「うわぁ! やめてくれ!」
男は悲痛な叫び声を上げ、後ずさりする。
「安心しろよ、殺しはしねぇからさ」
血が付着した剣を引きずったまま、アディスは男に冷たく言い放つ。
瞳には何も映し出しておらず、表情はとても硬い。
アディスの後ろには、二人の男が地面で呻き声を発していた。
一人は右腕と足を、もう一人は顔を切られ、両者とも襲い来る激痛に耐えていた。
男は足を滑らせ、地面に尻餅をついた。
「どうして……こんな事を……」
男の問いかけに、アディスは剣を高く掲げた。
「自分の胸に聞いてみな、ゲス野郎」
アディスの剣が振り下ろされ、男の肩からはおびただしい血が飛び、男は悲鳴を上げて、地面にうずくまった。

三人の男を痛めつけた事に満足し、アディスはその場を去った。
彼の真上では、蜂蜜色の三日月が静かに輝いていた。

広々とした訓練所に、乾いた声だけが響く。
スピカはチェリクの体術の訓練をしていた。
今は深夜のため、人は寝静まっている。そのため二人は心置きなく身体を動かす事ができるのだ。
「はっ! たあっ!」
チェリクは回し蹴りを繰り出し、スピカは武器であるトンファーで攻撃を防ぐ。
威力が強くないせいか、衝撃を感じなかった。
続いて、正面に三回ほど打撃を仕掛け、トンファーを二本とも前に出し、彼のパンチが当たるのを回避した。
「敵に勘付かれない動きを、いい加減会得しなさい」
 スピカは短く言うと、素早く動いて肉薄し、チェリクが気づいた時には真後ろに回りこみ、チェリクの首筋にトンファーを突きつけていた。
「僕の負けです」
両手を軽く上げ、チェリクは諦めたように言った。
延々とスピカに攻撃を仕掛けても、決して当たらなかったのだ。
お互いの全身は汗びっしょりで、訓練がどれ程過酷だったかを伺える。
二人は壁際まで移動し、チェリクは地面に倒れこみ、スピカは壁に座り込んで訓練の反省会を始めた。
「動作は大分よくなったわ、後は敵に動きを読まれないようにするだけね、もう少し攻撃のバリエーションを増やした方がいいわ」
スピカは疲れきっているチェリクの顔を覗き込んだ。チェリクは体術が苦手なため克服させる意味で、定期的に訓練を行っている。
力こそ弱いが、身のこなしは入隊してきた頃に比べて、かなり改善された。
「僕は体術より魔法ですよ、向いていない気がします」
チェリクは表情を曇らせた。
「そんな事言わないで、体術は自分を高めるために必要なの」
スピカはチェリクを宥めた。訓練をするもう一つの理由は、彼の経験値を増やし言うことを聞かない精霊に彼を認めさせること。
チェリクは召喚士で、様々な精霊を召喚することが出来る。残る一体が彼に反抗的な態度を見せるのだ。
魔力だけでなく、チェリク自身も成長しなければならない。
「ラハブは僕を認めてくれるでしょうか?」
「弱気になっちゃ駄目よ、相手には常に堂々としていなきゃ」
「……気になるので、呼んでみますね」
チェリクは召喚のために使用する金の鍵をポケットから出した。これが無ければ精霊を呼べないのである。
チェリクは立ち上がると、深呼吸をした。
スピカは自分の事のように胸が高鳴った。前回召喚した時のラハブはチェリクを見下した上に、乱暴な言葉遣いをするなど、態度が最悪だったからだ。
しばらくの間ラハブを呼んでいないが、今度こそチェリクを認めてくれるだろうか。
悪態をつくなら、二度と顔など見たくない。
「我が名はチェリク、契約者の名において汝の姿を現すことを命ず」
チェリクが呪文を唱えると、赤い魔法陣が下に現れ、砂煙が舞う。
チェリクの前に眩い光が集まり、体格の良い男の輪郭がおぼろげだが、出来上がっていった。
冷や汗が背中に流れ、スピカは生唾を飲んだ。
「出でよ―――」
緊迫した空気が流れるその時だった。訓練所に、聞き覚えのある男の声が飛び込んできた。
灰色の髪の青年・ジストである。
どうしてこういう時に来るのだろう。スピカは本気で思った。
召喚の際に注意しないといけないのは、しっかりと集中すること。そうしないと失敗するのだ。
「やっぱここにいたのか!」
ジストは慌てた様子でスピカの元に駆けつけてきた。こうして自分の元に来るのだから何か緊急の用事なのだろうが、今はそれ所ではない。
スピカの不安は、恐れていた形で的中する。
魔法陣から強烈な閃光が溢れ、その直後、大きな爆発音が訓練所に鳴り響く。
チェリクは魔法陣があった場所に横たわっていた。
召喚に失敗すると、チェリクがダメージを受ける。

スピカがジストの話を聞くのは、チェリクを回復させてからという事になった。
この時点で、スピカは知らなかった。
彼女にとって残酷な運命が待っていることを。


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