私は見てしまった。おぞましい光景を。
 一人の男が女性をナイフでメッタ刺しにしているのを。男の顔や服にはおびただしい返り血を浴びている。
 「あ……」
 口を手で押え、私は足音を立てないように後ろへと下がった。
 心臓が早鐘のように打ち付け、額からは冷や汗が流れる。今になって、悲鳴を聞いて単身で駆けつけたことを激しく後悔した。
 私は友達との飲み会を楽しんだ帰りの途中、女性の高い声が私と友達の耳に届き、私は一人でこの暗い通路へやって来たのだ。
 酔った勢いで取った行動が、命に関わる事態になるとは……もうお酒は等分飲まない。
 友達の制止も聞かなかった事に後悔しつつも、私は曲がり角に差し掛かった。
 もう少し。
 ここさえ抜ければ怖くない、あとは全速力で走って交番に駆け込むんだ。
 見てみぬふりなんか絶対にできない。殺人鬼が何食わぬ顔で街を歩いていると考えるだけで背筋が凍る。
 しかし、ここで思わぬ事態が起きた。
 「こんなトコでなにしてんの?」
 曲がり角から、あきの顔が現れた。
 私の心臓が凍りつき、思考も固まった。男に気付かれたかもしれない。
 最悪だ。最悪以外の言葉が見つからない、あきは私のことを心配し様子を見に来たんだ。だが、殺人鬼が目の前にいる以上、あきの取った行動は死の宣告を突きつけているようなものだ。
 「どうしたのよ、顔色悪いじゃん」
 あきはいつもの大声で言った。私はとっさにあきの口を塞ぐ。
 が、既に遅かった。
 男はナイフを手に持ったまま、私達の前に歩いてきた。
 「お前ら……見たな?」
 男は憎悪をむき出しにしていた。あきは男の顔や服に付いている血を見て驚愕の表情を浮かべる。
 見てませんなんて……あんたの様子を見て言える訳無いじゃん。
 「こ……この子は関係ないわ」
 私は勇気を振り絞って言った。あきだけは助けたい。その一心で。
 あきは幼い頃からの親友だ。殺されるなんて耐えられない。
 だから何が何でも守らないと。
 「本当だな?」
 そうよ、私が口を開こうとした時だった、あきが私の手を退けた。
 「あたしは全然関係ないわ! 全部この子がいけないのよ!」
 冷酷な言葉が、私の鼓膜に叩きつける。
 「あたしは見ていないの! だから助けてっ! 」
 大声であきは叫ぶと、背中を向けて走った。
 私を殺人鬼の元に置いたまま。
 信じられない……あまりのショックに私は言葉が出ない。私が軽率だったのは認めるが酷すぎる。命の危険に晒されたとしてもあんまりだ。
 数回激しい痛みが腹部に襲い掛かり、私は地面に倒れ込んだ。考えている間に、男に刺されたのだ。 
 男は微笑んだまま、私の側を黙って通り過ぎる。
 「あき……ひどい……私は……あなたを守ろうと思ったの……に」
 私は遠のく意識の中で、逃げた友達にへの恨みの感情が心の奥底から沸いた。 異常事態への自己防衛反応にしても、この仕打ちはあんまりだ。私と一緒に逃げるとか考えられなかったの?
 ……こんな惨めな死に方は悲しいけど涙が出ない、あきへの怒りのせいだ。
 遠くからサイレンが聞こえる。警察? それとも救急車? どっちでもいいや
 どうせ私は死ぬんだし。
 私の意識が完全に途切れる前に、あきの声が聞こえたが気のせいだ。
 例え声がしても、聞きたくなんかない。
 
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