緑の草原が風によって、波のように揺れる。
 スピカは街の外に出るなり、草原をゆっくりと歩く。
 彼女の後を追う形で、チェリクは側を離れない。二人は無言のまま、草原をしばらく歩いた。
 「アディスさんの罪が軽くなって良かったですね」
 街が小さく見える距離にまで来て、初めて声を出したのはチェリクだった。
 スピカは小さな声で「そうね」と呟く。
 アディスはスピカが住んでいた街の破壊未遂の罪により、裁判にかけられた。
 チェリクに拘束された後、討伐隊により、アディスの身柄は留置所に逆戻りした。彼が語っていた計画も、討伐隊の迅速な対応により、闇の集団の魔の手から
ヨルムンガンドの平和は守られたのである。
 未遂で終わった事が幸し、アディスが重罪になることが回避され、五年もの間刑務所で過ごすことになったのだ。
 しかし喜んでばかりもいられない。
 スピカは胸に手をあて、沈痛な面持ちを浮かべた。
 「また……やるなんて言ってたわよね」
 スピカは苦々しく語る。
 判決を聞くなり、アディスは表情を歪ませ、裁判長に暴言を吐き、最後には刑務所を出所した後に、犯行をほのめかす発言をしたのである。
 傍聴席で一緒に聞いていたエレンは泣き出してしまい、スピカが付き添う形で退室を余儀なくされた。友の変貌振りに、ショックを隠しきれなかったのだろう。
 エレンでなくても、彼を良く知るスピカにとっても辛かった。
 「アディスさんはああいう人だったんですよ、表ではいい人ぶって、裏では邪悪な仮面を被っていたんです」
 チェリクは冷静に言った。
 スピカは後輩の言葉に耳を傾ける。
 チェリクの意見は的を得ていた。スピカを傷付けるために、友達面をして、いざとなった時に牙を向ける。
 典型的だが、確実に精神的なダメージを与えるやり方だ。
 「……そうね、あなたの言うとおりだわ」
 スピカはチェリクの方を見て、静かに語る。
 紫色の双眸は悲しみに満ちていた。
 「彼は自分のことしか考えられない哀れな人、そう割り切るしかないわね」
 スピカは手を下ろし、握り拳を解く。
 彼が出所しても、永久に関わらないつもりだ。落ち着いたらエレンにも伝えるつもりだ。
 例え彼が事件を起こしても、決して援助しない。
 今回の件で、友達関係が大きく変わってしまった。
 スピカは闇の集団をますます許せなくなった。ハンスを変えただけでなく、人の心をも弄んだからだ。
 「エレンさん……大丈夫でしょうか」
 「そっとしておきましょう、気が強そうに見えて、彼女は結構繊細なの」
 スピカは傷心の友の回復を願った。仕事の合間を縫ってたまに彼女に手紙を出そうと決めていた。
 「チェリク」
 スピカは彼の両肩に手を置く。
 「今回は有難う、あなたのお陰で助かったわ」
 心を込めてスピカは礼を述べる。
 アディスの件で、チェリクにはずい分と世話になった。彼の力が無ければ困難な場面も幾多かあった。
 改めて人の力は大切だと考えさせられた。
 チェリクは柔らかな笑みを見せる。
 「僕の力でスピカさんが救われたら幸いです。これから修行をもっと積んでラハブに僕を認めさせます」
 チェリクは力強く語った。時間は掛かるものの彼ならやり遂げるに違いない。
 「二人とも、何してんの?」
 草原一体に聞きなれた声が響いた。二人は後ろを向くと、緑髪の女性・ルシアが立っていた。
 「そろそろ本部に帰投する時間だよ、支度してくんなきゃ困るな」
 ルシアは陽気に言った。
 「申し訳ありません、すぐに済ませますから」
 チェリクはスピカに代わって頭を下げる。
 「早くしてよね、キミ達の仕事が溜まっているんだから」
 ルシアは苛立ち混じりに呟く、本来なら仕事の都合で、アディスの裁判には二人とも参加できなかったが、どうしても彼の裁判の行方を見届けたいとルシアに交渉した結果、二人の行動を監視する意味で自身も同行するという条件付きで、参加させて貰ったのである。
 その点では、ルシアに感謝しなければならない。
 「直ぐに追いつきますから、チェリクと上官は先に船で待っていてください」
 スピカは無理矢理笑みを浮かべた。
 ルシアは手で銃を作った。
 「早くしてね、さもなければ置いてくよ?」
 「はい」
 ルシアの命令に、スピカは素直に返した。
 後輩と上官が後ろ姿を見せ、小さくなっていくのを見届け、スピカは首につけていた銀色のハート型のペンダントを外す。
 『誕生日おめでとう』
 スピカが十七歳の時にアディスがくれたプレゼントだ。
 貰った当時は嬉しかったが、今ではちっとも嬉しくない。
 アディスはもう友達ではない、単なる赤の他人だ。裁判に来たのも彼に対する気持ちが残っていたからで、終わった今は何も残っていない。
 スピカはペンダントを睨むと、思いきり草原へと投げ捨てた。銀色の輝きが太陽に反射した。
 「さようなら、あなたと過ごした日々は忘れないわ」
 スピカは呟くと、駆け足で草原を後にした。
 
 彼女の中に残る思い出は色あせない、変わる前の友は、彼女にとって大切な人間だった。
 しかし友は、周囲を傷付ける刃へと変わった。
 決して癒せない痛みを残して……

 
 ―心が闇に染まる時―
      完


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