チェリクは先輩であるアメリアの後ろ姿を必死で追う。
 当人は足早に歩き、チェリクのことなど見向きもしない。
 『アメリアさん……』
 チェリクは沈痛の表情を浮かべた。
 アメリアは問題行動を起こし、除隊処分が決定し、寮から出て行かなければならない。
 問題を起こしてもチェリクにとっては、アメリアが先輩であり、任務の厳しさを教えてくれた人物だった。
 突然の別れに納得できず、チェリクはアメリアの背中を追いかける。
 外に出る門まで来ると、アメリアは背を向けたまま話した。
 『スピカのことを頼んだわよ、ああ見えても結構脆い所があるの』
 アメリアは門を開き、振り返ることなく去っていった。
 
 アメリアさん、僕は僕なりに支えます。
 貴方が見ても恥じないように。
 
 緊張感が漂う中、スピカは重々しく口を開いた。
 「……あなたに聞くわ、日記の内容は全て事実なのね?」
 スピカは手を強く握り締め、己を必死に抑える。ここで飛び出していっても立場が悪くなるだけ。
 アディスはわざとらしく手を額に当て、馬鹿にするように笑う。
 「ああ、本当だよ」
 あっさりと認め、スピカの胸は酷く痛んだ。苦痛の分だけアディスの事を信じていたという証しだ。
 更に疑問が沸き、スピカは問いかけた。
 「あなたのお兄さんから聞いたわ、職場でトランプ賭博をして、自分が負けて悔しかったから、三人の人間を傷付けたって、あなたが留置所で言ったのは、全部嘘だったってことになるわよね、どうして嘘をついたの?」
 スピカはアディスを睨んだ。アディスは相変わらず乾いた顔をしていた。ずっと彼の顔を見てきたが、初めて見る表情である。
 「面白くするためだよ、オレの言葉がどれだけ人に影響を及ぼし、傷付けられるのか試したかったんだ。全部アーク様の命令でやっただけのことだよ」
 アディスは余裕の笑みを浮かべ、腕を組む。
 「あなたとの出会いも全て仕組まれていたことなの?」
 「そうさ、ハンスと戦い合わせたのも、オレが全部考えたことだ」
 あの苦い記憶も、全て目の前にいる男の策略だったのか。
 「案の定、あんたはオレの想像以上にダメージを受けているようだけどな」
 スピカは言葉を失った。体が震えて口を閉じた。何故こんな男を友達と呼んでいたのだろう、悲しくて胸が張り裂けそうだった。
 ずっと付き合ってきたのも、単なる上辺でで、本当の姿までは見抜けなかった。
 今までの関係も、心の傷を作るための作戦ならば、与えた痛手を彼に分からせてやりたい。
 その時だった。アディスが胸を抑えて、身を屈める。
 彼の異変に、スピカは困惑した。
 「貴方を同じ人間として恥ずかしく思いますよ、貴方は人として最低です」
 スピカはチェリクを見ると、チェリクは手にパチンコを持っていた。彼がスピカに代わってアディスに制裁を与えたのである。
 アディスがスピカを傷付けているのを察したのだ。
 「立ってください、スピカさんが味わった苦しみはそんな物では無いですよ」
 チェリクは怒っていた。エクの話を聞いていた時からずっとアディスを軽蔑していたが、彼を攻撃する形で、より一層感じさせられた。
 アディスは顔を上げた。その表情はとても険しい。
 「昔のよしみで楽な方法で始末してやろうと思ってたけどよ、そいつに免じてじわじわと苦しめてからにしてやるよ」
 アディスは乱暴に言い、地面に唾を吐き、何とも無いように立ち上がる。
 彼の言葉が合図となり、戦いの火蓋が落とされた。
 動かなかった人影が、無駄な動きを見せずにスピカとチェリクに襲い掛かってきた、スピカはトンファーで二人のみぞおちを突いて倒し、前後左右から来る兵士は回し蹴りで部屋の隅に吹っ飛ばす。
 「スピカさん、上っ!」
 チェリクの叫びを聞き、スピカはその場から回避すると、上から兵士が落下してきた。スピカがいた場所は、大きな音を立てて地面が真っ二つになる。
 チェリクはパチンコを兵士の頭部に当てた。小さな爆発音がして、兵士は地面に転がり、苦しげに咳き込む。
 チェリクが所持しているパチンコ玉には、敵を異常状態に陥れる玉も含まれている。彼が今撃った玉もその一つ。
 「有難う、お陰で助かったわ」
 スピカはチェリに礼を言った。その間にも、兵士が窓から侵入してきた。アディスは腕を組んで静かに見守る。
 次々と敵が増え、これではキリがない。
 敵兵をさっさと蹴散らし、司令塔であるアディスを倒した方が良い。
 アディスを先に倒したいのも山々だが、彼から情報を引き出したい。
 「戦ってばかりじゃ体力がもたないわ、短期戦でケリをつけましょう、さっきも言ったように召喚獣を呼んで、こいつらはわたしが引き付けるから」
 スピカは小声でも話した。チェリクが強力な召喚をするほど時間も大幅にかかる。
 チェリクが詠唱に入り、スピカは彼の周辺を守るように、敵の攻撃を次々に防ぐ。中には鎖を使用し、スピカの腕や足に巻きつける者もいたが、全身の力を振り絞って敵兵を引き寄せ、両者の頭を強打させた。
 敵から奪い取った鎖で、チェリクに向う敵を薙ぎ倒す。その間にも彼の真下にある魔法陣の色は濃くなっていく。
 もうすぐ召喚が完了する。
 敵を大分削った所で、スピカは息を切らした。休憩を取らずに激しい戦闘をしたため疲労が溜まっている。
 次の瞬間、チェリクの魔法陣が眩く輝き、部屋中を照らした。これで状況も変わると思った。
 だが、スピカを襲ったのは背中に強烈な衝撃だった。目の前にいる兵士の体にぶつかり、兵士と共に窓ガラスに当たる。
 「うわあっ!」
 チェリクは悲鳴を発し、壁に激突する。
 ……まさか。
 とてつもなく嫌な予感がした。主であるチェリクを邪険に扱う召喚獣は、たった一体しかいない。
 ラハブだ。
 最悪の事態は、ラハブの巨体を見て現実味を増した。ラハブは壁や家具に穴を開けるなど部屋中を破壊した上に、家具をチェリク目掛けて投げ飛ばすなど、明らかに主の指示を聞いていない様子。
 戦闘の状況が悪い方向に変わったことに、アディスは腹を抱えて笑う。
 「なんだありゃ! あれはまるでガキに遊びみてぇだな」
 アディスは馬鹿にするように言った。
 恥ずかしさで、体中が熱くなるのを感じた。
 「ちゃんと教育しないと駄目だぜぇ、あんなんじゃ使い物にならねぇよ」
 スピカは悔しい思いで一杯だった。折角こちら側に有利な方向に変わると思ったのに、敵に失態を見せびらかす羽目になったからだ。
 頭を切り替え、スピカは敵の群れを掻い潜り、ラハブに体を押さえつけられたチェリクの元に駆けつけた。チェリクは青白い表情を浮かべている。
 「スピカさん……ごめんなさい……僕がちゃんとしなかったばかりに……」
 チェリクは苦しそうに謝った。
 彼の言葉を聞いて、ラハブが勝手に出てきた原因を理解した。訓練場でラハブの召喚に失敗し、ラハブを元いた世界に戻さなかったことだ。
 例え、失敗でも一応はこちらの世界に来たのだから、元の世界に戻さないといけない。
 それを怠ると、ラハブみたいに召喚獣が主の指示を無視して勝手に出現する。
 「すぐに戻して、早く!」
 右腕を真っ直ぐ伸ばし、スピカは声を荒げて指示した。
 過ぎたことはどうにもならない、少しでも被害を抑える方が先決。
 チェリクのことだ。失敗しなければフールフールやアモンなど全体攻撃を繰り出す召喚をしていただろう。彼だって好きで間違った訳ではない。
 「駄目だよ、気を緩めちゃ、ちょっとしたミスが死に直結するんだからよ」
 スピカの背後から、アディスが急接近し、気づいた時にはスピカはアディスに押さえつけられた。
 離れようとするも、彼の方が力が強く、どうすることも出来ない。
 力では女のスピカよりも、男のアディスの方が有利である。
 「お前等は手を出すなよ、こいつはオレの物だ。あいつは好きにしていい」
 アディスは兵士に命令した。チェリクの元に兵士がぞくぞくと集まる。
 ラハブはどうにか消えたが、チェリクはぴくりとも動かない、ラハブに襲われた時に体力をかなり消耗したようだ。
 このままでは、チェリクが危ない。
 自分のことより、彼の身の安全が最優先だ。
 「チェリクをどうするつもり?」
 「心配すんなって、殺しはしないからよ」
 アディスは嫌らしく笑う。
 彼の言葉は凍てつくほど冷たく、優しさの微塵も感じない。
 「お願い、チェリクを傷付けないで、彼は無関係なの」
 スピカはアディスに訴えた。
 「駄目だな、あんたとあいつが討伐隊の一員だから、アーク様の敵には変わりねぇんだ、痛めつけてやらないとな」
 アディスが言ったその直後、複数の兵士がチェリクに暴行し始めた。チェリクの痛々しい悲鳴が部屋中に響き渡る。
 耳を塞ぎたくても、アディスに両腕を封じられているため、それすら叶わない。
 ……わたしのせいだ。わたしがチェリクを巻き込んだばかりに……!
 スピカは瞳を閉じて、自分を責めた。
 単身で来れば良かった。、そうすればチェリクの代わりに殴られているのは自分だった。部下を守れず苦しかった。
 「お願いやめさせて、死ぬわ!」
 スピカは叫ぶと共に。全身を大きく動かした。
 チェリクは華奢な外見どおり非常に打たれ弱い、殴られ続ければ死んでしまう。
 彼が死亡したら、見殺しにしたも同然。
 それだけは回避したい。
 「残念だけど、それはできないな」
 「それが友達に対する仕打ちなの? あなたを助けてきたのに……どうして?」
 堪えきれずに、スピカは自分の気持ちをぶつけた。
 彼が仕事に困っていた際は自分の仕事を譲り、空腹で苦しんでた食事を提供するなど、彼の窮地を救ってきた。
 なのに彼は恩を仇で返すので、納得がいかない。
 「わたし達は友達じゃなかったの? あなたにとってわたしは都合のいい人間だったの?」
 スピカはアディスの心に訴える。
 これまでの思い出が、彼の言動で全て否定されたが、どうしても諦めきれなかった。
 アディスはずっと黙ったまま。
 「答えてよアディス!」
 スピカは強く言った。
 ずっと黙って聞いていたアディスだが、スピカの体を無理矢理前に向かせ、拳骨固めにして殴ってきた。
 「ごちゃごちゃうるせーよ、あまり騒ぐとあいつを本当に殺すぞ」
 手を上げたまま、アディは吐き捨てる。
 スピカは声が出ない、男性に暴力を振るわれたのは生まれて初めてだ。あまりの痛さに泣きそうになった。
 微かに信じていたかった。アディスが自分の言葉に耳を貸してくれると、だが彼に攻撃されたことがきっかけでスピカの中にある彼への信頼は、木っ端微塵に砕け散った。
 スピカの言葉を、断固として拒否する。
 アディスの一撃が、スピカへの答えだった。
 スピカが痛みに耐えているその時だった。チェリクを取り囲んでいた兵士は四方八方に飛んでいき、チェリクはふらついた足取りながらも立ち上がる。
 服はボロボロで、顔も痣だらけで痛々しい。
 「スピカさんを……傷付けましたね」
 チェリクの両脇には、召喚獣がいた。
 彼の眼光は鋭かった。
  
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