ラフィアは瞼はゆっくりと開いた。目の前にはリンと母親の姿があった。
「気がついたようだね」
リンは優しく言った。
ラフィアはリンに視線を向ける。
「ここは?」
「天界の病院だよ」
「病院……」
「二日前にラフィは黒天使に襲われて、怪我をして運ばれたんだ。怪我は癒しの呪文で治ったけど、目を覚まさなくて心配したんだよ」
「黒天使……怪我……」
リンの言葉と共に、ラフィアは記憶を探る。
すると、ファルナとの楽しい一時、クッキーを持って帰る途中で黒天使と遭遇し、命がけでクッキーを守り、意識が遠退く前にリンや天使逹が現れたことが浮かび上がった。
「そうだ……袋は?」
「治安部隊の人が検査のために回収したよ」
黒天使に関わる物や、危険物が入っていないか確認するためだろう。
「リン、お母さんお医者さんにラフィが起きたことを知らせてくるわ」
母親は足早に病室を後にした。
ラフィと言うのは愛称で、ラフィアが認めた天使にしか呼ぶことを許されない。
呼んで良いのは母親やリン、ラフィアの友人のみだ。
ラフィアはリンと二人きりになった。ラフィアは起き上がった。
「まだ寝てなきゃ」
「もう平気だよ」
ラフィアは明るく言った。体の方は癒しの呪文のお陰か痛みはない。
「それより聞きたいことがあるんだけど、もしかして、あの時リン君も来てくれた?」
「うん、治安部隊のハザックさんや他の隊員の人もね。本当は止められたけど迷惑はかけないってお願いしたら特別に同行させてもらったよ」
リンは渋々といった感じに答えた。ラフィアの疑問を解消しない限り寝てくれないと思っての事だ。
「何でラフィが地上に行ったって分かったの」
「置き手紙を見て嫌な予感がしたんだよ、年に一度のハロウィンはラフィが必ず地上に行くし、もしかしたらって思ったんだよ
治安部隊の人にも相談しに行った時に、ガルデの笛も聞こえてきたって言うから……」
隠したつもりが、リンにはばれているのが恥ずかしくなる。
同時にリンの機転を利かせた行動には感謝したくなった。
「バレバレだね」
リンの顔つきは真剣になった。
「ラフィ、治安部隊の人にも言われると思うけど、もう勝手に地上に行ったりしたらダメだよ」
「う……ごめん」
ラフィアは謝罪を口にする。
ファルナに会いたいがために、決まりを破り地上に行った挙げ句、痛い目に遭ったのだから自業自得とも言える。
病室のドアのノック音が聞こえた。
「失礼するよ」
「どうぞ」
リンが言うと、母親と男性医師が入ってきた。
男性医師はラフィアな顔を覗き込む。
「具合はどうかね? 痛い所や頭がくらくらするとかは無いかね」
「大丈夫です」
「ちょっと体の方を調べてもいいかね」
「はい」
「じゃあ、そのままの姿勢で構わないからね、楽にして」
男性医師は手から黄色い光を出した。検査の呪文で、光の力でパジャマを着たままでも体の異常が無いかを調べることができるのだ。
ラフィアの頭から始まり、耳、体、両腕と足という順で見ていった。
その間、ラフィアは緊張のあまり表情が強張る。
医師が黄色い光を掌から消し去った。
「体の傷口も塞がっていますし、異常もありませんから明日にでも退院できるでしょう」
医師の言葉に、リンや母親は安堵の色が表情に出た。ラフィアもほっとした。
「私はこれで失礼しますが、何かありましたらすぐに言って下さいね」
「有難うございました」
母親は頭を軽く下げた。
医師が病室のドアを開くと、二人の男女が立っているのが視界に飛び込む。
ドアは閉じられ、すぐに見えなくなった。
「あの人達は?」
「治安部隊の人だよ、ラフィが寝てる間も見舞いに来てくれたんだ」
リンが言った矢先に、医師と入れ替わる形で二人の男女が入室してきた。
女性は燈色に左右がカールの髪型で、男性は背が高い。
「よう、具合はどうだ?」
男性は腕を伸ばし、医師と全く同じことを訊ねてきた。
「へ……平気です」
「おっと自己紹介が先だったな、俺は治安部隊ハザック、隣にいるのは俺の部下のティーアだ」
「ティーアです。宜しくお願いします」
ティーアと名乗った女性は律儀に頭を下げた。
ティーアは一年前に裁判所で見たが、直に会うのは初めてである。
「わ……わたしはラフィアと言います。この度は迷惑かけてすみませんでした」
ラフィアは自分の名を告げて謝罪する。
「それ位元気なら、話はできそうだな」
「お母さん、リンさん、恐れ入りますがラフィアさんとお話をしたいので、席を外してもらっていいですか?」
ティーアは母親とリンに言った。
「分かりました。ラフィ、また後でね」
母親とリンは一緒に病室のドアに歩いて行った。親しい人間が遠ざかるのは心細く感じる。
するとリンが振り向いて「あの……」とハザックとティーアに言った。
「ラフィをきつく叱らないで下さい。ラフィが地上に行ったのも理由があるんです」
リンの口調には熱意がこもっていた。ラフィアを庇いたい気持ちが伝わってくる。
「分かった分かった。心配すんな」
ハザックはリンの気がかりを払拭するように言った。
リンは部屋を後にして、ラフィアは不安な気持ちになった。
ハザックとティーアは病室にある椅子に腰をつける。
「あいつ、お前の彼氏か?」
「ち……違います! リン君はわたしの幼馴染みです!」
ハザックの問いかけに、ラフィアは顔を赤らめる。
「そうか? あいつは俺と一緒にお前さんを助けに行くとか言って引かなかったんだぜ、あの時の顔つきは格好ぇと思ったぞ」
「リン君は……心配性な所があると言うか……わたしのお兄さんみたいな感じなんです。あっ、実際は弟さんもいるんでお兄さんですけど」
ラフィアは手をもじもじと動かす。リンには弟がいるのだ。
ラフィアにとって、リンは友達や恋人というより兄弟に近い。一つ屋根の下で暮らしている影響だろう。
「ははっ、そうか、お前さんのお兄さんなら納得がいくかもな」
「ハザックさん、雑談はそれくらいにして下さい」
隣にいたティーアが突っ込む。
「良いだろ、緊張を解さないとラファだって上手く話せないだろ」
「ラフィアさんです。名前を間違えないで下さい」
ティーアは指摘した。
「すみませんね、ハザックさんはお調子者な所がありますが、悪気は無いんです」
「え……ええ……」
ラフィアは頬を緩める。
二人の掛け合いが面白いのだ。
「ハザックさんに代わって、私が話を聞きます」
ティーアは言った。上司が頼りないと感じたのだろう。
「いじめんなよ、お前さんの言い方は厳しい部分があるからな、泣かしたら家族に顔向けできねぇ」
「気を付けます」
ティーアはやんわりと言った。
ティーアの顔つきが引き締まり、本題に入ることが伺える。
「ラフィアさん、自分の行動が規則を破るというのは分かってやりましたか」
「……はい」
ラフィアは正直に答えた。学校や家でも許可なく地上に行ってはいけないと散々言われたからだ。
「何故規則ができたか答えられますか」
「はい、地上での黒天使の動きが頻繁で、危ないからです」
黒天使に攻撃され、身をもって危険だと痛感する。
「どうやって地上に行ったのですか、貴女は人間界に行く許可証を発行してないでしょう」
人間界に通じる門は規制されており、許可証が無いと通れないのだ。
「……ごめんなさい、荷物に変身して地上に運んでもらいました。友人から貰った力消しの薬草を飲んで、探知に引っ掛からないようにしたんです」
ラフィアは天界を出た方法を話した。人間界に荷物を運ぶ際は探知の呪文を使い、怪しい物、危険物が無いかを確認する。
ラフィアは薬草の力で呪文をすり抜けたのだ。
前にも同じような手段で人間界に行った天使のやり方を真似たのである。
「規則に反すると理解していながら、どうして貴女は地上に行ったのですか」
ラフィアはティーアが少し怖く見え、一年前でのティーアを彷彿とさせる。
ティーアは法廷で犯罪者に容赦なく厳しい裁きを下したからだ。
いけない事をしたのだから仕方ないが……
背中がゾクゾクする思いで、ラフィアは口を開いた。
「人間の女の人……いやファルナさんに会うためです。毎年ハロウィンの日にはファルナさんが作ったお菓子を食べるのが楽しみだったんです。
あと、食べてばかりじゃなくて、ファルナさんの体のことも見てあげたかったんです」
ファルナと過ごした時間が頭を駆け巡り、ラフィアの目頭が熱くなる。
お菓子を美味しそうに食べると、ファルナは笑い。
体の不調を治せば感謝してくれる。そんな当たり前がラフィアには嬉しかった。
見習いで黒天使とまともに戦えない自分でも役に立てることがあると思えた。
今回黒天使に襲われて傷だらけになったことをファルナが知れば悲しむに違いない。
ラフィアは話している途中で大切なことを思い出した。
「そう言えば、クッキーが入った袋はどこですか? 治安部隊の人が持っていったと聞きました」
「袋?」
ティーアは把握していないらしく、首を傾げる。
「ああ、お前さんが抱えていたあの袋なら、検査が終わったから明日にでも返すってよ」
「今すぐ返して下さい、でないと安心できないです。クッキーをリン君やお母さんに食べてもらいたいんです」
ラフィアはハザックに目線を向ける。
クッキーが無事か確かめる必要がある。
「だとよ、ティーア、ひとっ走りして来い」
ハザックはティーアの肩を軽く叩く。
「何で私なんですか……」
「話は大体聞き終えたしな、ヴェヒターにストライプの袋って言えば分かる」
「もう……」
ティーアはため息混じりに席を立ち、病室を去った。
「お前さんに想われて幸せだなファリナさんて人は」
「ファルナさんです」
「おおっと、失礼、俺は名前覚えんの苦手なんだ。悪く思うな」
ハザックは言った。ラフィアの名前を間違える辺りからすると、苦手なのは確からしい。
「お前さんが地上に行った理由は分かった。自分の欲を満たしたい訳でも無さそうだしな。その辺はお前さんの処分を決める上層部にも伝えておく」
ハザックは「しかし」と言葉を続ける。
「これに懲りて俺たちが作った規則は守るんだな、お前さんはまだ見習い天使だから尚更だ。
今回は助かったから良かったけど、次は下手すれば死ぬかもしれないからな」
「はい、分かりました」
重い一言は、ラフィアの胸を差す。
ハザックはおちゃらけてると思いきや、やはり治安部隊の天使だと感じた。


戻る

 

inserted by FC2 system