『ご迷惑をおかけしました』
リンは母親とラフィアと一緒にハザックとティーアに頭を下げる。
ラフィアが退院し、菓子が入った箱とリンが着ていた服(勿論洗ってある)を渡しに治安部隊の本拠地に来たのだ。
その二つはティーアが持っている。
「ラフィアさん、もうご家族を悲しませるようなことをしては駄目ですよ」
「はい」
ティーアに言われ、ラフィアは素直に返事を返す。
「前にも伝えたと思いますが、処分の通知は数日の間にも届きますので」
「……分かってます」
ラフィアは重々しく言った。
ハザックは何か言いたそうだったが、ティーアのために黙っている様子だ。
「では、私たちはこれで失礼します」
母親が言うと、リンとラフィアが背中を向けた時だった。
ハザックがリンの肩を掴む。
「あの、お母さん、リン君とお話があるので連れていって良いっすか?
説教とかじゃないんで、その辺は心配いらないです」
ハザックは砕けた言い方をした。
「ちょっと、ハザックさん……」
「構いませんよ、リンはどう?」
ティーアの話が終わらない内に、母親が了承し、リンに話が振られた。
「僕は平気です」
「よし、決まりだな。男同士の話と行くか!」
「リン君、また後でね」
ラフィアはリンに言った。

リンはハザックと二人きりで本拠地の屋上のフェンスに来ていた。
「ティーアさんのこと良かったんですか?」
リンは訊ねる。ティーアは二人が移動している時に、背後から仕事やハザックの態度について散々言っていたからだ。聞いているリンはティーアを無視するのが気の毒に感じた。
ハザックはズボンのポケットから煙草を出して火を付ける。
「気にすんな、ティーアはいつもああいう奴だからな」
リンは一つ気になることがあったので、ハザックに聞くことにした。
「一つ質問があるんですけど、ハザックさんの部下はティーアさんと、特殊部隊の皆さんなんですか?」
リンの問いかけに、ハザックは口の中にあった煙を細く吐き出す。
「ああ、そうなるな、普段は俺らも治安部隊として働いている。俺らも特殊部隊も毎日のように黒天使と戦っている訳ではないからな
地上で人間や天使が緊急の救助信号を出した時や、治安部隊が手に負えない強い黒天使が出てきた時は特殊部隊として働く、そういう仕組みなんだ」
「大変ですね」
「まあな、じゃあ俺からも質問があるけど」
ハザックは持参していた携帯の灰皿で煙草の火を消し、リンの方に体を向ける。
「お前、ちゃんと子供らしい生き方してるか?」
突拍子もない質問にリンはどう答えていいか分からなかった。今までそういう事を聞かれたことが無かったためだ。
「……何でそんな事を聞くんですか」
「お前が俺に同行をお願いした時に感じたんだ。生き急いでるなって」
「僕がですか?」
リンは自らに人差し指を向ける。
「そうだ。あの時本当なら俺の言葉を聞いて泣く奴の方が多いんだ。戦いの厳しさや怖さを知るからな、でもお前は動じずに、涙一つ流さなかった。
お前の大人顔負けの精神力には驚いたよ」
「恥ずかしい話ですけど、ハザックさんが行った後その場に座り込みましたよ」
リンは頬を指でかいだ。ハザックの言葉には圧力があり、リンを試しているのが分かっていても怖く感じた。
「それでも、お前の心は強い……だからこそ心配なんだ」
「何でですか、僕と同年代の天使でも泣かない天使はいると思いますよ」
「いや、色んな奴を見てきたがお前以外にはいない、断言してもいい、ラフィアに俺の言葉を聞かせたら確実に泣く」
ハザックの言いたいことは理解できた。リンは同年代の天使とは思えないほど精神力が強いと。
もし、ラフィアがあの時ハザックの話を聞いたら、顔を赤くして涙を流していたかもしれない。
リンはフェンスを両手で掴んだ。鉄の冷たい感覚が伝わってくる。
「あの時はラフィアを助けたい一心でしたが、ハザックさんが言うようにもしかしたら僕の精神は強いのかもしれませんね」
リンは表情を曇らせた。ハザックはリンの隣から顔を見て覗き込む。
「……問い詰めて悪かったな、話したくないなら無理して話さなくても良いぞ」
リンの顔を見て言い過ぎたとハザックは感じた。
「いえ、話しますよ」
リンは意を決した。このままハザックに話さなかったらすっきりしないからだ。
「僕の家は五才の頃に両親が離婚してるんです。詳しい事情は分からないんですけど、僕は母さんと家に残り、父は弟と一緒に家を出ていってしまったんです」
リンは静かに語った。父と弟のユラが出ていく時のことは今でも忘れられない。弟は父に連れられて行く時、涙で顔が濡れていたからだ。
リンはユラと父とはもう一緒に暮らせないことが悲しかったことを覚えている。
「それから間もなく、ラフィアが事故で両親を亡くして、親交の深かった僕の家で引き取ることになったんです。
母さんのために家事を手伝うようになったのも当然ですけど、弟の代わりにラフィアの面倒を見なくてならなくなってしまい、僕がしっかりしないといけないと思うようになりましたね。
母さんを困らせたらいけないとか、ラフィアを守らないといけないとか……」
多くのことが五才の時に起き、リンは感情を抑えざる得なかった。自分が我が儘を言えば、母に迷惑がかかると思ったからだ。そのため以前は苦手だったセロリも食べるようになり、小学校に上がってからは勉強にも力を入れた。お陰で成績は常に上位である。
「僕の精神がこうなったのは家庭環境が大きいんだと思います。かと言って両親を恨んではいません。恨んだ所で元通りにはならないからです」
リンの話をハザックは黙って聞いていた。いや話が重くて声が出なかったと言っても良かった。
「……かなり重いんだな」
ハザックはやっとのことで言葉を口に出す。
「そう思いますか?」
「重くて何言って良いか迷う所だが、お前が家庭の影響でしっかりせざる得なかったのは理解できた。心が強くなった経由もな」
リンは力無く「ははっ」と笑う。
「子供らしい生き方をしてるかと聞かれると、いいえと答えますね」
「問題はそこだな、今からでも遅くないからお前が好きなことをしたり、友達と遊んだり話したりした方が良い。
変に我慢し過ぎると、将来悪い影響が出るからな」
ハザックの言ってることは最もだ。自分の感情を抑え過ぎて、精神を患った天使がいるという話を本で読んだことがある。
このままだとリンも精神的な部分で影響が出ないとも限らない。
「……ハザックさんが話したいことって、僕に子供らしく過ごせってことですね?」
「そうだ。これは俺からのお願いだ。こうしてお前と会ったのも何かの縁だからな」
「できる範囲でやります」
ハザックは右手を固めてリンの前に出した。
「約束だぞ」
「はい、約束します」
リンも右手を固めてハザックの手に軽く当てた。男同士の約束の誓い合いである。

ハザックとの話が終わり、子供らしい生き方をするという決意を胸にしてリンは帰路についたのだった。
リンは後にハザックの約束を守るために、やってみたかったお菓子作りを始めるのだった。


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