは明美の大好物で、感激のあまり笑顔になった。
「美味しそう」
慧に対する不満が吹き飛び、明美はアップルパイを食べ始めた。
口の中に甘酸っぱい味が広がり、噛み締めるたびに幸せだということを実感する。
明美は幼い頃に母に作ってもらったアップルパイがきっかけで好きになったのだ。
喫茶店に行く時は必ずアップルパイを注文するほどである。
「どうだ?」
「最高だわ」
慧の問いかけに、明美は嬉しそうに答えた。
「……何で私の好きな食べ物が分かったの」
口の中を空っぽにして、明美は訊ねた。
「好物は龍前で、アップルパイが一番上手い店がどこかは木野に聞いた」
言流は情報通なので明美が好きなもを知ってるだろう。
一方、木野幸太は明美より一つ上の学年だが、自分より一つ年下である。
話では、ケーキ屋巡りが趣味で、美味しいケーキのある店なら幸太に聞くといいと言われるほど通だという。
もう一つ知りたいことがあった。
「今日はどうして店に連れてきてくれたの?」
「それはだな……」
慧は上に目線を向け、考えていた。
急な質問に、どう答えていいのか分からない様子。
「テメエには泊めてもらった恩があるからな、それを返してるんだ」
慧はソファーにもたれかかり、足を組んだ。
「そんなのどっちでも良いのに、私は当たり前のことをしただけよ」
「これはオレのポリシーの問題だ。気にすんな」
明美は薄っすらと笑う。
危険人物だという認識しか無かった慧にも、良い所があるのだと思っふた。
慧の意外な一面を見られたことが、明美にとって大きな発見になった。

「ご馳走様でした」
アップルパイを全て平らげ、明美は口を拭いた。
「今日は有難う、アップルパイ美味しかったわ」
明美は慧に礼の言葉を述べる。
「満足か」
「うん」
明美は嬉しそうに頷く。
アップルパイは最高だったからだ。
「テメエが満足なら、それで良い」
慧は言った。
いつもの彼からは想像できない気遣いが伝わってきて、ほんの少しだが、彼のイメージが変った気がした。
明美はふと時計を見ると、午後六時三十分を回っていた。
……寮母さんに連絡しなきゃ
明美が住んでいる寮には門限は無いが、遅くなることを伝えないと心配する。
「ちょっと寮母さんに連絡してきたいんだけど、いいかしら」
「ああ、行って来いよ」
慧は軽く手を上げる。
明美は席を立ち、一度喫茶店から出た。

 

「……ということで、宜しくお願いします」
明美は用件を伝えると、電話を切った。
寮母からは優しく「気をつけてね」と言われた。
実家にいた頃も、明美が遅くなる旨を伝えると一声かけてきた。無事に帰ってきて欲しいという願いなのだろう。
明美は携帯をポケットにしまい、喫茶店に戻ろうとした、その矢先だった。
「よう」
後ろから声を掛けられ、明美が振り向いた瞬間、鋭い痛みが首筋に走った。
考える暇も無く、明美の意識は暗闇に落ちていった。

明美が最後に見たのは、知らない男だった。



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