「何ですか、この音」
「ガルデの笛が使用された時に鳴る警報音だわ」
ネージュは上を見て言った。けたたましい音は取り付けられたラッパから鳴っているからだ。
リンの胸は嫌な予感で騒ぐ。
「ラフィアかもしれません」
「そう決まった訳じゃないわ、でも確かめた方が良いわね」
「僕もついていって良いですか? 心配なんです」
「そうね、一緒に行きましょう」
リンはネージュと共に取調室を出た。他の職員も音に反応したらしく、慌てた足取りだった。
三階に降り、監視室という部屋の扉を潜った。薄暗い部屋には、数人の職員が集まっている。
「ブルネット街から緊急通報を探知、通報者は見習い天使とされています」
その言葉に、リンの中にあった嫌な気持ちが膨れ上がる。
「拡大します」
男性の低い声と共に、映像が大きく写し出された。ラフィアが倒れているのがリンの視界に入る。
「ラフィ!」
緊迫した雰囲気だったが、叫ばずにはいられなかった。
職員の目線がこちらに向く。
「おいおい、何でここに子供がいるんだ?」
背の高い男が、リンに歩み寄ってきた。
ネージュは男に頭を下げた。
「申し訳ありません、彼は私が連れてきたんです」
「ラフィ……とか叫んだが、知り合いなのか?」
「知ってるも何も、ラフィ……いやラフィアは僕の家族です!」
リンは真剣な目で男に言った。
男は「ほう……」と声を漏らした。
「名前は何て言うんだ?」
「リンです」
「リンか、俺はハザックだ。これからお前の家族を助けるための会議を開くから外で待っててくれ」
「分かりました」
邪魔してはならないと感じたリンは、ハザックの言葉に従うことにした。

リンはネージュと監視室の近くに設置されている椅子に腰かけた。
「ネージュさん、ハザックさんはどんな人なんですか?」
リンは訊ねる。
「リン君は知らないよね、治安部隊の内部構造について」
「治安部隊が天界の治安を守ったり、黒天使を倒すというのは知ってますけど……」
リンは思い付くままに言った。
「治安部隊の中には強力な黒天使を退治する事に長けた特殊部隊が三十人いるのよ、ハザックさんはその中の一人で、黒天使でも最も強いとされているイロウとも戦ったことがあるのよ
……表向きでは治安部隊と名乗ってはいるけどね」
イロウの名を聞き、リンは驚いた顔をする。
イロウは大陸を一つ吹き飛ばすほどの力の持ち主で、あまり出てこないが、遭遇したくない黒天使である。
「そんな凄い人がラフィアを助けるために動くんですね」
「今日は何人かの特殊部隊が非番だからというのもあるけど、ハザックさんは助けを求める天使を放っておかないから、イロウ級の力を持つ黒天使が相手でもね」
会議室の扉が開き、職員が駆け出して行った。職員に対しハザックはゆっくりとした足取りで出てきた。
リンは立ち上がり、ハザックの側に近づく。
「ハザックさん……」
ハザックはリンの顔を見るなり、肩に大きな手を当てる。
その手は戦いの傷痕がいくつもあり、多くの経験が伺える。
「俺はお前の家族を助けに行ってくるから、家で待ってろ」
ハザックの声には自信が溢れていた。リンはこの人に任せればラフィアを確実に助けてくれる。そんな気がした。
傷だらけの手をリンから離し、リンに背を向けた矢先にリンは「待って下さい!」と叫ぶ。
「何だ?」
ハザックは向き直った。
「僕を……連れて行ってください!」
「リン君!?」
突然の発言にネージュは困った顔をする。
「あのな、今はお前の冗談に付き合ってる場合じゃないんだ」
「冗談ではないです! 真剣に言ってるんです! さっきも言いましたが、ラフィアは僕の家族なんです。だから家族を助ける手伝いをさせて欲しいんです!」
リンの口調は真面目さを帯びていた。
ハザックは柔らかな様子から一転して、ピリピリした空気となってリンの顔を覗き込んだ。
「これから俺が行くのは子供の遊びじゃない、本当の戦場なんだ。生半可な覚悟で行くと死ぬこともある。
戦場では子供も大人も容赦はないんだ。お前はまだ見習い天使だから分からないだろうが、戦場ってのは危険なんだ」
ハザックの声からは精神的な圧力を感じた。リンに危険から遠ざけたいという思いからだ。リンは話を聞いただけで、現実の戦場を知らない。
が、リンは引かなかった。
「危険は承知の上です。迷惑はかけませんし、足を引っ張ったりもしません、だから行かせて下さい!」
リンはハザックに頭を下げた。
見習いの自分が治安部隊に同行するなど、無茶なことだと分かっていたが、ラフィアのために何かしたいという気持ちには偽りはない。
「顔を上げてくれ」
ハザックはリンに声をかけてきた。リンは姿勢を真っ直ぐに伸ばした。
「お前の気持ちは分かった。しかしヤバいのは変わりない」
ハザックの話からして、リンの同行を渋っているのは理解できた。
……駄目かな。
リンは思った。懸命にお願いしても通らないことがあるのは仕方がない。見習い天使の自分が行くのはハザックが言うように危ないのだ。駄目だったら大人しく家に帰ってラフィアが救出されるのを待つのも、リンができることだ。
リンが思考を巡らせていると、ハザックはネージュに顔を向けて話した。
「ネージュ、研修生の服をそいつに着せてやれ、あれなら強力な攻撃を受けても大丈夫なはずだから」
「わ……分かりました」
ネージュは言った。
「十分後に一階に集合だ。遅れるなよ」
「有難うございます!」
リンは大声でハザックに礼を言った。
ハザックは足早に廊下を駆け抜けて行った。
リンは「ふぅ……」と、その場にしゃがみ込む。
「大丈夫?」
ネージュが心配そうに声をかける。
「今言うのも難ですけど、怖かったです」
リンは恐怖を吐き出した。ハザックの圧力は感じたこともないくらいのプレッシャーだったし。忘れろと言われてもできないだろう。
「リン君、あなたは凄いわね、ハザックさんのプレッシャーは新人でも泣き出す人がいるのに、あなたは泣かなかったわ」
「道理で……こんな体が震える訳ですね」
リンの言葉通り、手はまだ小刻みに震えている。
しかし、リンは気持ちを切り替えた。十分という制限時間があるためだ。
「ネージュさん、時間がないので、急ぎましょう」
リンはネージュに言った。ラフィアを助ける戦いは始まっているからだ。


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