「今回はすまなかったな、スッピーにまで迷惑をかけて」
ガラス越しにいるアディスは、申し訳無さそうに言った。
表情はやつれ、食事を摂らなかったらしく、かなりやせ細っている。
いつも元気な彼とは程遠く、とても事件を起こした当事者には見えなかった。
「気にしないで、わたし達友達でしょ?」
スピカは朗らかに答えた。
「それより教えてくれない? どうしてこんな事を起こしたのかを、わたしはあなたの力になりたいの」
スピカは声を低くして問いかけた。
その途端に、アディスは下を向いて黙り込んでしまった。事が重大なだけに話し辛いのだ。
スピカは彼を信じて、彼が口を開くのを我慢強く待つ。
生唾を飲み込み、アディスが真実を語るのを信じた。
エレンならば「早く話しなさい!」と感情的になって怒っている所だ。エレンはすぐに答えを引き出そうとする部分がある。彼女を連れてこないで正解だった。
意を決したらしく、アディスはゆっくりと顔を上げた。
「……まずさ、スッピーに謝らないといけないんだ」
「何を?」
「スッピーに嘘をついたこと、あ、これはエレちゃんやリュークにも同じことが言えるな」
スピカは首を傾げざる得なかった、突拍子無しに言われても何のことだかさっぱり分からない。
アディスも察し、語り始めた。
「この前のクリスマスパーティーで、仕事がそこそこだって言ったよな、あれ嘘なんだよ、本当は人間関係が最悪で、すぐにでも辞めたかったんだ」
アディスの声色は悲しさが含まれていた。
「オレが怪我を負わせたのは、職場の上司と先輩なんだ。事あるごとにオレに難癖つけるしさ、自分がやった失敗をオレに押し付けて来たこともあった。反論すれば殴られるし、どうして良いか分からなかったんだ」
「それ……ひどい」
スピカの全身が震えた。そして彼の職場が劣悪だったのかを理解する。
彼の証言が本当ならば、被害者側にも落ち度があったと言える。
いや、これはアディスが勤めている職場にもかなり問題がある。彼が精神的に追い詰められても、救いの手を差し伸べなかったことだ。
今後、改善しなければ肉体的・精神的に病む人間が出てくる。
アディスは続けた。
「事件の日も、三人がグルになってオレの陰口を言ってたんだ……でも」
すると、アディスは頭を抱えて、スピカから視線を反らす。
「どうしたの?」
スピカは席を立ち、アディスの様子を見た。
呼吸が乱れ、足元がガタガタと震え、落ち着きが無い。
「この先のことは何も思い出せないんだ。気づいた時にはここにいたんだ。本当なんだよ」
「お酒を飲んでいたってことは無い?」
スピカはガラスに手を当て、質問する。
アディスは飲酒をすると、考えられない行動を起こすからだ。
「飲んでない、ってか、飲酒は業務に支障が出るから禁じられているんだ」
「そう……」
不可解な話に、スピカは顎に手を当てる。
飲酒で記憶を失った。という線が消えたからだ。
今まで数々の人間を見てきたが、都合の悪い部分の記憶が無くなるなど聞いたことがない。
大抵の場合は都合の悪い情報は覚えており、嘘をついてやり過ごす方か、正直に真実を述べるのどちらかだ。
しかし、アディスの話からすると、その部分が記憶からすっぽり抜け落ちている。
こればかりは留置所を出て調べるしかない。
スピカは持参していたバックから、メモ帳を取り出し、真っ白いページを開いた。
「……おさらいをするわ、辛いことを聞くけど良いかしら?」
「構わないよ」
アディスは囁く。
「あなたの職場には問題があり、そのストレスが引き金になって今回の事件を起こした。間違いない?」
その問いかけに、アディスは「ああ」と力なく言った。
スピカはページに今の話を書き記した。彼の刑を軽くする材料にするためだ。
「事件の際、自分がやった事を覚えてない、それも間違いないわね?」
「オレは嘘なんかつかないよ」
「そうだったわね、ごめん」
機嫌を悪くさせたと思い、スピカは謝る。
彼との話を聞く限り、すぐに戻ることは難しそうだ。長い時間を要するのを覚悟しなければならない。
上官にも相談する必要がある。
スピカだけの問題ではない、チェリクまで巻き込んでいる。もし自分達が離れている間にも、緊急の任務が入れば、支障が出かねないからである。
メモ帳をしまい、スピカは立った。
「じゃあわたしは行くわ、また会いに来るから、ちゃんと食事はとってね」
「ああ……」
アディスに挨拶をしたが、彼は下を向いたままだった。
後ろ髪を引かれる思いで、スピカは面会室を後にした。
面会室からスピカは出て、元から来た道を辿り、親しき者達のいる玄関へと戻ってきた。
ソファーに座っていたチェリクが、スピカを見るなり駆けつけた。
「スピカさん!」
チェリクはスピカの側に来た。
彼だけで親友の姿が無い。
「お疲れ様です。どうでした?」
スピカは軽く溜息をつく。
「短い時間で解決するのは難しいわ、上官に相談しなきゃね……それよりエレンは?」
手短に報告を済ませると、スピカは質問した。
「エレンさんは疲れたから一回帰って休むと言っていました。スピカさんに宜しく伝えてくださいって」
「そう……」
再会した際の、友の顔を見てスピカは納得した。
アディスの凶行に精神・肉体共に相当な痛手を負ったのだ。人に頼りたくなるのも理解できる。
それと、彼女にはずい分と世話になった。今度はエレンに頼らずに自分の力だけで成し遂げたい。
スピカは頭を切り替え、歩き出した。
「とにかく今は、上官に相談しましょう」
「エレンさんは?」
チェリクは不安げに訊ねる。彼なりにエレンのことが気がかりなのだ。
「そっとしておきましょう、休む時も必要よ」
スピカは穏やかに話した。
「ルシア上官、きっと怒っていますよね」
チェリクは表情が暗くなった。
「そうね」
任務以外の単独行動を、上官がいい顔をしないだろう、むしろ首を突っ込むなと言われるのは違いない。
正論だし、こちらにも非があるが友の人生がかかっている以上、対立も覚悟しなければならない。
友の命か、それとも任務か。
考えれば考えるほど、ややこしくなりそうなのでやめた。
とりあえず人気の無い場所に行こうと、二人は留置所を出た。そこには背丈の高い男が立っていたが、気にも留めなかった。
二人が男の前を素通りすると、突如声を掛けてきた。
「無視するとは失礼な奴だな」
鋭い声だった。二人が振り向くと、男は腕を組んでこちらを睨む。
「オレのことを忘れたのか?」
癖のある深い青色の髪を、男はかき上げ、ゆっくりと近づいてきた。
その姿を見て、スピカの記憶は段々と蘇ってきた。
彼は、アディスの兄・エクだった。
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